名言大学

#登山家

物資に恵まれている中では、
人間本来のものは失われている

体が華奢なので、
初めて会う方によく驚かれます

今ここにいる私の命は、
雪崩事故から私を救ってくれた多くの人たちからいただいたものなんです。
だから、
生涯かけて山で使い切りたい

頂上自体は狭いのに、
そこへ皆が一斉に登ってくる

どれほど不況と言われていても、
やっぱり日本は恵まれた国です。
街にはコンビニがあり、
百円出せば誰でもおにぎりが買える。
それだけ夢が実現しやすい環境が与えられているわけですから、
様々なことにチャレンジしなくてはもったいない

もうたくさんだよ、
疲労困憊(こんぱい)

僕のプレゼンテーションの原点は学生時代にあります。
当時もスキーをするお金が必要だったから、
スキー部の仲間達とダンスパーティーやスキーメーカー協力のバーゲンセールなどの企画を立て、
いろいろな人に「この企画はこう役立ちます」と交渉していたんです

私はきょうまで、
ひとつひとつ強い決意のもとに全精神力を集中してやりぬいてきたのだ。
必ずやりぬける自信がある。
ただ、
思うだけではない。
南極横断に出発する前、......

山で偶然出会った人など大勢の方が、
身動きのできない私を日本の病院までリレー搬送してくれた。
私自身は、
彼らに感謝しながら、
心の中は自分に対する怒りでいっぱいでした

ドイツ人クライマーのラルフ・ドゥイモビッツと出会ったことで、
今のスタイル(シェルパを雇わず、
酸素も使わず、
軽装備・少人数で登頂を目指す)に変えたんです

まだ世界中のだれも挑戦していない80歳でのエベレスト登頂。
この俺に本当にできるんだろうか?
いや、
きっとできるはずだ。
そんなふうに自分で自分にワクワクするんです

2009年からは現地からの生中継登山ということを始めた。
「冒険の共有」と僕は言っている。
自分だけがそういう世界へ行って、
それで何かを得て帰って来るだけでなく、
「その過程や学びを多くの人と共有しよう」と。
それでいろいろな方々に応援をいただいている

最後は「これができたら死んでもいい」というほどの覚悟。
それさえあれば自分の中で揺るぎない目標設定をして、
計画的に準備を重ねることができるし不安やストレスさえもエネルギーになります

諦めることはとても簡単なこと。
人生の中で遭遇するさまざまな困難。
「自分には無理だ。
もういいや」と諦めてしまえばきっと楽になれるのでしょう。
でもそれは山を目の前にして登ろうとする努力もせずふもとでただウロウロしているだけ。
それでは人生はつまらない

登山家だけでなく、
大きな見えない山に登っている人は大勢いる。
だが何をめざしていようともここが限界、
ここが最終地点と決めつけた瞬間に、
すべてが終わるだろう。
終わりは始まりだ。......

とうとう地球のてっぺんにたどり着きました

入ってくるものを徹底的に排除して、
器に中身を空っぽにすれば、
新しいものは自然に入ってくる

道なき道を歩いてきた僕は「不安」について、
明確な答えを持っている。
それは、
「不安はなくならない」ということだ。
不安は自分そのもの

カメラより山頂の石をみんなに見せた方がいい

(2度のエベレスト登頂を果たした時)涙がでるほど、
辛くて、
厳しくて、
嬉しい

愚かと言われるくらい人の理解を超えた新しい分野に挑戦することが必要です。
それを成し遂げてはじめて、
新しい時代、
あるいは自分自身がひらけるのですから

まぁ、
全部人間のやっていることなんていうのはね、
“先人の肩といいますか、
ここに乗っかって、
次はこっちに乗っかって・・という繋がりだと思いますねぇ。
全くゼロからの創造なんていうのはね、......

65歳のおじいちゃんがエベレストというと気が遠くなりますが、
ちゃんと計画を立てれば出来るものなんです。
まずは、
富士山、
次はヒマラヤ。
5000m級、......

変な言い方になるけれど、
馬鹿になることも大切だと思う

僕は大きなことよりも、
小さなことでも喜べる人間になりたい。
人は満たされないことを知ることによって、
逆に心が満たされていく

一歩を踏み出す勇気は、
「今、
やりたい」という自分の気持ちを信じることから生まれる

誰にでも失敗はつきものだし上手くいかないこともあります。
どんなに入念に準備しても予定は狂うし怪我はするし限界まで追いつめられることなんてしょっちゅうです。
でも、
そうしながらも絶対に掲げた旗印、
夢はあきらめないでほしい

人間は技術が向上するに従って単純作業等を簡単に済ませてしまおうとするけれど、
その積み重ねが事故に繋がることはある

おかげさまで登れた。
頂上は素晴らしい快晴、
こんなすごいことはなかった

いま、
企業で働く中高年には、
夢をなくしていた頃の私とだぶる人が多いような気がします。
会社の業績もいまいちで、
何とはなくしょぼくれている。
年齢的にも「もう限界」と挑戦を諦めているのではないでしょうか。......

成功するしないは関係なく、
挑戦としてやってみたいならそれはある意味成功。
大事なのは結果ではなく、
やっている過程が楽しめるかどうかだから

人が人を育てるのではなくて、
山という環境が登山家を育てる

焦らずに「いつでも今日がスタート」と思ってまたゼロから進んでいけばいい

私は先へ進まなければならない。
憂鬱でも気が重くても、
それが私の運命のようなものなのだから、
勇気をふるい起こして、
先へ進まなければならない

どうせ死ぬならエベレストに行ってから死のうかと、
病気のお陰で目標が出来ちゃった

僕は当時付き合っていた女性にふられたとき、
「2年間付き合っていたけどあまり好きじゃなかった」と言われたことがある(笑)

成功する確率。
それがなんの役に立ちますか?

今度はスキーヤーとして、
ヒマラヤの8000メートル峰から滑ってみたい

できるか、
できないかではなく、
やりたいか、
やりたくないか。
不可能は自分が作った錯覚にすぎない

夢を叶えるためには、
自分のやりたいことを言葉にして伝え、
語り続けること。
そしてあきらめないこと

ありがとう。
すべてのことに感謝する。
いいことにも、
悪いことにも

体が太った原因は運動不足と食べ過ぎ、
飲み過ぎでしたが、
実は目標や夢を見失ってしまったことで、
心までメタボになっていたんですね

人の夢をサポートする登山

父のリハビリの様子を見ていた僕は、
「人間いくつになっても夢をあきらめなければ成し遂げられるんだ」と実感しました。
「自分も人生このまま終わってなるものか」と再び情熱が沸き起こりました

小さなチャレンジでもかまわない

高所登山は、
どうしても命がかかっちゃうんですね。
でも登山に限らず、
命をかけて臨む行為は崇高だと思っています

つい先日、
心肺機能を測定したら、
肺活量も何もかもごく普通の41歳でした。
この結果は自分でもちょっと残念でしたが(笑)

エベレストでお茶会をしたとき、
外はマイナス25度。
でも、
絶対8500メートルでお茶会をやろうと決めてたんです。
だから茶筅(ちゃせん)から何から全部持っていった。
本当は100グラムでも軽いほうがいいのに(笑)。......

エベレストで意識不明に陥った体験も、
私の登山のキャリアの中では大きな失敗のひとつです。
しかし、
自分の登山人生を考えると、
このときの体験が、
山登りのプロフェッショナルへの入り口になりました

楽しい=楽ではなく、
つらいこと、
困難なことを楽しむこと。
それさえできれば、
誰もが人生の成功者になれる

年齢を重ねて諦めることが増えたとしても「自分」を諦めてはいけない

私が8000メートル級の山を14回登っていても、
次に登るときはまたゼロからのスタート。
そういう気持ちを保てるかどうか、
で想像がどこまで豊かにできるか、
は変わってくる

日本の教育では体験に基づくことが少ないと不満に感じています

少ない酸素と燃料でできるだけ動くことのできる、
車で言えばエコカーのような体と筋肉にする必要がある

山で最も大切なのは、
「執着しないこと」です

はじめから開かれている道ほど、
つまらない道はない

冒険心があったからこそ、
山を越え、
海を渡り、
人類は地球上で生き残ってきた

困難のすえにやりぬいたひとつ、
ひとつは、
確かに、
ついきのうのできごとのように忘れることのできない思い出であり、
私の生涯の糧である。
しかし、......

後から来た人たちに追い抜かれても、
全く気にしない。
標準タイムがあるのですが、
それも僕には関係ない。
ところが不思議なもので、
頂上に近づくと追い抜いて行った人たちに追いつき、......

登山は「登頂」がゴールではないんです。
頂上は「通過点」の一つでしかない。
「折り返し地点」かどうかさえも、
すべての行程を終えてみないとわからないものなんです