名言大学

#バスケットボール

ハシームは、
絶不調の日でも221cmの高さから僕に向かって笑顔を投げかけてくれた

(子どもの頃、
レイカーズファンだった?
)いや、
僕はそうじゃなかった。
家族は皆レイカーズファンだったけど、
僕は違った。......

あまり考えすぎると自分のやるべきことが絡まったりする

僕は小さいのでそれを生かしたプレーがあるんですよ

(成功に)必要なのは信じる心と人生でやると決めた事に対する、
消える事のない情熱

日ごろの観察力が的確な状況分析を導くし、
その方向性において自分の軸なり芯がぶれなくなります。
そうすれば、
この人についていけば「絶対に」じゃなくても、
「まあ、
だいたいは間違いないかな」というくらいに部下から見てもらえるようになります

(引退を決断した後)本当に、
一生懸命、
ハードに、
全力で取り組んできた

コートに2時間いても、
たったの10分に感じる

フィラデルフィアは俺にとって一番すばらしい場所であり続けた

できる限りのことをやる

大事なのは成功したいという意志です

勝って当たり前と思われてる中で勝つことがどれだけ大変か

神様がくれた能力と僕の持てる全てを賭けて、
人生を素晴らしいものにしていく

ハートのすべてを注ぎ込めば、
勝利するかどうかは問題ではない

僕が出るべき場面と、
そうでない場面は、
自分なりにしっかり区分けしてやっている

もっと責任のあるポジションを今の自分が経験することで、
自分自身を変えなければいけないという気持ちも出てきました

めったに怪我をしないのは、
常に全力でプレーをしているからだ

言葉で共感を得られなければ、
決してリーダーにはなれない。
今の時代、
黙っていても察してもらえるというのは、
甘い考えだと思う

(NBA参加後)シューティング一つしているだけで、
もう僕は試合以上に集中しないと駄目なくらい。
彼らのシューティング練習はそれくらい入るんで、
毎日たまげていました

間違ったら、
それを受け入れ、
そこから学び、
成長しなければなりません

感謝の気持ちはその瞬間、
瞬間で湧き上がるんだ

何か営業目標があるとき、
困難に向かっていかなくてはいけないとき、
勇気付けであろうが、
上司が「まあ最悪の場合、
こうなってもいいから」とか、
「結果は気にせず頑張れ」とか、......

アリーナが満員にさえなれば、
俺がワイルドでもクレイジーでもみんな気にしなかった

私はジョーダンになりたいわけでも、
マジックになりたいわけでも、
アイザイアになりたいわけでもない

自分自身の内面を見つめないといけない

何度失敗しても鏡の前で言うんです。
『で、
どうするんだ?
』と

苦しいことがあるから、
最終的に感謝する瞬間が生まれる

バスケというのはスポーツの中でもすごい黒人が多いスポーツで、
黒人でデカくて、
そういうのがすごくカッコいいというのは、
本当にカッコいい、
憧れみたいなもので僕もすごい勇気というか、
元気づけられた

そもそも時期尚早と言う人間は、
やる気がないということなんだ。
でも、
私にはやる気がありませんとは情けなくて言えないから、
時期尚早という言葉でごまかそうとする

どれだけ周りに影響することができるか

オリンピックってそれくらい、
人を頑張らせる力を持っている

バスケットボールを愛する全ての皆様が、
日本バスケットボール界の将来を共に考え、
そして『豊かなスポーツ文化の振興』のための議論と成果を導けるよう全力を尽くしたいと思っています

自分の本当の戦いはこれから

一生懸命努力すれば才能を超えることができる。
努力を怠れば才能を発揮できない

高みを目指したい

あなたは最初であり最後の存在です。
アルファとオメガです。
僕の人生を救ってくれた神様に御礼を言いたい

自分で自分を信じてあげないと。
誰も信じてはくれない

どれだけ自分を信じるかじゃないかな

強い覚悟を持って日本代表のキャプテンを引き受けました

悔しい時は過去を思い出す

俺はいつも毎回の試合を魅力的にする。
新しい方法を探している

お姉さんは僕より年上、
妹は年下だったんですが、
お姉さんがいよいよ結婚するという時に、
妹さんが、
「もし川淵さんが、
お姉さんと『何年たっても結婚する』というならば私は待っていてもいいですよ」と言われて、......

子供の頃から、
僕は常に勝ち組だった

無理だって言う奴はチャレンジしてない奴だ

背が小さいチームでも世界と戦っていける

この世に普遍的かつ意義あることなんてあまりないんだぜ

(オリンピック出場を果たして)夢や希望を与えてくれる場所になったのかな

(NBAのコートに立った日本人2人目としてどういう意味を持っている?
)日本の若者たちを導くパイオニアの一人になれたらと思っている

40歳になるまで試合をしたい

(2019年3月25日の引退会見)一つの目標であったオリンピック出場をリオで達成して以降、
気持ちやモチベーションに違和感がありながら活動をしていました。
引退という言葉が私の中で出てきたのは昨シーズンの途中からです。
去年からそういう話をする中、
今シーズンも現役続行という形をとった時、
私の中で今回がラストシーズンと決めていました

本当に小さい時からNBA選手になりたいという夢があって・・

若い選手にできるだけ早い段階でオリンピックを経験して欲しい

その都度、
その都度、
全力の選択をしてきた

ママ、
あなたこそ真のMVPです

キャプテンって、
他の選手と一緒じゃ絶対にダメ

私はそれはもう、
とても怖い上司だったと思います。
でもね、
怖いからこそ、
ときどき褒めたときに効果があるのです

自分のことを評価してもらって、
ダメだったら実力がなかったというだけのこと

誰かが僕との試合で最高のゲームをしたら、
2度とはさせないようにする

チームによって合わせられるような選手になりたい