名言大学

#登山家

人は目標があればそれに向かって頑張ることができますが、
目標に執着し過ぎると周りが見えなくなり、
いつの間にか危機的な状況に追い込まれてしまうかもしれません。
山では、
そうした執着が命取りになります

「プロ登山家は、
山に登らないときはどんなトレーニングをしているのですか?
」よくこんな質問を受けます。
毎日ランニングをしたり、
スポーツジムに通ったりしていると思われたのかもしれませんが、
私はこう答えます。......

とうとう地球のてっぺんにたどり着きました

「無理をしないでください」「生きて帰ってきてください」みんなが僕に言いました。
「ありがとうございます」と返事をしながら僕は心の中で別の返事をしていた。
「無理をしなければ行けない。
死ぬ気でチャレンジしなければ生きては帰ってこられない。
だから僕は人生最大の無理をしますよ」と

命を惜しむと、
それまでの努力が無になってしまう

夢はひとりの夢ではなく、
多くの人と共有できた時にとてつもない力を発揮する

父のリハビリの様子を見ていた僕は、
「人間いくつになっても夢をあきらめなければ成し遂げられるんだ」と実感しました。
「自分も人生このまま終わってなるものか」と再び情熱が沸き起こりました

これまでの私の山を舞台にした自然との苦闘と違い、
アマゾンへの挑戦には、
恐ろしい中にも別なスリルの味わいがあった。
つね日ごろ宗教心などひとかけらもない私がとにかく真剣に神に祈ったのだから不思議なものだ。
しかし自分の力で切りぬけられるときには、
祈るよりは立ち向かうべきことを学んだ

僕らのようなプロ登山家でも、
後進を育成することには限界があると思っています。
基本的には発掘することしかできない。
ただ、
良いことも悪いことも含めて後進に伝えて行くことは大事で、
それは自分の重要な役割だろうとは思います

「諦めなければ夢はいつか叶う」という言い回しがありますが、
本当にその通りだと思います。
夢や目標を持つといっても、
そんなに大それたものでなくていいんです。
富士山に登ってみようとか、
高尾山に登ってみようとか。......

僕のプレゼンテーションの原点は学生時代にあります。
当時もスキーをするお金が必要だったから、
スキー部の仲間達とダンスパーティーやスキーメーカー協力のバーゲンセールなどの企画を立て、
いろいろな人に「この企画はこう役立ちます」と交渉していたんです

できるかどうかわからないことに挑むからこそ、
達成することに価値を感じられる

夢を諦めることこそが人間にとって最も無理をしている状態なのです

いつか、
楽しくなるはず。
そう信じながら、
今の困難をつらく耐え忍んでいる人もいるかもしれない。
だが、
それは自分が作り出した幻想に過ぎない

山で大切なのは欲ではなく、
自然にその一歩が前に出るかどうかだ

登山は「登頂」がゴールではないんです。
頂上は「通過点」の一つでしかない。
「折り返し地点」かどうかさえも、
すべての行程を終えてみないとわからないものなんです

再びやる気になっても、
初めはまさに醜態をさらす状態でした。
札幌の自宅から藻岩山に登ってみたんですが、
過去の栄光は見る影もない。
「たかが500メートルの小山」と思っていたのに、
途中で息が切れて先に進めなくなった。......

これからも「次はどんなことをしてみんなをビックリさせようかな」という、
ちょっぴり「いじわるじいさん」気分で(笑)、
自分も周りもドキドキ、
ワクワクするような冒険に挑んでいきたい。
それが、
僕の終わらない夢です

苦しみや不安は、
本当に自分をダメにするものなのだろうか。
苦しければ苦しいほど、
喜びは大きく、
苦しければ苦しいほど生きている実感がある

苦しさ等でどんどん追い込まれて楽しめなくなってくると心の余裕もなくなり、
それで良い判断ができなくなるということはいつも感じる。
どんなチャレンジをするときも、
どこかで心の余裕を持つ必要があると思う。
肉体と心はすべて繋がっているから、
心が満タンになってしまうとパフォーマンスも上がらない。......

いや、
オレはなんとしてでもやらねばならないのだ。
単独登攀はいつの場合にも危険なのはわかっている。
それを承知の上でやっているのだから、
自分で危険に直面もせず、
他人にいわれただけで中止するとはまったくいい訳にもならない

90代の親父に夢と情熱があるなら、
60代の俺にだってまだまだ何かできるんじゃないか――。
そう奮い立ったのです

欧米の方は自然の中にいることを楽しむという風潮が強いでしょう。
一方、
日本人や韓国人もそうかもしれませんが、
アジア人は鉢巻して「目指せ頂上」のような面が強いかなと感じます

アジア人は、
「群れる」というか団体行動をすることが多いと感じます

自分の足跡を残したい。
人の評価でなく、
自分でものをつくり出したい。
年がいくほど、
ますます青春を感じて夢が広がるんです。
でも、......

あの山に登りたい、
と思った瞬間から登山は始まります

私の十四座登頂達成について、
「日本の登山の新しい扉を開いた」と言ってくれた人がいます。
でも、
違うのです。
新しいステージへと続く扉は、
とっくに開かれていた。......

必ず壁はあるんです。
それを乗り越えたとき、
パッとまた新しい世界がある。
だから厳しく自分を鞭打ってやってきたときは、
振り返ってみたとき実にさわやかです

僕はとても臆病なんですよ。
高所恐怖症なんで、
高いところでは足が震えます

仕事でも日々の生活の中でも、
冒険することはできる。
そう考えると、
今見えている光景がきっともっと輝いて見えてくるはずです

地形や植生、
たとえば途中で倒木の皮が剥がれているのを見て、
これはシカが食べた跡だとか、
教科書で見るよりも生々しく分かりますよね

人生、
このままたそがれちゃいけない

夢を持ち、
否定されても気にしない。
壁がきたときこそが、
チャンスなんだ

多くの会社を回ろうと、
計画書をもって私もずいぶん歩きました。
しかし、
全然相手にされず、
女性だけでヒマラヤ登山ができるはずはないとか、
90%以上の可能性がなければ社として援助はできないとか、......

世界最高の気持ちです。
まさか80歳でエベレストの頂上にたどり着くとは

長く生きられたかどうかは関係ない。
大切なのはいま、
どう生きるかだ

高所登山は、
どうしても命がかかっちゃうんですね。
でも登山に限らず、
命をかけて臨む行為は崇高だと思っています

1970年にはエベレスト山頂からのパラシュート直滑降に挑戦したのですが、
当時の日本人にとってエベレストは未踏の地。
誰も知らないエベレストで初の試みをするのだから、
しっかり映像を残そうと「どうせなら将来、
ハリウッドの映画祭でオスカーをもらえるような映像に」と計画しました

70歳や80歳であきらめる人が多すぎる。
80歳がスタートだと思えば、
人生がおもしろくなるんじゃないか

山には相性がある。
山に呼ばれなければ、
なかなか行けない。
エベレストの女神に3回呼ばれて、
とうとう3度目の登頂になった

他のスポーツのプロ選手と同じように、
登山をプロスポーツと位置付け、
その世界の魅力を多くの人たちに伝えられる存在でありたいという決意を込めて、
私は「プロ登山家」の肩書きを使うことにしたのです

まぁ、
全部人間のやっていることなんていうのはね、
“先人の肩といいますか、
ここに乗っかって、
次はこっちに乗っかって・・という繋がりだと思いますねぇ。
全くゼロからの創造なんていうのはね、......

誰にでも失敗はつきものだし上手くいかないこともあります。
どんなに入念に準備しても予定は狂うし怪我はするし限界まで追いつめられることなんてしょっちゅうです。
でも、
そうしながらも絶対に掲げた旗印、
夢はあきらめないでほしい

登頂に成功すると、
自分の心にあった壁が壊れた。
そして不可能は自分が作り出しているもの、
可能性は自分の考え方次第で、
無限に広がっていくんだということに気づいた

思いの強さがあればあとは努力をするかしないかに尽きる

僕も病気やけがを抱えています。
80歳で3度目のエベレストに登ろうと思った時には大腿骨と骨盤を折りました。
エベレストに向けて出発する1か月半前には心臓手術も受けました。
あの時に目標がなかったら、
今頃は寝たきりでしょう

日本の教育では体験に基づくことが少ないと不満に感じています

つい先日、
心肺機能を測定したら、
肺活量も何もかもごく普通の41歳でした。
この結果は自分でもちょっと残念でしたが(笑)

あくまで競争相手は自分なんです。
つらい、
もうやめたいと思う自分にチャレンジするスポーツとして、
高所登山は最高だと思っています

登頂の記録を残すために、
山頂では写真を撮らなければなりません。
カメラを出してシャッターを切る、
たったそれだけのことですが、
8000メートル峰のてっぺんでは、
たいへんな作業です

気づけば「メタボな65歳」になっていた僕の心に、
もう一度火をつけるきっかけを作ってくれたのは、
父でした。
スキーが大好きだった父は当時、
「5年後の白寿(99歳)でフランスのモンブランを滑る」という目標を立て、
日々鍛錬を積んでいたのです

今は多くの人が来ることでエベレストが飽和状態になってしまっていることも問題になっている

あそこを登って、
もう一度来なきゃいかんな

ネットで叩かれているのは知っています。
悔しいとも思う。
でも、
なかには『ありがとう』って書いてくれる人もいる。
だから、
続けられる

エベレストでお茶会をしたとき、
外はマイナス25度。
でも、
絶対8500メートルでお茶会をやろうと決めてたんです。
だから茶筅(ちゃせん)から何から全部持っていった。
本当は100グラムでも軽いほうがいいのに(笑)。......

ビジネスでもどんな分野であっても死んでもいいほどの意志を持てたら最高の能力が発揮できるんです

ある意味で死ぬのが一番簡単なんですよ。
山へ行っても、
もう死んだほうがましと思うほど苦しくなる。
でも、
そんな簡単な道を選んではいけない。
人間、......

旗印を降ろさない

経験に頼るのではなく想像を広げながら登るからこそ、
新しいことも見えてくる

成功するしないは関係なく、
挑戦としてやってみたいならそれはある意味成功。
大事なのは結果ではなく、
やっている過程が楽しめるかどうかだから