名言大学

#料理人

できないとか言ってしまうとそれまでやけど、
出来ることは出来るだけする。
これ私のスタイル。
まあ、
50年以上このスタイルやからもう治りませんな(笑)けど、
お客さんに喜んでもらったら一番や

誘惑に負けてしまうんですよね、
楽をしようと。
職人が楽しようと思うとロクなものにならないんです

16歳のときに新島のスナックでお客様から「ありがとう」と言われた喜びから始まり、
そう言われる仕事を続けていこうという気持ちがベースにありました。
試行錯誤しながら結果的にソムリエという職業を選びましたが、
僕の原点は常にそこにあります

(早乙女哲哉さんのことを)あれだけ味の分かる人、
そんなにいない

ワインの知識で得たのは本当の基礎の基礎で、
自立する事は?
っていう考え方を持つきっかけにはなった

オレが料理を作って、
一緒に食べて、
おしゃべりをして、
おしゃべりしたくない人はすぐに寝て。
そう、
自由にね。......

人生くよくよしたらあかん

臨時国会の時など、
二五〇本くらいの氷を会議場の後に置いて、
扇風機をかける、
なんて今では考えられない苦労をしてたもんです

(体調が悪くなり、
仕事量を減らして自宅での時間が増えた際)退屈でしょうがない。
だから店に行って働いてる方がいいけど、
それだと今度は体がもたない

(17歳のラーメン修行当時)しんどかったけど手を抜いたことは一度もないよ

ルセット(レシピ)は、
やはり音楽でいうと音符っていうか楽譜。
それと同じでそれを弾くピアニストとか、
いろんな人の技量で表現は変わってきますよね

これでいいってことは、
まず、
ないと思います

ソムリエの仕事は、
あくまでお客様の好みや、
その日の料理に合った飲み物を勧めることです。
その前提として、
「目の前のお客さんを喜ばせる」というサービスの基本があります

プロになるためには一つの仕事に関わった時間ではなく内容が重要です

たとえばゴルフをやるときに、
雨が降ってきたとする。
そのときに嫌だな、
と思ったら、
それは負けだ。
雨が降ったら、......

「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録され、
世界に「和食」が認められ注目されるようになり、
日本料理を日々極めていく我々にとって非常に誇り高く、
真の「日本料理」を継承し、
今の時代だからこそできる新しい日本料理を生みつつ、
技術と感性を伝承していこうという意欲と使命感が改めて増した年でもありました

これ(この瞬間)を逃すと商品にならない、
作品にならない。
全てが綱渡りみたいな仕事ばっかりしてるんで、
その中に本当の美味しさがあるんですよ

味見をするんであれば赤みと中トロが一番見やすい

今、
来てくれているお客様が大満足してくださるように尽くすことだ

親父の代から働いてくれている方たちの生活をきちんと保障し、
これからも一緒に頑張って、
豊かになっていきましょうと先導していくのが、
僕の役割だと思ったんです

努力してみてでけへんかったら、
それでええやん

いつも全身全霊で打ち込む。
これは言うは易くなすは難しだ。
根気と志がなければやり遂げられない

食は命を守る大切なもの

キミはまだ20歳じゃないか。
まだ若いのになんでそんなに人生の結論を急ぐのかなぁ

実は(鉄人としての出演オファーを)断ったあとに、
大ベテラン料理記者の岸朝子さんから「アンタ、
バカか」って怒られたんだよ。
岸さんはオヤジの料理を取材に来ていたんで、
助手だった俺のことも知っていた。
だから、......

『食』に携わって生きている私達は、
『食』を通じて皆さんに喜んでいただき、
日本を元気にして参ります

人生には「ここ一番」という踏ん張りどころが何度かある。
どんな分野でも一流と呼ばれるのは、
そういう「ここ一番」の局面で踏ん張れることができる人

選んだ以上は一生懸命、
体張ってやるのは当然でしょ

(ラーメンの世界はいつから?
)17歳の4月10日から

一流っていうのは、
ある形が、
ある到達点があるわけではない

健康でありさえすればどうにでもなる。
神に祈るとしたら、
我に健康を与えたまえ・・・・です

美味い料理は、
人をニコニコ、
活き活き、
バリバリ、
元気にいたします

厨房で働いている若い人たちにも、
『お客様への思いやりを大切にすること。
それができなければ、
包丁を持つ資格はない』と教えています

中国にうまいものなし!!!

現代のストレス社会のなかで、
仕事仕事って、
枠にはまって仕事ばっかりやってちゃだめなんだ。
もっと楽しまなきゃ。
自分も楽しんで見ている人も楽しいって喜んでくれる

とにかく僕は客を一度でいいから店に来てもらうにはどうしたらいいのか真剣に考えたのです

○○も、
ちょっと工夫でこの美味(うま)さ!

市場に行くと旬が分かります。
行ったらメニューが浮かぶんです。
私“市場六三郎と言われているんですよ

市場に行かなきゃ魚は見れない。
一番腹が立つのは近ごろの若いやつは注文を電話でするんです。
電話で魚は見えないだろうって

小さな店に経営者が二人いると、
命令系統も二つになるから私の意志が従業員に行き渡らないんです。
必ず店の内部が二つの意見に割れてしまう。
これじゃあ料理長としても経営者としても困ると思い共同経営者に権利を譲り、
それを元手に「ろくさん亭」を独立開店させることになるわけです

技を磨くことに人生を賭けなきゃ

自分が日本料理の世界にいるから言いにくいんだけど、
でもあえて言うと、
必ずしも先輩の仕事を受け継ぐことだけが大切じゃないと思っているんです

修業は、
一生終わらない

もし、
苦しいことから逃げ出すことを選択していたら、
ズルズルと落ちるところまで落ちていたと思う

他人がどう思おうとボクは自分のことをオシャレだと思っているからな

「負けて悔しくない」と言えばウソだって。
悔しいに決まっているじゃない

千種類の中華料理の味は覚えている。
味と食べた記憶の見た目は覚えている。
そうすると、
自ずから『この味とこの色を出すには、
これとこれが要る』ってことが分かる

(2014年の安倍首相とオバマ大統領の会食の際)お出ししたものはみんな召し上がっていただいた

私は皿洗いから始めました。
父は大変厳しかったけれども、
最高の指導者でした

量も味のうち

悔しいと思うだけじゃ、
いつまでも負けるわな

自分の仕事に惚れきゃダメなんですよ

子供がいないので二代目はないと。
この店も私一代で終わり、
そういう事でやってきた

知らないことは、
恥ずかしいことではない。
『教えてぇな』とたずねると、
そんなことも知らないのか、
と言うやつもいるが、
そんなのはどうせたいしたやつじゃない

生まれ変わっても寿司屋になりたいよ

今、
振り返ってみても、
(料理の鉄人は)メチャクチャおもしろい番組だったな。
だって、
料理の原価計算をしなくていいんだよ。
何でも材料がそろっていて、......

仕事にも人生にも締め切りがある

どうやったら店まで客に来てもらうかを真剣に考えました。
まず店の男性に着物を着せ、
角帯をしめさせました。
そして彼らに、
銀座のクラブのママ、
評判の良いホステスの名前と誕生日を調べさせて、......

全員が美味しいという料理はこの世に存在しない

いい仕事ですよ、
誇りのある仕事ですよ