名言大学

#登山家

山で大切なのは欲ではなく、
自然にその一歩が前に出るかどうかだ

20歳の人が8000m級の山に行くと90歳の身体能力に落ちてしまうんですが、
僕は80歳だからプラスして150歳くらいに加齢されるんじゃないでしょうか。
人間の生存不可能な次元に入っていかざるを得ないのですが、
それをどう超えるかという好奇心に突き動かされています

「夢いつまでも」の人生をたどっていきたいと思って

今は頂上近くに2時間待ちの渋滞ができているという

夢を諦めることこそが人間にとって最も無理をしている状態なのです

植村直己が『冒険とは生きて帰ることだ』と言いましたが、
これは『死を覚悟して』という言葉がカッコ付きで入っているのです

素直になろう。
どっちに転んでも人は死ぬし危険も不安もなくなりはしない。
だったら、
やるしかない

物資に恵まれている中では、
人間本来のものは失われている

僕はとても臆病なんですよ。
高所恐怖症なんで、
高いところでは足が震えます

とうとう地球のてっぺんにたどり着きました

さあ、
終わりなき頂上へ

焦らずに「いつでも今日がスタート」と思ってまたゼロから進んでいけばいい

「山の日」というと、
どうしても北アルプスや南アルプスという高く大きな山を想像させるかもしれません。
けれども、
私が多くの方々にもっと知ってもらいたいのは、
「日本の里山も山、
森も山」ということです

夢を語る大人を増やしたい。
自分で夢に挑んだ人は、
その価値を子供に伝えられる。
そうすればチャレンジする人が増えて、
日本にあるっていう閉塞感だってどうにかできそうじゃないですか

旅の出発には、
いつもどこから湧いてくるかわからぬ不安感が心のなかに生れ、
私を苦しめた。
いまも、
またそうなのだ。
闘志をかきたて全身をひきしめているつもりなのに、......

山が大きければ大きいほど、
自分に小ささを感じてしまうが、
同時にそれに合わせて大きくなろうとする自分もいる

山登りはたとえどんな山であろうと、
自分で計画し、
準備し、
自分の足で登山する。
その過程が苦しければ苦しいほど、
それを克服して登頂して登りきったその喜びは大きい

命を惜しむと、
それまでの努力が無になってしまう

70歳や80歳であきらめる人が多すぎる。
80歳がスタートだと思えば、
人生がおもしろくなるんじゃないか

入ってくるものを徹底的に排除して、
器に中身を空っぽにすれば、
新しいものは自然に入ってくる

バカ言って笑いとって、
『こいつ本当にバカなんじゃないか?
でもやってやるか』くらいがちょうどいい

お見舞いに来る人は『運がよかったね』と言ってくれるんです。
でも、
私の気持ちは複雑でした。
それでは同じ雪崩に遭って命を落としたふたりは、
ただ私より運が悪かっただけなのか?
そんなことであの出来事を片づけたくない

恐怖心があるからこそ、
しっかりと準備もするし、
用心もする。
そう考えれば、
恐怖心は決してネガティブなものではありません。
自然に対して恐れを抱くことは、......

夢はひとりの夢ではなく、
多くの人と共有できた時にとてつもない力を発揮する

今年5月、
70歳7カ月でエベレスト登頂に成功しました。
いままでの最高齢記録を更新し、
いろんな人から「すごいですね。
どうしたら70歳までそんな力が出せるんですか」と言われるんですが、
私の答えはいつも決まっています。......

私はモン・ブラン、
キリマンジャロ、
アコンカグアとひとりで登り続け、
そして一九七〇年の春、
単独ではなかったが、
アジアのエベレスト、......

僕のプレゼンテーションの原点は学生時代にあります。
当時もスキーをするお金が必要だったから、
スキー部の仲間達とダンスパーティーやスキーメーカー協力のバーゲンセールなどの企画を立て、
いろいろな人に「この企画はこう役立ちます」と交渉していたんです

山で偶然出会った人など大勢の方が、
身動きのできない私を日本の病院までリレー搬送してくれた。
私自身は、
彼らに感謝しながら、
心の中は自分に対する怒りでいっぱいでした

エベレストの頂上にたどり着いた瞬間、
「ついに地球の頂点に立った!」といった感動は特にありませんでした

原動力は単純に「やりたい」という気持ちと、
やっぱり世界の天辺に登る夢ですよね。
夢の力。
これが大きいと思います

今ここにいる私の命は、
雪崩事故から私を救ってくれた多くの人たちからいただいたものなんです。
だから、
生涯かけて山で使い切りたい

想像の世界を飛び回ろう。
想像が現実を作る

「プロ登山家は、
山に登らないときはどんなトレーニングをしているのですか?
」よくこんな質問を受けます。
毎日ランニングをしたり、
スポーツジムに通ったりしていると思われたのかもしれませんが、
私はこう答えます。......

いつもゼロの状態から始めたい。
できることならマイナスからスタートしたい、
といつも思っています

あえて逃げられない場所に行くことで、
誰もが恐怖を乗り越え、
成長するための力を生み出すことができる

1970年にはエベレスト山頂からのパラシュート直滑降に挑戦したのですが、
当時の日本人にとってエベレストは未踏の地。
誰も知らないエベレストで初の試みをするのだから、
しっかり映像を残そうと「どうせなら将来、
ハリウッドの映画祭でオスカーをもらえるような映像に」と計画しました

再びやる気になっても、
初めはまさに醜態をさらす状態でした。
札幌の自宅から藻岩山に登ってみたんですが、
過去の栄光は見る影もない。
「たかが500メートルの小山」と思っていたのに、
途中で息が切れて先に進めなくなった。......

実際に山に行くと、
教科書にはないことがいっぱい出てくるわけですよ

後から来た人たちに追い抜かれても、
全く気にしない。
標準タイムがあるのですが、
それも僕には関係ない。
ところが不思議なもので、
頂上に近づくと追い抜いて行った人たちに追いつき、......

想像を楽しむために、
まともに呼吸もできない辛さが待っているのを承知で、
私は超高所の頂を目指し、
下りてくるのです

最後に感謝できるような、
人生を送れるか。
長く生きられたかどうかは関係ない。
大切なのはいま、
どう生きるかだ

子どもにはあまり「勉強しろ」とは言いませんでした。
小学校の頃から「冒険しろ」「一緒にキリマンジャロに登ろう」と。
要するに面白いけど、
苦しいことをやらせるわけです。
れを何回も経験させるんですよ。
勉強だって苦しくなってくる。......

変な言い方になるけれど、
馬鹿になることも大切だと思う

あそこを登って、
もう一度来なきゃいかんな

2009年からは現地からの生中継登山ということを始めた。
「冒険の共有」と僕は言っている。
自分だけがそういう世界へ行って、
それで何かを得て帰って来るだけでなく、
「その過程や学びを多くの人と共有しよう」と。
それでいろいろな方々に応援をいただいている

もうたくさんだよ、
疲労困憊(こんぱい)

私は先へ進まなければならない。
憂鬱でも気が重くても、
それが私の運命のようなものなのだから、
勇気をふるい起こして、
先へ進まなければならない

僕の人生だって壁だらけですよ。
ただ、
僕の場合でいえば、
心臓の不整脈や骨盤骨折があっても、
治せばまたチャンスがあると本気で信じていた。
時間をじっくりかけてでも、......

与えてもらうのではなく、
与え続けられる人間になろう

頂上自体は狭いのに、
そこへ皆が一斉に登ってくる

そして僕は、
決してあきらめない

他のスポーツのプロ選手と同じように、
登山をプロスポーツと位置付け、
その世界の魅力を多くの人たちに伝えられる存在でありたいという決意を込めて、
私は「プロ登山家」の肩書きを使うことにしたのです

僕は人より難しいことをしようとしているのではなくて、
人が見たことのない世界を見たい。
そのグレードが高く難しいほど挑戦のしがいがある

人生は目的地に向かって進むより、
目的地を見つける方が難しいかもしれない

どんな山でもどんなチャレンジでも、
そこには絶対に学びや成長があるから

体が太った原因は運動不足と食べ過ぎ、
飲み過ぎでしたが、
実は目標や夢を見失ってしまったことで、
心までメタボになっていたんですね

山で最も大切なのは、
「執着しないこと」です

単独登山はグループ登山以上に危険である。
安全のためザイルを結ぶ相手がいない。
また、
どんな事故が起こっても、
助けを求めるべき相手がいない。
あらゆる障害を自分ひとりで切りぬけなければならないのだ

夢を追い、
夢破れ、
そしてまた夢を追う。
毎日が挑戦。
毎日が冒険だ

みんな、
それぞれが、
何か新しいことをやる、
それはすべて冒険だと、
僕は思うんです