名言大学

#スケート

オリンピックの魔物って、
結局のところ、
自分の中にいるものなんだと思う

オリンピックの本当の怖さ、
オリンピックの魔物というものを少し感じた

まさか。
もう僕たちの誰もフィギュアスケートを選ばないさ

メダルの色はそんなに光っていないけど、
私にとっては金メダル

どこにだって行きますよ。
僕、
上手くなるためなら、
何だってしますから

前はすごい孤独だった。
だれも分からないんだろうなって思ってた。
祝福されるたびに自分の気持ちよりも、
周りがあまりにも幸せになりすぎて、
僕の幸せって何だろう?
と思って

僕は確かな行いをしたと思いますし、
もし誰かが生き続けること、
仕事を愛すること、
腕を垂れないことをそれによって鼓舞されたなら嬉しく思います。
どんな場合でも!僕はそうしてきたと思います

原点に戻り、
名古屋の“おばあちゃんコーチとして、
孫のような存在の子どもたちにスケートの楽しさを伝えていくことに大きな喜びを感じ、
底辺拡大に努めています

トリプルアクセルの練習を始めたのは小6か中1の13歳でした。
14歳で回転不足でしたが着氷しました

私が好きなのは五輪そのものではなく、
そこに至るまでの過程なんです

誰かに勝ちたいという気持ちはなかった。
フィギュアスケートは、
リンクに出たら自分一人。
だから自分との闘いなんです

地下鉄を利用しろなんて。
昔は地下鉄や列車でさんざん移動しました。
飛行機で大会の場所に移動なんて誰もやっていませんでしたから、
3等寝台列車とは何かをよく知っていますよ

(うさぎをみて言った言葉)わーうさぎみたい

誰かの心を動かせていることが、
とても嬉しいです

(06日米対抗戦で優勝した感想を英語で訊かれた時の言葉)アイライクショッピングモール

少しでもオーサーコーチの心に近づけるよう頑張りたいと思います

ジャンプの安定感が出ないと演技構成点も伸びていかない

昨日の自分は、
決して今日の自分を裏切らない

ファンに謝りたい。
そして、
私のことを信じてくれた全ての人に謝りたい

オリンピックは、
トリノだけではないから、
だいじょうぶ。
真央は次のバンクーバーに出たい。
それが、
人生でいちばん大きな夢

この道を選んだのも自分ですし自分で臨んだ道なので辛いと思ったことはありません

自分が携われるサポートはしていきたい。
私の滑りで「元気をもらえた」と言ってくださるファンの方々の声を聴くと、
私のやっていることは誰かのためになっているんだと感じられることがうれしい

応援メッセージや励ましを目にしたり、
耳にしたりした時に本当に自分は幸せな人間だなと実感しました

練習すればそれなりに嬉しいことも返ってくる

ふだんの生活をきちんとしておけば、
試合でリンクに上がってもシャキッとした姿勢で滑ることができますし、
練習のリンクでも身なりをきちんとしていれば、
自然と練習する意欲も湧くというものです

合宿の時だったんですけど、
浅田選手がトリプルアクセルを跳んでいて。
「タイミングで跳んでいる」というのを、
すごく感じたんですよね。
やっぱり生で見るのとテレビで見るのとはまた違っていて、
その感覚というかイメージが無意識に入っていった。......

僕の強みは『考えて、
分析して、
感覚をマッチさせて氷上で出すこと』

私指導している名古屋市のフィギュアスケートクラブというのは、
特別な入会条件も面接試験もありませんから、
さまざまな年齢のいろいろなタイプの子供たちがいて、
毎日レッスンに励んでいます

(「ヤングジャパンアクション」プロジェクトへの参加について)私は小さいころから多くの人たちに応援していただき、
勇気や元気をもらってきました。
ですから、
その恩返しとして、
感謝の気持ちを持って、
このプロジェクトに挑みたいと考えています

不安要素はないです

間違えたり、
失敗することは『成功への道』でもあるんですけれど、
何度も同じ過ちを繰り返してはいけません

もしお母さんたちが技術的にニュアンスの違ったことを伝えても、
それは私が直せばいいこと。
それ以上にお母さんたちが存在する意味は大きいと思うのです

反抗期になると生意気になったり、
行儀が悪くなったりする子がいますが、
そういうときは厳しいですよ。
ジャンプが上手に跳べなくても怒ったりはしませんが、
生き方に関することには厳しくありたいと思っています

(ペンギンを散歩させながら言った言葉)飛べるんですかね

スケートがもっと上手くなれると思うから、
今また上手くなろうとしているところ

僕は挑戦しました。
僕は国のためにベストを尽くそうとし、
スポーツのために、
フィギュアスケートのために、
ファンのために、
可能なことすべてをやろうとしました。......

僕たちはモスクワの郊外に家を買った。
サーシャが生まれた後で,アパートが僕たちにとって狭くなったんだ。
そして子供たちが来てくれたときのことも考えても,都心部の外に住むのが心地よいと考えたんだ

起きて日本なのか海外なのか分からないくらい行った場所に興味がない

悔しさを忘れないように銀メダルは見える所に置いておきます

信じられるものがなくなりつつある。
今の日本には、
ひょっとしたらそんな雰囲気もあるかもしれません。
でもやっぱり、
1人ひとりの持っている力を信じて、
「信じること」そのものが大きな力になる、......

ハードにトレーニングをしたり努力していたりする私の姿を見てもらえることによって、
同じような問題を抱える人たちを励ますことが出来ると信じてるんです

競技なので強い気持ちや、
勝ち負けを意識することもあると思います。
そうした気持ちを持ちつつ、
自分が楽しんでどこまでできるのか?
それを突き詰めていくのが、
今年の真央の挑戦かもしれません

(ソチ五輪について)ホテル、
スケートリンク、
物流、
インフラなどのすべての面で、
最高の五輪でした。
山間部に行くことはできませんでしたが。......

踊ることの楽しさを思い出すようにしています。
曲の中でダンスをしているイメージ。
そうするとあまり疲れません

限界なんて自分で線を引くものではないし、
諦めない気持ちがあれば限界なんてないと思う

スケートと出会えたことがまずは人生が一番大きく変わったことです。
人生が変わったというより、
そういう人生だと決められていたのかもしれませんけど

学校を設立したい。
そして必ず自分のアイスリンクをね

スケートをもっと気楽に楽しみ、
みんなに親しみを持ってもらいたい。
スケートは独特で、
エリートしかできない印象がある。
そうではないと思う。
本当に楽しんで、......

死んでもいいという気持ちで演技してます

今僕の最後のスタートに向けての準備に対し,悩ませるものは何もない。
家も建って,子供たちも育っている。
今最も重要なことは勝つことだ!

よく「自分は精いっぱい頑張っているんだから、
周りから頑張れと言われるとしんどい」と言うスポーツ選手もいるが、
僕は逆。
頑張れていないから、
頑張れ!という言葉に抵抗はない

何よりスケートの持つ芸術性に惹かれています

「負けてたまるか」という怒りの感情が原動力になる

現在は,僕はもちろん,アプローチの方法について違ったことを考えている。
毎日僕は朝8時にはおきて最初のトレーニングだ。
道はすでにとても険しい。
今は安定したクワドジャンプを跳んでいる。
文字通り昨日.クワドルッツを跳んだんだ。
これは今フィギュアスケートでもっとも難しいエレメントだ。......

僕の夢は、
みんなの夢。
叶えてみせる。
絶対に

結婚して、
子どもを産んで、
家庭をしっかり守っている女性は素晴らしいと思う

この1年は大学卒業を目標に頑張ってきた。
一緒にごはんを食べ、
スケートとは違った普通の話ができる友達もできた

(最後に地下鉄を利用したのはいつですか)しっかりと覚えてますよ。
17年前です(微笑)

結果を求めることが緊張につながるのか分かりませんが、
それが僕にとって貴重な経験になる

プレッシャーを感じても乗り越えることができれば、
自分が強くなれる