名言大学

#音楽

「音楽家である前に人間であれ」っていう両親の言葉をいつも心に刻んでるんですよ

この前の<LUNATIC FEST.>も、
それまでしばらくドラムは叩いていない状況でリハーサルも一回しかできなかったんですけど、
でもプレイすると一瞬で感覚が戻ってきた

人間は誰でも踊りたいんですよ。
それは人間の定めなんです。
生物学的にそうできているんです。
ビートをきくと、
細胞が踊り出すようになっている。
1歳の子でも、......

僕はとにかく素晴らしい音楽を書こうとするだけなんだ。
気に入る人が気に入ってくれればいい。
目指す聴衆が誰かということは考えない。
レコード会社はそういう風な考えをさせようとしてくるけれど、
僕は「自分だったらこれを聞きたい」という歌を創るだけなんだ

星は死ぬのではない。
それはただ、
微笑みになり、
溶けて、
宇宙の音楽、
生命の踊りという元の姿に戻るだけ

あなたが音楽です。
音楽が続く限り。

メロディーはすでにみんなデジャ・ヴじゃないかと思うんです。
これだけ大量の情報が流れ続ければ、
誰がしかが新しいメロディーを試みても、
それはすでに人々の膨大な記憶のどこかにもうあるわけで、
今のヒット曲じゃないかと思いますね

人類は理想家たちの美しいビジョンによって支えられている。
人類は、
それらに導かれて生きている。

本当に恥ずかしいなァと思うの。
なにかオイシイことを言う人として要求されている、
みたいな勘違いが若手選手に感じられる

グッドモーニングランデ

俺は死に直面したとき、
生を感じる

いったい、
教則本とか学校の教程とかいうものは、
なるほど進歩を促進さすかもしれないが、
その反面、
一面的且つ固陋にする。
君たち教師というものは、......

ロベルト・シューマン

高尚な知性や想像力、
あるいはその両方があっても天才の形成に至りはしない。
愛、
愛、
愛。
それこそが、......

ぐだぐだ言うよりやりたい事があるならやれ

YMO『体操』はあれ、
ブルース進行だからね。
あのライヒみたいな組み合わせの音だと、
ブルース進行でもあまりブルースに聞こえないんですよ

君が僕と同じように感じたり、
理解したり、
君が僕のようになるなんて望んではいない

人が努力の末に手に入れるのは、
結局、
自分が求めるものではなく、
自分そのものなのだ。

作りたかったのは「聴く」音楽ではなくて「体感」できる音楽だった

僕は音楽と結婚している。
僕がやりたい種類の仕事にはそれぐらい(音楽との)親密さが要求されるのです

今日はずっと大好きなある大スターをやっぱり大好きなんだと確認した日でした。
カッコ良かったなぁ

いくつになってもまだやれる夢があるなら一歩だけ進んで、
周りを見渡して、
それからまた次を考えればいいんじゃないだろうか。
ほんの少しの勇気で、
その道は開かれる

絶技巧に中身(人間的、
愛、
頭)がなければ、
うつろな響きしか出ません。
そんなものは機械でやった方が良いでしょう。
演奏家の人格と頭脳は、......

仕事の成功法則というのは、
「○○すれば成功する」なんて言いきれるようなスマートなものじゃなく、
もっとガムシャラで泥臭いものだと思います

(サングラスをかけている理由)例えば如何わしい場所で人間の道を究める為

バージンのまま死ぬ奴なんて一人もいない。
俺たちはみんな世の中にやられちまうからな

アナログシンセは、
やっぱり耳に心地いいし、
パワーもあるし。
デジタル系のシンセの音は、
芯がないというか、
物が鳴ってる感じが、......

「ロック・ミュージシャンになりたい」なんて言ったら、
親も教師も友達も、
みんながみんな 100% 反対してくれたもんだった。
もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。
でも、
それはとても幸福なことだったと、......

憎しみは、
それを抱く者の上に跳ね返ってくる

生じるということは、
それが対象物(オブジェ)のようにそこにあるのではないことを表しています。
世界は、
現実は、
対象物ではない。
それは過程なんです

(もし目が見えたら最初に見たいものは?
)お母さんの顔が見たいです

同じ曲でも去年と今年では演奏は変わってきますし、
10年後、
20年後でも違いますので、
常に楽しんで演奏することが大切ではないかと思っています

音楽をやっている時は自由であるべきだし、
自分の一番自由に表現できるツールとして音楽があるべきだと思う

どっかに僕は刺を持っている。
どんなきれいなメロディでも刺がある。
その刺が、
その世界中のそういう人たちに、
何か悲しみを持っている人たちに刺さるんじゃないかとは思ったりもします

ウインカーはひっこめようぜ、
俺たちは直進するんだ

私は初めから音楽には境界線はないと信じています。
それを我々のファンが証明してくれました。
私は音楽を通してその境界を破壊したいと考えています

欧州では、
人々が絶えず自分の傘を開こうとする傾向にあることもまた確かですね。
人々は文化から降ってくるものを好まず、
真の文化的純粋性に行き着くと信じているのです。
それは疑いもなく幻想なのですがね

自分の周りの人や物事に感謝することを習慣にした

朝起きて夜寝るまでの間に、
自分が本当にしたいことをしていれば、
その人は成功者だ

THE 野党は、
思いつくまま自由に、
楽しみながら遊びながら音楽をクリエイトしつつ、
最終的にはプロフェッショナルに仕上げるっていうことをテーマに掲げてやってますね

クラブカルチャーを取り巻く環境において、
僕たちが懸念していた大きな問題は、
上海や北京、
韓国といった他のアジアのクラブマーケットに比べると、
日本が出遅れているということ

Zeebra(ジブラ)

オルタナをやり始めた時は、
「暗い」「分かりにくい」という声があって、
若干構えてしまったんです。
力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。
すごく文字にしづらいかもしれないけど、
スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか

人生に起こるさまざまな出来事・・・・。
それは、
子供が足し算・引き算から学び始め、
段階を踏んで、
難しい問題に取り組んでい・・

(バーンスタインからの協力もあり、
ウィーンでのリサイタルへの出演が決まるが、
直前に風邪をこじらせ、
聴力を失うという最悪の事態に)せっかく掴んだ最高のチャンスを逃してしまい、
毎日、
泣いて過ごした。......

僕が初めてBOØWYというバンドでベルリンの伝説のハンザトン・スタジオにレコーディグのため訪れたのは1985年

自分と真逆のところにいる共感できる部分なんて、
ひとつもないように見える人間にまで届く音楽を作れたら

父親を失った時から、
そしてメンバーを失って更に生きてる事に罪悪感を感じて、
「なんで僕は生きてるんだろう」「なんで自分じゃなかったんだろう」っていつも生きてきた

音楽は背徳を伴わない唯一の官能的な愉しみである

人って感情的な時にこそ、
音楽が必要になるの。
感情的になりやすい時って、
恋に落ちた時か失恋した時

文学・音楽・劇にみられる批評家の仕事は、
あらゆる商売のうちで最も下卑なものである

完璧に浄化され高められた者が苦悩を体験する必要など、
どこにもない。

ヘクとパスカルのメンバーは、
子ども時代の世界をそのまま残したような3人なんですよ。
世代は違うけど、
そこだけが一致している。
それで音楽の波長が合うんです

芸術と芸術のコラボレーションには、
まだ多くの可能性があると思います

(これさえあればご飯何杯でも食べられるオススメのおかずは?
)シャケ

うん・・・・歳を取ったんだね。
そういう気がします。
おっしゃる通り、
曲を作りながら、
故郷とか、
家に帰るとか、......

難しいんだよ、
ロックンロールをやり続けるっていうのはね

曲を書く際に、
人を感動させようとか、
美しいメロディーを書いてやろう、
と考えているわけではない

俺たちの世代は“四無主義(無気力、
無関心、
無責任、
無感動)って言われてたんだけど、
やっぱり若者は悶々としつつも疲れてるんですよ。
髪の毛を伸ばしてシンナー吸ってなじられる若者は、......

正しくない事を言ったりしてるやつが居たら自分ひとりでもちゃんと「それは違う」って言えよ。
そしたら俺みたいに嫌われたりもするだろうけど、
最後は正直者が笑うんだからさ

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている