名言大学

#科学・化学

数学は科学であるばかりか、
芸術でもある。
それもきわめて美的な芸術である。

恋に落ちることは愚かな行為だ。
・・とは言いきれないが、
重力にその責任はないだろう。

科学コミュニケーションは楽しいですよ。
重要な判断を他者に委ねるのを良しとしないならば、
一般人がサイエンスの基礎を理解するのは大切なことです

科学的な根拠に基づいて研究した結果、
5回転までは人間の能力でできるという結果が出ているそうです

田中れいなが卒業して、
今のモーニング娘。
に入ってどう化学反応を起こすかということも含めて、
スター性があって「モーニング娘。
といえばコイツ」と言われるような子が見つかればいいんですけど。
そうい子が入ると、......

財政が苦しいからといって、
科学や教育の予算を大幅に縮減するとしたら、
それは国の将来を危うくします

信頼されるリーダーになるためには、
ユーモアを武器として上手に使うべきです。
中でも自分の欠点をメタ認知し、
自虐ネタに変えることは、
ユーモアセンスを磨く一番いい方法だと思います

もう少し工夫して、
小学校でも、
これは面白い、
こういうことに進めばやりがいがあると思えることを、
中に含められるような教育だったら、
理科離れが起こりにくくなる

数学は科学の女王であり、
数論は数学の女王である

この世界を個人的な願望を実現する場とせず、
感嘆し、
求め、
観察する自由な存在として、
そこに向かい合う時、
我々は芸術と科学の領域に入る

私自身はなるべく幅広く、
いろんなことを自分自身が知らなきゃいけないということで、
めちゃくちゃ本を読んで、
めちゃくちゃいろんな勉強をした。
全体をいつも掴むんです

先生はサルから進化したと言われるが、
おじい様の先祖か、
おばあ様のほうからですかな?

やろうと思ったら、
1秒後にはじめよ

科学は真空状態の「純粋な知性」として存在するものではなく、
それぞれの時代の政治的な状況や権力、
お金の構造と密接に関わりながら存在しています

無からは、
何物も生まれない

近年ノーベル賞受賞者が多数出ているからといって、
現在の日本の科学の現状が万万歳ということにはならない

安全な道が一番危険な道になる。

『金を残すは下、
事業を残すは中、
人を残すは上』と明治期の政治家、
後藤新平が言っているように、
いい人を多く残すことだ

「今を生き切る」という生き方を続けていると、
物事に対する直観的判断が鋭くなったのです。
また、
人生において運気を引き寄せるようになったのです。
それがなぜなのか、
私には科学的に説明できません。......

ある人の友人関係は、
その人の価値を測る最も適切な物差しのひとつである

私自身が偉いものを考えたり難しいことをやったのではなく、
全て微生物がやっている仕事を勉強させていただいたりしながら今日まできている。
そういう意味で私がこのような賞をいただいていいのかなという気持ち

創造的な表現をすることと知識を得ることに喜びを感じさせることが、
教師とって最高の技術です

原因を探求し続ける力が、
人を発見者にする

物事は全て、
出来る限り単純にすべきだ。

どの一つの科学も、
数学なしでは十分に知ることはできない。

もし数学以外の科学において、
疑いのない確かさと誤りのない真実に到達することを望むなら、
(すべての)知識の基礎を数学に置・・

日米両国を行き来して感じるのは、
米国では科学者は多くの若者たちのあこがれの的だが、
日本ではそうなっていない。
どうしたら、
この日米の溝を埋めていけるのか考えている

ソクラテスは「無知の知」と言っていますが、
科学教育の本質はまさにここにある

常識とは、
18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。

科学の面白さ、
真実を追求する素晴らしさに導かれてきました

自然科学は本来、
観察好きの心を植えつけるものだが、
同様に数学は、
創造の能力を刺激するのが本来の性質である。

ジェームス・ジョセフ・シルベスター

私は今、
孤独の中に生きています。
若者には苦痛だが、
成熟した人間にとっては甘美な孤独の中に

羊の群れの完全無欠な一員になるには、
まず、
とにもかくにも、
自分自身が羊になることである

もしも数学の本質を短くひと言で定義しようと思うなら、
それは無限についての科学だと言わなければなるまい。

諸君は「選択」を迫られているのだ。
科学技術による「勝利の可能性」か、
それを放棄することによる「確実な敗北」かを

科学は絶えず進歩している。
常に明日の飛躍が約束されている

愛は決して眠ることはできない

知性とは、
ある種が生き残るために必要な物事をどれだけ能率的にこなせるようになるかに基づく

学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、
なお残っているもの、
それこそ教育だ。

人が事実を用いて科学を作ろうとするのは、
石を用いて家を造るようなものである。
事実の集積が科学でないことは、
石の集積が家・・

できるだけ生体を傷つけない非侵襲的な治療法を開発することが求められています。
このためには神経科学者、
技術者や物理学者による異分野間の協力が欠かせませんが、
近年の脳科学の進歩を考慮すれば、
今から20〜30年のうちに非侵襲的で特定の脳領域だけをターゲットにする治療法が実現するでしょう

研究者になっても自分のやりたいこといっぱいあってもどちらが世の中のためになるかなとか人のためになるかなとか分かれ道に立った時はそういうことを基本にしていたと思います

科学とは事実を整理すること。
それによって普遍的な法則あるいは結論を見出せる

培養液の中で砂糖やグルコースが1、
2晩であとかたもなくアルコールになっている。
有能な有機化学者でも1晩でできない、
生物はすごいと思った

科学者とは、
自然の秘密と美しさを探し求めるおとぎの国の旅人であり、
それは大変面白く、
夢のある楽しい仕事です。

父親が自然科学者だったこともあり、
科学のことならオレもという気持ちもあって、
日本のSFを書けるのはオレぐらいじゃないかと

良く観察をする、
ありのままを観ることは化学ばかりでなく科学全般を学ぶ上での基本である

自分が何ものであるかを決めつけてはいけない。
明日の自分は、
今日の自分とは全く違う存在になっているかもしれない。
そのような心構えでいる限り、
人はいつまでも成長し続けることができる

私は科学者の社会的責任という言葉はあまり好きじゃないんです。
科学者であるがゆえに自動的に社会的責任が発生する、
というようなニュアンスに受け取れるからです

ドイツのことわざを思い出します。
「人は皆、
自分の靴のサイズでものごとを測る」

大切なのは、
疑問を持ち続けることだ。
神聖な好奇心を失ってはならない

論文を書くときには世界で1番じゃないと論文じゃないんです。
1位を取るぞという目標があるから研究者も寝ずに頑張るんですね。
2位でもいいぞといった時点で科学は成り立たなくなる

今現在で、
最も悲しい人生の側面は、
社会が知恵を集める以上の速さで科学が知識を集めていることである

根拠のない自信を持つ人は、
他人に対しても根拠を求めない。
それが、
自由な空気を醸成するのだ。
根拠のない自信を持て。
それを裏付ける努力をせよ。......

(生化学の分野から、
脳科学の分野へと研究分野を変えた理由について)結局、
常に自分が興味が持てることをやりたかったから、
変えただけのことだ。
それからノーベル賞までもらって上り詰めてしまい、
だんだん追求することが少なくなっていき、......

社会は良心の上に立ち、
科学の上に立つものではない。

私は、
どんな国にも友人たちの集団にも、
家族にさえも、
心から帰属したことはありません。
これらと結びつくことに常に漠然とした違和感があって、
自分自身の中に引きこもりたいという思いが、......

有利な個々の変異を保存し、
不利な変異を絶滅すること。
- これが自然淘汰である

科学者は自分たちが教えを受ける教師の光輝に駆り立てられ、
鼓舞されるものだ

創造力は知識よりも重要だ。
知識には限界があるが、
創造力は世界を覆う。