名言大学

#音楽

僕はあくまでもソロの立場。
一生(ステージから)降りちゃダメだよという人たちもいますけど、
僕は少なくても来年はプロデュースしていく方に軸を置きたいです

(リリイ・シュシュについて)遺作を選べたら、
これにしたい

「ピットイン」は日本のライブシーンの中心であって欲しいと常に思っているね。
やはりミュージシャンの最初の目標は「ピットイン」に出ることなので

作曲家として一番大切な事は、
とにかく曲を書き続ける事

未来を覗いて、
これから十年先もニルヴァーナの曲がプレイできるなんて言うことは、
俺にはできない。
絶対に無理さ。
俺は、
自分の歳に合わせて曲を変化させたりしたくない

オレは自分で自分の音楽に退屈してしまう前に、
次に行く。

生きることは音楽的であること。
体内の血が踊り出すところから始まる。
すべての生命がリズムを刻んでいる。
君は、
君の音楽を感じているかい

音楽がもたらすことができるのは、
魂の癒しです

頭ではいろんなことを考えてるんですが、
ステージに立ってしまうともう「今日終わってもいい!」っていうライブをやってしまうのがX JAPANだと思うんですね。
自分が特にそうなんですけど(笑)

昔のファミコンの音楽は、
3音しかありません。
だから、
本当に必要な音だけを残す作業を行いました

すぎやまこういち

宮崎駿さんの『ルパン三世 カリオストロの城』とかを観て。
意外と勝新太郎さんの監督作と宮崎駿さんの作品ってよく似てるんですよ。
『紅の豚』なんて『座頭市』にしか見えない(笑)

( Perfumeの武道館は)楽しかったですよ。
曲が自分の曲なんで。
いい曲だなと思って聴いてました、
2時間半くらい

私の人生にとって一番大切なことは、
小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。
自分より困っている誰かを助けたり、
野良(猫)一匹でも救うために人は命を授かっているのよ

ファッションなしに私は生きていけないでしょう

どの曲も同じ音楽のフィールドから出てきたような音なんだよな。
どっかにラップが入っててさ、
どいつもこいつも大西洋の向こう側のソウル・ボイスで歌ってて、
そういうのってクズだろ

私の場合、
なるべく言葉には頼りません

(幼少の頃、
音楽教室に行かなくなってからは)独学

俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、
バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、
「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。
もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、
なんていうか、
すがりつかなくなったっていうのかな

80年代は「ヒップホップは明日終わる」なんて言われていました

Zeebra(ジブラ)

ヒップホップが好きなヤツらとしか話してなかったから、
それ以外の人とは話せなくなっちゃって

Zeebra(ジブラ)

私達の経験はいつも複雑なのに、
思考の方法はとても単純なんです。
私達は何かを考えるとき、
音と沈黙、
存在と無といった対立する概念へと絶えず戻ってしまう。
それはまさに、......

子どもの頃について、
「コンピュータは大好きでした。
スイッチを押す。
何かが起こる。
すごい」と語っている

ロンドンはロック発祥の地でもありますからね

建築はもちろんですけれど、
音楽も生活と結びついています。
だから、
(外国で)暮らさないと、
本当の音はわからない

音楽ってやつは、
それを作った人間のひたっていた心境に、
じかにすぐ運んでくれるんですよ

中学二年の時、
野球部の友達がビートルズの『アビーロード』と『Let It Be』のシングルを持って泊まりに来た。
あれで人生が変わったな。
『Let It Be』なんか一日で覚えちゃった。
とにかく素晴らしかった

自分を信じるのは本当に正しいことだよ。
なぜならビートルズもそうなんだ。
私たちは自分を信じていたし、
自分たちは素晴らしいと思っていた。

ジェームズ・ポール・マッカートニー

ドラマの撮影中は睡眠時間が少なくなりますが、
寝るくらいなら誰かと話していたほうが楽しい

大島渚さんが逝ってしまった。
監督が、
お一人で台本を抱えて来られ、
映画に出演してくださいとおっしゃり、
私は無謀にも『私に音楽をやらせてください』とお願いし、
全てはそこから変わった。......

ギターと刀は似ている。
両手を使って心で切る

創造の泉を自分の内に持っていれば、
書きたいものを書き続けられる

音楽は非常識でグロテスクなエゴや矛盾を、
音楽という手段を経由して表現することが許されていて、
そういう未分化の下層から、
常識的な表層へと飛び出していく、
その距離こそがエモーショナルへと変わる

昔、
capsuleのライブでは「ファッキンコンピューター!!!」と叫びながらPCを破壊していた

確かに30代は思い通りにならない時期が続きました。
僕は18歳で音楽を志して上京し、
28歳でデビューしたのですが、
あまりいい結果を出せず、
32歳で契約が終了しました

ベルリンは僕の人生の分岐点とも呼べる、
特別な場所

ウチの子どもは、
休日でもゲームばっかりやってるから、
昭和30年代生まれの親としては不健康に見えてしょうがないのよ。
だから、
ついつい連れ出してしまう

自分が感動できるものを提出していかないと、
周りの人、
ひいては観客に響いていかない

英語でいうとキャンサー・オブ・ダイニングキッチン!食堂のがん!

音楽の本質は公約数的なものではなく、
非常に個人的なもので成り立っていると思う

(どんな時に曲が思い浮かぶ?
)ほっといて、
浮かんでくるのを待つ

すぎやまこういち

普段からよく歩くんですけど、
演奏前には楽屋のなかで20分くらい靴を脱いで歩くようにしているんです。
足の裏は脳につながっているから

人それぞれに求めるものは違うけど、
それでいいんじゃないか。
自分の思うようにすればいい

私の時代はベートーヴェンは聴覚が不自由で、
メトロノームも壊れていたと教えられた

(THE 野党が始まった最初の頃は)お客さんも僕らも手探りでしたね。
MCでも何を話せばいいんだろう?
って思ったこともあったし、
僕らなりの“自由にやるっていう制約の中でいろいろ考えました

抑圧とか、
階級支配とか、
人々に様々な種類の不必要な束縛を与えるものはまだ存在し、
戦争をつくりだす政治の世界のペテンも存在する。
これらのものを黙認しちゃいけない。
これらは無くならないんだよ

町のダンスホールで一晩100円もらって吹き始めたんです。
「あの坊やが吹くと踊れなくなっちゃうから止めさせろ」って言われるような状況だったんですけど使ってもらって(笑)

自分的には昔から波に乗ってきたっていう気は一切ないんですよね。
波を作ってきたとまで言っちゃうとちょっと言い過ぎかとも思うんですけど、
どっちかと言うとそっちに近いと思うんで

(チベットについて)人々も素晴らしいですね。
あんな厳しいところで生きているのにユーモアはあるし、
みんな明るいですしね。
それに中国にあれだけ迫害されているのに田舎の人なんか本当に純で素晴らしいですね。
心が豊かって言ったらいいかな

これからももっといい音楽とパフォーマンスで皆さんに会えるように頑張ります。
あと、
僕のソロ曲も収録されてるので、
ぜひ一度聴いてみてください

ロックだろうとフォークだろうとなんだって、
音楽を鳴らすというのはコミュニケーション

KEIKOの歌声が、
結果的に良かったんですけど、
すごく日本的な要素、
もっと言えば演歌的な要素もあったので、
それを無理やり洋楽にするんじゃなくて、
基本的にはJ-POPだろうと。......

言葉としてあったヲタクといわれてた人が世間的に薄くなってきていて、
今はみんながプチヲタクになってしまった

(江の島について)それこそ、
あれが勘違いのもとだったんですよ。
あそこの駐車場を暴走族がたまり場にしちゃったという、
あそこが暴力とセックスの温床になっちゃったということがね。
あの横たわった小さな島に、
悲劇も喜劇もすべてのみこまれている

全てのアルバムの間にライブがある

夢は自分から逃げない!いつも逃げるのは自分だ!夢は自分から冷めない!いつも冷めていくのは自分だ!

舞台に出た時から、
僕は僕でしかないから、
究極的に自分でいようと。
クラシックは愛されなくてもいいけれど、
つまらないとは思われたくないな

相手に求められるものに対応できるような柔軟さは常に持っていたい

文芸でも映画でも音楽でもそうですけど、
鬱屈感を表現している作品、
自分の憂さを代弁してくれてる作品っていうのが評価される傾向があるじゃないですか

得られたものの大きさはやってみた者にしか分からないでしょ。
トライしてみないことにはどうにもこうにもね

作曲家が過去を参考にするのは普通に行われていることだ。
それが発想の源になるだからだ。
もしあなたが今曲を書くとしたら、
10代の頃の経験や学んだことを思い出すといい。

ジェームズ・ポール・マッカートニー