名言大学

#Mr.Children

アーティストっていうのは既成概念を壊せるほどのものを生み出せる人であって、
僕もまだアーティストじゃないからアーティストになりたい

やっぱりライヴはスリルとスピードとサスペンスですよ

みんなでプレイしているときには思わないけど、
家に帰って、
Mr.Childrenであることはラッキーなんだなって感覚に、
ふと襲われることがあるんですよ。
まあ、
楽しいだけなんですけど

俺ごときが、何を伝えたらいいのか分からない

ダメな自分をだせるようになってすごく楽になった

ほんとにへこんでるような人が、
この音楽を聴いてる瞬間だけは、
モノクロームだった景色がカラフルに見える、
そういう音楽をミスターチルドレンがすごくいい状況であることに甘んじずに、
もっと徹底的にやりたいと思って

具体的には分かりたくない。
いつの間にか音楽に繋がってればいい

ギターを弾くということなら、
自分ひとりで弾いているよりもバンドで一緒にやってるほうが僕は楽しい。
嫌いになっちゃう瞬間っていうのは、
心を開けないとき…ですね。
ずっと楽しくできればそれでいいというより、
その嫌いになることがあるというのも音楽を続けている原因みたいな…ね

サービス精神の根本にあるものって、
人に愛されたいっていう欲だと思う

僕らの曲が精子で、
みんなが卵子。
曲が届いた結果、
これからも新しい何かが生まれればうれしい。
かっこいいのか下品なのかわかんないね

U2のライブとか、
フー・ファイターズのライブとか観てて、
お客さんとアーティストがお互いにお互いを信頼し合っているような関係ができあがってるのがすごくいいなあって、
羨ましくもあり。
でも、
自画自賛になってしまうんですけど、......

結婚は思ってるより早く、
男と女としての関係が無くなっちゃいます。
男と女が無くなったとしても、
人間として愛していきたい。
こう思っています

もう少し、
時代に抵抗していたい

たとえば “君の瞳に恋してる っていう曲がラジオから流れた時に、
それまでだったら、
なんか馬鹿馬鹿しいポップソングと思って聴いてたんだけど、
これを世の中に送りだそうとしてたアレンジャーであったり、
作曲家の気持ちになると、
『あ、......

…なんか、
「ギターはギターだ」っつう気持ちは、
ないんですよ。
「全体を見なさいよ」って…別に誰かに(言葉で)言われてるわけじゃないんですけど、
そういう姿勢を(まわりから)学んでいるのかもしれないな、
と思う

人生経験があればあるほど、
辞書なんかも厚ければ厚い程、
探すのが大変になりますよね

歌詞にある “君 を “会場にいる君たち、
“僕 を “ステージ上の僕ら に置き換えて歌ってみてください

夢をみるという事は、
猫に話しかける様なものだ

(プロデューサーについて)4人だけで音楽を作ることに執着していたわけではなくて、
もっとより良い音楽を作っていきたいという欲求の方が強かったので、
そういう中で、
第三者的にこう、
客観的に見れる立場の人が欲しいと思ったし

僕はどうしようもなくコミュニケーションを取りたいと思っている人間、
そうやって自分の存在意義みたいなものを見出して嬉しくなって生きてるんだと思う

恋とは切なければ切ない程、
深みにハマっていくものなのだ。
ということは、
恋とはつまり “セツナサマヤク(切なさ麻薬) ではなかろうか

無駄ほど価値があるものは無い

自分を変えたいと思ったら、
時には世界を敵にする勇気も必要

夢や希望みたいなものを歌うっていうことが、
恥ずかしかったり、
または嘘っぼくなってたんだけど。
そこにあまり照れがなくなったのか、
今っていう時代が夢を必要としているのかはわからないけど、
自分の中ではど真ん中のような感じがして

(ライブでのドラムプレイの際に上半身裸で演奏していたことについて)プレイするときというか、
精神的に邪魔なんですねぇ

Mr.Childrenって、
さあこの指とまれっていうサビでみんなで思いを共有するっていう。
それをお茶の間レベルでちゃんとやる存在だったけど、
もう音楽全体がそれを必要としてないかもしれないと思ったときに、
どこにボールを投げていいのかわからないっていうのはすごくありましたけどね。
「今、......

たとえ話でなく、
実際に誰かの背中を押そうとするとき、
押された方はもちろん前へ動き出すけれど押している方だってそのぶん力を込めて前へと踏み出しているんだよね。
ということは誰かの背中を押すということは同時に自分自身の背中を押すことでもあるような気がするのです

“君とだから探せたよ という歌詞があるんですけど、
今はまさにその気持ち。
皆さんがいたからここまで来られました

バンドが好きなんで。
GLAYは世代が同じぐらいなんであんまり意識はしてないですけど若い人たちのは聴きますね

メガネを外すことによって見えることもある

自分らしさねぇ・・。
実はあまり好きじゃなくて、
自分らしさ というものが。
自分らしさ、
という自己防衛みたいな感じがするからですかね。
自分とかなくても、......

僕はMr.Childrenの表現者としてもあるけど、
Mr.Childrenのファンでもあるので、
『裏切って欲しい』という気持ちも同時に働くんですよね

目の前のことを全力で、
無理し過ぎず、
それをずっと続けていく、
そんなイメージでいきます

すごく嬉しいというのが今の気持ち。
作っている時はね、
曲と向き合ってすごく感動してて。
でも今は取材ずーっとやってきて、
だんだんだんだんそれを獲得している感じ

幸福になりたいっていう言葉を使っているうちはいつまでも幸福じゃないんじゃないかと。
でも至福は至っているわけで、
今ある状態で自分は十分に幸せだと思えていることが至福ということですね

(「ライブとは?
」という質問への答え)夢と現実が合わせ鏡となって見せてくれる、
大切な今

僕が死んだら、
火葬場の煙突からの煙が♪(音符)になって出てくる

想いは繋がって、
繋がって連鎖反応を起こします。
せっかく繋いだ想いだもん。
プラスの力に変えようよ

ミスターチルドレンは解散しない。
バンドが解散するのは仲が悪くなるか、
才能がなくなるかのどっちか

才能?
そんなものはないですよ。
でももし才能なんていうものがあるとしたら 『努力を努力だと思わないことが才能』ですかねぇ

何かのせいにするのではなく、
発想を転換することでポジティブに、
明るくなれる。
それを提案みたいな感じでやっている。
それが今のミスターチルドレンの音楽だと思う

Mr.Childrenで音楽をやっていること自体がワクワクなんですよ。
だからそれはラッキーだなって

このアルバム(SUPERMARKET FANTASY)は、
なにかを否定して、
さあ次、
こっちが正しい、
とは言ってない。
すべてのことを肯定しようとしてるんだなあと思って

人は簡単には理解しあえないそれでも僕は伝えたい

曲を作った背景、
苦労したところみたいなものをインタビューで語らなくても、
プロだったら音が流れたら全てを理解せずとも、
なんか分かる、
分かった、
っていうのを伝えられる。......

ツアーが始まり、
そこですごく感じたことは、
こんだけのお客さんが来てて、
しかも世代もすごく離れてきてる。
ひとつの曲にしたって、
響き方は違うし、......

これといってハプニングとかエピソードとか覚えてないのは、
きっとコンサートが上手くいって、
ステージそのものを楽しめたからなんだと思うんですけどね

僕に音楽を書かせてるのはメンバーです

人生というのが一度しか乗れないジェットコースターだとすれば、
吐いてでもそのアップ&ダウンを楽しむしかない

僕らのファンである貴方たちが、
僕らを育ててくれました

どんなにiPodとかで音楽や情報を携帯できようが、
心の中に携帯できる「歌」は、
ほんっとに価値があるものだけだと思ってる。
歌に対するリスペクトが多いんだど思います、
僕は

というか、
素直に聴いていいものはいいって分かるから、
そこで頑固に自分のフレーズじゃなきゃイヤだなんて言ってたら、
僕は今頃ここにはいません

歌詞の中に “色 を入れてみると誰でもそれぞれ思い浮かべる色がある。
色で限定しているように思われるかもしれないけれど、
実はその逆で、
色は限定されていない

スタッフサイドとか、
音楽評論家がいいって言ってくれてるときって意外と(売上数)伸びなかったりという印象がありますね

1回やめるってことになって、
これでもう終わるのかなと思ってたら、
桜井が弾き出して、
それがすごい気持ちよさそうな感じだったんで、
そこにスーッと入っていって

やっぱりハイレゾの音を聴いてると楽しいでしょ?
僕らはいつもその環境で聴いてるから、
それは全然賛成なんですよね。
そういう部分にこだわってるから、
より見えてくる音楽もあると思うんですよね

リスナーとしてラジオを聴いてる時に、
若いバンドが陰鬱な歌を歌ったりする。
で、
世界中が明日の未来が心配で、
『どうすんの?
』って迷ってる時に、......

来やすい状況みたいなのは、
前よりあるみたいです。
ライブハウスだと、
ちょっと来にくいけど、
ちょっと大きいから行きやすいかなと

ロック・ミュージシャンとしての僕の肉体に処女膜なるものがあったとして、
僕のそれを破ったのは甲斐バンドである

今日、
何を選ぶかで未来は変えていける