名言大学

#文化

すると、
僕のことなどほとんどご存じなかったはずなのに快く会ってくださって、
「わかった」と部屋子にしてくださったのです。
それからずっと、
朝から晩までおそばにいてお世話をさせていただきながら、
たくさんのことを教えていただくようになりました

他の短を挙げて、
己が長を顕(あらわ)すことなかれ。
人を譏(そし)りておのれに誇るは甚(はなは)だいやし

「葵上」の古式や「弱法師」の世阿弥自筆本での演出などを見ていきますと、
どのように、
どうして今のかたちになったのかが見えてくる。
かつてあったものを、
どんどん削ぎ落とし、
今に至っている

(テレビは)流れ作業で、
時間が無くなってくると、
ちょっとしたミスくらいはOKでしょ。
ぼく、
やっぱり芝居に出たい

素人のお弟子さんは、
もう教えるようになっていましたが、
23、
4になりますと、
今度は玄人を教えるように言われました。
それも、......

昔は、
やりたい役、
憧れの役、
好きな役がいっぱいありましたけど、
最近はないんです。
というのは、......

先輩方のなかには、
そういった型の部分をさっさと崩すタイプもいますが、
その域が“解脱なのか、
途中で型崩れしただけなのか、
それぞれです。
はたまた人によってはその崩れが洒脱な芸になることもあり、......

現行曲はこのままでいいのか。
誤りのある場合もありますよ。
そこで、
誤りだと理解して演じるのと、
意に介さないのとでは大きな開きがある。
誤りを何も考えずに伝承するのは、......

当家もおかげさまで古い伝書はあります。
それを信じて読んでいいのかどうか、
考えながら読まないと。
また若いときに読むのと、
今読むのとでも、
違います。......

我々は能が、
なぜ、
どのように今のかたちになったのか、
しっかりと紐解いていかなければなりません

父はずいぶん新作歌舞伎に取り組みましたが、
それ以上に古典歌舞伎を愛していました

舞や謡の伝承は、
途切れたり、
途中から出来てきたりするものなのです。
では何を伝承しているのかと言いますと、
精神だと思うんです

現行曲を検討し、
能の一期一会のあり方、
その良さを改めて感じることができました。
その流れで、
三十代から復曲、
新作に取り組むようになりました

最初は、
監督のジャイさんに電話をもらったんです。
ジャイさんとは以前2回ほど仕事をさせてもらったことがあるんですけれど、
本当に久しぶりで「実はドラマを撮るんですけど」と言われたのですが、
ぼくは来年再来年まで仕事が詰まっているから、
絶対無理だと思ったんです

型をしっかり覚えた後に、
初めて型破りになれる。
型が無いままやるのは、
ただの型無し

芝居や役に対する気持ちっていうのは、
芝居に出て役をやるたびに必ず思いますね

稽古は嘘をつかない

日本の心は一言で言うなら「和」ですね。
平和の「和」であり、
「和物」の「和」でもあります

そもそも歌舞伎は江戸時代、
その時代を代表する格好いいものだったはずなんですよ。
ラップもそうでしょ?
こういう試みが若い方からどんな反応を引き出すのかも楽しみですね。
せっかく渋谷で、
しかもコクーン歌舞伎でやるわけだから、......

正直言うと、
最初は恥ずかしかった(笑)。
ただ、
やっているうちにどんどん癖になる自分もいて

男性も着物が着られたら格好いい

テントでの芝居をいつかやりたいという願望は消えなかった。
それが5年前の平成中村座立ち上げの原点ですね。
浅草の隅田公園に江戸時代の芝居小屋のような仮設劇場を設営して「法界坊(ほうかいぼう)」をかけましたが、
それはやはり古典を続けてきたからこそ、
お客様に喜んでいただける破り方ができたのですね

ぼくらは一生修行で今も修行の身で、
終わりがありません

僕の場合、
子どもも芝居やってるんですよ。
僕の親も芝居やってたから、
自分はその間の中継ぎって感じで生きていますね。
うちのオヤジがやったことが、
僕の肉体や考えを通して子どもに伝えられていく。......

こらえるという抑止はいらず、
むしろ発散することが悪の心情に繋がります。
実は、
悪役こそストレスがたまらないんですよ

山は静かにして性をうあしなひ、
水はうごいて性を癒す

体験できないことでも勉強して自分のものにすればいい。
僕は、
知ったかぶりがいちばん良くないと思っています

今回のライダーは、
所謂アウェイ(笑)。
こういうのは現場に入らないとわからない部分はあるので、
もう現場との駆け引きにもなりますね

(父親は)あんまり多くの印象的な言葉を残すような人ではなかった

歌舞伎では積み重ねが大事だし、
人生経験も生きてくるものなんです

体で分かり、
心で分かり、
そして演じる機会が訪れる大切さ。
焦ったって本人が不安なら、
見ている人は面白くも何ともないんですよ。
機は熟す。......

父はいつも映像の収録日はすごくピリピリしていましたね

焦ったって本人が不安なら、
見ている人は面白くも何ともないんですよ。
機は熟す。
身のうちから突き上げるように満ちてくるものなのです

いま2020年の東京五輪・パラリンピックの文化プログラムの内容を議論する検討会に参加して、
まさに「日本人のアイデンティティをどう捉えるか」をコンセプトに構想を練っていますが、
日本人の雑食性は世界標準で見たら、
かなり稀有ですよ

人間って一人で仕事をしていることってないですね。
たとえ山の中で黙々と一人で木を切っていたって、
親とか師匠とかの視線を心の中に持っている。
ずさんな仕事をすればあとで仲間に伝わる

当家に限れば、
謡が華麗だ、
綺麗だと言われることがあります。
でもそれは、
長い年月に受け継がれた、
梅若風ではありません。......

(人間国宝の中村又五郎氏について語った言葉)又五郎のおじさんには小さなころからとてもかわいがっていただいたんですが、
『佐倉義民伝』にお願いして出ていただいたときは、
体力もなくなっておられました。
甚兵衛が宗吾を力いっぱい引きとめるシーンなどでは、
その力が入らない。
でも客席で見ていた女房は“おじさんは万力で止めているように見えたって言うんですよ。......

動かない演技で、
観客を惹きつけなければならないんです。
我々能の演者は、
果たして観客を捉える力を出しているかどうか。
今現在、
そう問いたいですね

半沢はお父さんがあんな死に方をしているので、
銀行や上に対してああなってしまうのは当然だと思うし、
わかる気がします。
たぶん視聴者の方も共感して、
「なにあのオカマ」と、
ぼくのことを大嫌いになると思いますね(笑)

(萬斎さんは厳しい師匠ですね)そりゃ稽古中はコワイですよ(笑)でも狂言の楽しさも教えながらでないと、
付いてこられない。
僕が15歳のころは、
狂言が楽しいとは全然思えなかったですから

伝統って昔の点のように見えるかもしれないけど、
実は過去から現在までずっと続いてきている線なんですよ。
時代を経て古くなり、
どこかが抜け落ちて点線になれば、
その度ごとに自分たちで間を埋めていっているんです

一番のストレス解消は愛する人のそばに居ることである

古典芸能は、
享受する側が視覚や聴覚、
いろいろな感覚を使い、
時を超えて繰り返しアプローチしても揺るがない、
豊かなエンターテインメントです。
そういった面白さを伝えるプログラムも劇場には必要なんですよね

黒崎は、
仕事はキッチリしている人です。
黒崎から見れば半沢は邪魔者で「また余計なことして」、
という気持ちが常々あるのですが、
半沢も黒崎も、
立場が違うだけで向いている方向は一緒だと思うんです。......

(藤原清衡について)やはり大変な環境の中で育った人ですから、
本当に芯の強い人だと思います。
裏切られたり裏切ったりという戦乱の世だから、
強くないと生きていけない。
それでいて繊細で優しさもあって、
文武どちらにも優れている器量の大きな人ですよね。......

伯父の我當には、
秋の「永楽館大歌舞伎」(兵庫県豊岡市出石)の興行で、
やはり文楽から歌舞伎に移した『近頃河原の達引 堀川与次郎内の場』の猿廻し与次郎を演じさせていただいた際、
細かく教えていただきました

台本やビデオを見て思い出し、
復習をします

(五代目)中村時蔵

父(秀太郎)は「この世界で生きていくなら、
お父ちゃんの部屋子(十三世仁左衛門の内弟子)になったほうがいい」とおっしゃってくださり、
京都の嵯峨にあるお宅まで挨拶に伺いました

気持ちは今も若手。
舞台では毎回後悔の連続

(長男の現勘九郎、
次男の七之助の初舞台を控えた時の言葉)(自分の初舞台は)子供心にもいい気持ちになったのがついこの間のようなのに、
もう27年もたったんですね。
親としては何か落ち着きません

30代のときには力任せでこなしていたような体力を使う役でも、
40代になり、
すでにマシーンのように型が身に付いていれば、
力まずとも同じことができます

民間の立場で舞台を創作すれば採算性を一番に考えなければならない。
となるとお客を呼べる役者と、
親切なストーリー、
視覚的にもわかりやすい装置といった「わかりやすさ」に向かうこともあるでしょう。
もちろん、
それを否定するわけではありませんし、......

仕事柄、
私には“和のイメージがあるようです。
だれかにご案内されるのも和食が多い。
家族にも、
外食時には普段食べられない本格的な和食がいいと言われ、
結局寿司や鰻に行くことになってしまいます

これは「片岡十二集」(十一世片岡仁左衛門が撰じた松嶋屋のお家芸としての演目)のひとつで、
十三代目と伯父の我當がたびたび勤めたものですが、
最近上演されていませんでしたので、
ぜひ僕がやらせていただきたいと思っていた役なんです

クリエイターもスタッフも育ってきたと自負しています

まず自分たちの文化を知って、
海外に行ってそれを自慢してほしいですね。
着物だってその一つです。
日本独特の文化なのだから、
和の心とモノを忘れてほしくないと思います。
慣れれば「こんなにいいものだったか」と思うに違いありません

やってらっしゃる方も多いと思うんですけど、
Twitterとかでぜひ「半沢直樹」とつぶやいてください

その点「新春浅草歌舞伎」がいいのは「着物で歌舞伎の日」というのがあって、
お客様が全員着物姿で来ていただく日があること。
舞台から見ていても壮観ですよ。
お正月らしい華やぎがあっていいものです

役との出会いを大切にしていきたい