名言大学

技術の上手下手ではない。
その心が人を打つ

楽譜に書いてある通り、
非常に几帳面にやって、
規則に合ったことをやって、
「はい、
これで終わり」の演奏会をされたら、
みんなバカバカしくなって、......

集中力っていうのは、
天才のものじゃないんだ。
訓練だ

お客さんは、
音楽会に来てそういうこと(ニュアンス)の幅があったり、
高さや深みがあったりすることで、
その曲の一番いいところを聴いたなあ、
と満足してくれるわけですよね

親の方が子供から得ることがよっぽど多いですよ。
それと同じで、
教えるということはとても勉強になる

言葉よりも音楽の場合はね、
本当にニュアンスの差がちょっとで違うから、
幅というか高さなのか知らないけど、
奥深いんですよ。
それを指揮者の場合は、
意識してやっておかないと、......

これまで生きて、
悲しみを味わった経験。
悲しみは、
人から教われないからね。
自分でわかんなきゃ、
わかんないわけだから

悲しさが、
震えちゃうぐらい悲しいのか、
それともさびしさが入っている悲しさなのか。
あるいは、
ほんとにもう悲しいのが中に入っちゃって外には出てこないのか、
泣いちゃうぐらい悲しいのか・・・・。......

日本人がどこまで西欧音楽を理解できるかという壮大な実験をしてきた

音楽の本質は公約数的なものではなく、
非常に個人的なもので成り立っていると思う

指揮で怒られるのは僕と(山本)直純さん

雑用を全部僕がやっていた。
助手というより丁稚(でっち)ですね

本当の音楽をしていれば、
絶対に報われないということはない

先生(恩師の斎藤秀雄)が病気で死ぬことをみんな知っているから、
みんな泣きながら弾いているの心の中で。
全員が先生の手を見つけているから、
信じられないくらい音がぴったり合っているの。
僕は今でもそのテープを持ち歩いて、
先生のことを思い出すたびにそれをかけるんだけどね。......

振り返ってみて、
僕は本当に幸運だった。
多くの師に恵まれて経験を重ねられた

できる者ではなく、
最低の者のレベルを上げることこそ教える者の技である

自分が年をとってきたからかもしれないけれど、
大事なものとか美しいもの、
美しいと言ってもただ見て美しいのではなくて、
心に染みわたる美しさとか、
心を打たれる美しさというのは、
少し悲しみの味がするのよ

その場でふりかかってきたことを、
精いっぱいやって、
自分にできるかぎりのいい音楽をすることによって、
いろんなことがなんとか運んできた

ある意味酷いですね、
指揮者の人間性を見に来ているっていうことで。
それは指揮者だけじゃなく、
それを演奏する一人一人も。
一人一人がそれを知らなかったら、
出てこないですからね

言葉ができないと不自由ばかりですけれど、
一つよかったのは、
海外で指揮する時に私は喋らないんです。
喋れないから。
言葉が堪能だと、
説明しすぎてしまうでしょ。......

今は英語ができれば、
世界中ほぼ通用するでしょ。
ほんの少し前までは、
フランスではフランス語、
ドイツではドイツ語を喋れなくてはいけなかったけれど、
今はパリやベルリンでも、......

建築はもちろんですけれど、
音楽も生活と結びついています。
だから、
(外国で)暮らさないと、
本当の音はわからない

テレビで見たり、
インターネットで調べたりで世界を知った気持ちになってしまう。
確かに私たちが若い頃よりもはるかに海の向こうの情報は入ります。
でも、
それは他の誰かの体験であって、
自分自身の経験ではありません

空港で若い日本人の姿を見ると、
ちょっとがっかりさせられるの。
私はいつも「外国を見たほうがいいよ」と言ってはいるけれど、
1週間くらい観光して帰国するというのはねえ。
できることなら、
じっくりと勉強してほしい。......

日本製の地球儀を眺めると、
日本が赤く塗られていますでしょ。
世界全体から見ると、
日本語圏はあれっぽっちです。
そこだけの価値観で一生を過ごすのは、
もったいないですよ

東洋人でもモーツァルトを真のところでつかまえられると。
ベートーベンも本当に真のところでつかまえられると。
ドイツ語のアクセソトはつかないけれど、
オーストリアのザルツブルクのアクセントはつかないけど、
真のところではつかまえられると。
それを再現できると、......

言葉は全然違うけれども。
あいうえおとABC、
フランス語とドイツ語、
イタリア語と日本語、
韓国語と中国語では、
全く違う感情があったり、......

僕は「東洋人と西洋人は違う」ってはっきり言いました。
だけど、
どっかではつながっているんだと思う。
世界共通、
人間の感情は

僕が思うこの悲しみは、
この人たちとは違うんだ、
と思ってはやってはいないんですよ

ベートーベンやモーツァルト、
彼らがつくった音楽は、
その土地柄だけのものじゃなくて、
純粋な音楽をつくっているから、
どんな人間でも、
その人なりに理解できるんだと思う。......

オーストリアのザルツブルクで生まれたモーツァルトが書いているものは、
その土地の、
その人たちの悲しみとか喜び、
幅広さとか、
うれしさだけの意味で書いているとは僕には思えない。
もっと高いところにあると思う号の芸術ってものは

音楽は、
非常に「個」の強いものです。
一人一人の経験の中から、
じわじわっと出てくる

実際にその悲しみを体験しなくても、
そういう悲しみが人生の中にあるってことを、
わかっただけでもだいぶ違う

いい演奏家はね、
若くて経験はなくても、
わかる人はわかる。
不思議と。
で、
それがまた身になっていく

中学までは、
豊増昇という先生に就いて、
ピアニストになるつもりでした

学生さんにいいのがいると、
若いのにいい資質の人がいるとますます教えたくなる。
本業よりそっちのほうが面白くなったりしてね。
で、
女房にしかられたりしています

教えたくなるというのは、
もう本能ですよね。
なんかそうみたい。
これちょっと麻薬的なところがあって、
教え始めるともうやめられなくなるんですよね

意外に多いですよ。
両親に言われて音楽家になって、
ずーっと勉強していて、
ハッと気がついたら音楽が余り好きじゃなかったというような人が

音をただ並べるだけでは音楽にならないわけで、
どうやって作曲家が紙に書いたものを音楽に戻すかと、
ここのことですよね

「音楽作り」には四重奏が大切だと信じています。
細かく言えば、
音楽の語法とか、
論法とか、
そういうものを習うのにも四重奏はすごくいい

音楽の本当の芯を作るのは、
弦楽四重奏の主なる特徴なんですね。
弦楽四重奏というのは、
飾りがないんですよね

じっと楽譜を読み続けていると、
ある時、
頭の中で音が鳴り始めます。
現代の作品であれ、
中世の作品であれ、
作曲家の頭の中で鳴っていた音楽が聴こえてくる

音楽というのは、
作曲家のものです。
でも、
五線譜に書いただけでは音にならないから、
演奏者や指揮者がいるわけです。
だから、......

初演というのは、
ものすごく責任があります。
というのも、
作曲家が、
自分が書いた曲を初めて聴くわけですから

カラヤン先生も、
レニーも、
8分音符も16分音符もぴったりです

レニー(バーンスタインは「レニー」と呼ばれることを好んだ)はね、
感覚的なの。
指揮する姿は典型的なアメリカ人。
見た目はおおらかです。
ところが、
演奏内容はディテールにいたるまでピタッと正確。......

(カラヤン先生は)オーケストラ全体の方向性をきちっと見ておけと言うだけ。
カラヤン先生自身、
目を閉じて、
全体の行方だけを確かめるような指揮をするんですが、
演奏のディテールは正確です

59年にフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで一番になってカラヤン先生に弟子入りしたけれど、
私、
言葉がわからないでしょ。
大変でした

齋藤先生が教授を務める桐朋学園短期大学では、
ソルフェージュという耳の教育のためにフランスから専門の先生を呼んでいました。
私も桐朋学園に入って勉強しました。
ソルフェージュをやると、
音を聴いてすぐに譜面にできます。
だからこそ、......

私は当時、
指揮ということすら知らなかった。
実は、
オーケストラを聴いたこともなかったんです。
ピアニストを目指しながら、
成城学園中学校でラグビーもやっていて、......

小澤 征爾(おざわ せいじ、1935年9月1日 - )は、日本の指揮者。2002年 - 2003年のシーズンから2009年 - 2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた世界的な指揮者である。