名言大学

#登山家

頂上近くまで登ると、
どうしても「行きたい」という気持ちになる

「無理をしないでください」「生きて帰ってきてください」みんなが僕に言いました。
「ありがとうございます」と返事をしながら僕は心の中で別の返事をしていた。
「無理をしなければ行けない。
死ぬ気でチャレンジしなければ生きては帰ってこられない。
だから僕は人生最大の無理をしますよ」と

人が人を育てるのではなくて、
山という環境が登山家を育てる

愚かと言われるくらい人の理解を超えた新しい分野に挑戦することが必要です。
それを成し遂げてはじめて、
新しい時代、
あるいは自分自身がひらけるのですから

富士山のでき方などを事前に勉強していくわけですが、
伏流水という意味が分からなかったけれども、
こうやって水が出てくるとか、
降った水が30年後に出てくるとか、
目の前にして理解できるようになるのです

山は他人のために登るものではないと思う。
誰からも左右されない、
自分の意志ひとつで行動できる単独行であれば、
それが人のためでなく自分のためであればあるだけ、
すべてが自分にかえってくる。
喜びも、......

恐怖心があるからこそ、
しっかりと準備もするし、
用心もする。
そう考えれば、
恐怖心は決してネガティブなものではありません。
自然に対して恐れを抱くことは、......

僕は大きなことよりも、
小さなことでも喜べる人間になりたい。
人は満たされないことを知ることによって、
逆に心が満たされていく

後から来た人たちに追い抜かれても、
全く気にしない。
標準タイムがあるのですが、
それも僕には関係ない。
ところが不思議なもので、
頂上に近づくと追い抜いて行った人たちに追いつき、......

できるか、
できないかではなく、
やりたいか、
やりたくないか。
不可能は自分が作った錯覚にすぎない

さあ、
終わりなき頂上へ

命を惜しむと、
それまでの努力が無になってしまう

資金集めは飛び込みですよ。
ホンダの本田宗一郎さん、
松下幸之助さん、
サントリーの佐治敬三さんなどの元へ飛び込んではプレゼンテーションをしました

批判されるのはつらい。
でも、
困難に打ち勝つことこそが、
冒険家という仕事の役目です

五体満足なら次に行けるからいいや

できるかどうかわからないことに挑むからこそ、
達成することに価値を感じられる

物資に恵まれている中では、
人間本来のものは失われている

夢を語る大人を増やしたい。
自分で夢に挑んだ人は、
その価値を子供に伝えられる。
そうすればチャレンジする人が増えて、
日本にあるっていう閉塞感だってどうにかできそうじゃないですか

山で偶然出会った人など大勢の方が、
身動きのできない私を日本の病院までリレー搬送してくれた。
私自身は、
彼らに感謝しながら、
心の中は自分に対する怒りでいっぱいでした

今は多くの人が来ることでエベレストが飽和状態になってしまっていることも問題になっている

自分で危険に直面せず、
他人に言われただけで中止するとはまったくいい訳にもならない

山というのはそこにいるだけでリスクがありますから、
そのリスクに晒される時間はできるだけ短い方がいい

はじめから開かれている道ほど、
つまらない道はない

できない理由より、
できる理由を考える

想像を楽しむために、
まともに呼吸もできない辛さが待っているのを承知で、
私は超高所の頂を目指し、
下りてくるのです

幼少の頃、
僕は体がとても弱くて学校を休みがちでした。
もし体が丈夫で100mを素晴らしいタイムで走れたら、
違ったことをやっていたかもしれない。
でも身体的に恵まれていなかったからこそ、
誰もやっていない細かな隙間を見つけて突き詰めることができたんです

人は誰もが冒険し、
見えない山を登っている。
夢を否定しないで自分の中にあるエベレストに一歩踏み出す人を増やすこと。
それが僕の冒険です

いや、
オレはなんとしてでもやらねばならないのだ。
単独登攀はいつの場合にも危険なのはわかっている。
それを承知の上でやっているのだから、
自分で危険に直面もせず、
他人にいわれただけで中止するとはまったくいい訳にもならない

こういうこと(被災した東北の高校生の富士登山)で元気になってくれるのならと、
去年も行いましたし、
今年は100名上の応募がきています

エベレストに登るという夢を持った途端人生が変わった。
そして、
夢を持てば実現できることを改めて知った

私が8000メートル級の山を14回登っていても、
次に登るときはまたゼロからのスタート。
そういう気持ちを保てるかどうか、
で想像がどこまで豊かにできるか、
は変わってくる

父から学んだことは、
年齢に関係なく、
好きなことに熱中する姿ですね。
白寿(99歳)でモンブランを滑ったあと、
ホテルの部屋に戻ってシャワーを浴びてベッドにドンと腰かけて「いやあ、
わしゃ今生の別れのつもりだった」と言うんです。......

失敗したら逃げ道がないと思った。
旅の中止は私が自分なりに積み上げてきた実績を、
一挙にフイにすることだ。
そうしたら自分はもう何をしたらよいかわからなくなる。
最初の屈辱の中に戻るだけだ

もし、
エベレスト単独・無酸素登頂という目標が、
一度や二度の挑戦で達成できる程度のことなら、
最初から目指していなかったでしょう。
誰もが半信半疑で見守る難事だからこそやり甲斐を感じるし、
絶対に成し遂げようという覚悟を持つことができるんです

ビジネスでもどんな分野であっても死んでもいいほどの意志を持てたら最高の能力が発揮できるんです

今年5月、
70歳7カ月でエベレスト登頂に成功しました。
いままでの最高齢記録を更新し、
いろんな人から「すごいですね。
どうしたら70歳までそんな力が出せるんですか」と言われるんですが、
私の答えはいつも決まっています。......

僕がそうした経験から学んだことは、
やはりコントロールできるということが重要という点だ。
そこが効かなくなり、
「頑張れば絶対に登頂できる」といった心理で次々挑戦してしまうのはすごく危険

登山の技術には独学で勉強できないことも多い。
やはり先輩方とともに登ることで、
生きた技術が培われていくという面はあるのだと思う

アップルの創設者であるスティーブ・ジョブズ氏が、
若い人に「ハングリーであれ、
愚かであれ」と講演していましたが、
その通りだと思います。
僕自身も非常にハングリーだったし、
周りから「馬鹿」「あいつ何やってんだ?......

ドイツ人クライマーのラルフ・ドゥイモビッツと出会ったことで、
今のスタイル(シェルパを雇わず、
酸素も使わず、
軽装備・少人数で登頂を目指す)に変えたんです

英語ができないフランス語が出来ないなどと言っていたら、
一生外国など行けないのだ。
男は、
一度は体を張って冒険をやるべきだ

少しずつ、
小さなことを続けることが大事だ。
どんなに苦しいことでも、
楽しんでやっていく。
そうすると、
いつかチャンスがやってくる

あえて逃げられない場所に行くことで、
誰もが恐怖を乗り越え、
成長するための力を生み出すことができる

僕の姿を見て、
消費しないで欲しい。
そこから何か動いてくれれば、
それが一番いいと思う

自分が「やりたい」だけでなく、
やる目的や社会的意義をきっちり落とし込み、
相手企業が求めていることを広報宣伝できるよう組み立て、
スポンサーになってもらうことができたんです

決心したからにはたとえ座礁するとわかっていても、
神風特攻隊のように、
出撃あるのみだ

そういう世界で僕は何をやってきたかというと、
世界中で高所登山に挑戦してきた

可能性がゼロではない限り人間にはチャレンジする権利がある

エベレストの雪崩は巨大で、
しかも日本で見るような雪の塊と違う

人間の社会の五里霧中をさまようより、
この大自然のガスの中の方が、
私にとってはずっと身に合っているのだ。
いやいや、
この濃厚なガスの中でなら、
私にも生き延びる道はあるのだ。......

小さなチャレンジでもかまわない

結局、
人は自分自身で限界をつくってしまっているのだと思う

筋肉がつくと体重が重くなるし、
酸素の消費量が多くなるので、
高所登山には筋肉はあまり必要ないんです

体の老いと心の老いでは、
心が先じゃないですか。
僕らもやっぱり同窓会に行くと、
「俺はもうダメだ」とか、
「あっちが痛いこっちが痛い」「老人ホームはどうする」とネガティブな話題が湧いて出てきて、
当然、......

誰にでも失敗はつきものだし上手くいかないこともあります。
どんなに入念に準備しても予定は狂うし怪我はするし限界まで追いつめられることなんてしょっちゅうです。
でも、
そうしながらも絶対に掲げた旗印、
夢はあきらめないでほしい

目標とした8000m級の山は、
全部で14あります。
女性だけでも登れる山を選ぼうと、
消去法で考えました。
「この山はキャラバンがむずかしい」「この山は壁がある」などなどです。
そうして、......

冒険心があったからこそ、
山を越え、
海を渡り、
人類は地球上で生き残ってきた

夢を諦めることこそが人間にとって最も無理をしている状態なのです

最後は「これができたら死んでもいい」というほどの覚悟。
それさえあれば自分の中で揺るぎない目標設定をして、
計画的に準備を重ねることができるし不安やストレスさえもエネルギーになります

人間はいくつになっても可能性がある!