名言大学

#文化

一度、
つとめさせていただいて、
清衡という人物には勝手にご縁を感じております。
前回は舞踊劇でしたが、
今回はお芝居として、
そしてまた演出の栗山民也先生の独自の世界観の中で、......

『壺坂霊験記』や『近頃河原の達引』なんて、
お元気だったらどれほど訊きたいことがあるか。
お墓参りしたら教えていただけるといいのですけれど・・・・

どの芝居でもそうですが、
役のバックボーンや、
どういう役なのかが出てきただけで分かるように注意しております

(五代目)中村時蔵

面白いな、
どこでもできるじゃん! って

三谷幸喜さんは「嫉妬を覚えました!」、
『のぼうの城』の犬童一心監督も「やられました」と。
僕の潜在能力がここまで引き出されたことに、
ある意味で口惜しさを感じてくださったようで

形を極め、
型を破ることを続けてきたから今日がある。
挑戦です

日本には公家文化である舞楽や雅楽が残り、
武士の時代に広がった能狂言が残る。
さらに町人の時代になって興った歌舞伎があります。
近代になってからも新劇や小劇場や舞踏、
現代のAKB48まで、
多様な舞台芸術が並行して残っている

(中村勘三郎氏のモットー)守る 壊す つくる

僕の場合、
子どもも芝居やってるんですよ。
僕の親も芝居やってたから、
自分はその間の中継ぎって感じで生きていますね。
うちのオヤジがやったことが、
僕の肉体や考えを通して子どもに伝えられていく。......

癌晴って参りました

僕自身のお役は出てきただけで場を収められるような大きさを表さなくてはいけないので、
ちょっと大変ですね

平成ライダーの変身は、
バーッ、
ビャーッ、
ババーン! と高速で動くか、
あるいは最小限に留めるかどちらかの印象がありましたから

小さい時から、
いろんな方々に色々教えていただいて、
父が早くにいなくなったことで、
得した、
ということかなぁ

(五代目)中村時蔵

我々は能が、
なぜ、
どのように今のかたちになったのか、
しっかりと紐解いていかなければなりません

私はまだその型を究めていないし、
脱し切れてもいないんです。
だからまだ「洟垂れ小僧」なんですね

今回の和尚吉三は橋之助兄さん(中村橋之助さん)にご指導をいただきます

歌舞伎の役でも同じで、
だいたいの正義、
だいたいの主人公は(演じていると)けっこうストレスがたまります(笑)

余韻を残すものは、
想像力に訴え、
大きく膨らむ

もちろん好きな役、
憧れの役はありますけど、
実際やるときに限られた条件の中で何がベストかを考えられるようになってきたのかな

人柱となり祀り上げられ、
人びとの欲望を一身に集め見せしめとなる因果は、
いつの世にもありますよ。
そして悪人を祀り上げなくてはならない理由が、
“善人の側にもあるのでしょう

このドラマでは、
そういうことがなるほどと思うくらい描かれています。
いろんな人物を参考にして作っているので、
特定の誰かというわけではありませんよ(笑)

ぼくらは一生修行で今も修行の身で、
終わりがありません

最初から悪という存在感を全面に押し出すべきなのか、
徐々にせり上がってくるものなのか、
金田監督に聞くと「出てきたらドーン!」とおっしゃっていたので(笑)

形というのは、
ピタリと決まる体と手の位置が、
その人にしかできない独自の美しさまで到達したもの。
そこに役者の心が入るのです

20代、
30代、
40代と年齢に応じて、
同じ役者の芝居でもお客様のご覧になった印象は変わるかと思います

そもそも歌舞伎は江戸時代、
その時代を代表する格好いいものだったはずなんですよ。
ラップもそうでしょ?
こういう試みが若い方からどんな反応を引き出すのかも楽しみですね。
せっかく渋谷で、
しかもコクーン歌舞伎でやるわけだから、......

こらえるという抑止はいらず、
むしろ発散することが悪の心情に繋がります。
実は、
悪役こそストレスがたまらないんですよ

偉大すぎる父を持って大変なことはないかと言われることもあるけど、
ないよね

半沢はお父さんがあんな死に方をしているので、
銀行や上に対してああなってしまうのは当然だと思うし、
わかる気がします。
たぶん視聴者の方も共感して、
「なにあのオカマ」と、
ぼくのことを大嫌いになると思いますね(笑)

ぼくの演じる黒崎は、
悪の根源という訳ではありませんが、
いやらしいというか粘着質です

役になりきる

(五代目)中村時蔵

芝居や役に対する気持ちっていうのは、
芝居に出て役をやるたびに必ず思いますね

風雅の流行は、
天地とともにうつりて、
只つきぬを尊ぶべき也

ストレートな悪役が組み上げられていきます。
悪役は楽しいですよ

芝居に関しては、
それをバネによりよい芝居をするということでしょうか

型をしっかり覚えた後に、
初めて型破りになれる。
型が無いままやるのは、
ただの型無し

本人たちに向上心がなかったら駄目

(五代目)中村時蔵

壱太郎さんは最高ですよね。
僕はあの年であんなにしっかりしていなかったので凄いなと思います。
やっぱり血筋というものを持っていらっしゃるので、
言わなくてもわかっていただける。
ずっと相手役でやっているから合うというのもありますし

先輩方のなかには、
そういった型の部分をさっさと崩すタイプもいますが、
その域が“解脱なのか、
途中で型崩れしただけなのか、
それぞれです。
はたまた人によってはその崩れが洒脱な芸になることもあり、......

型のために型に忠実であるのではなく、
型を身につけてしまえば、
型はむしろ自分に忠実なものとなり、
自然にできるはずだ

セリフをずらずら連ねるのではなく、
三人で息を合わせながらお客様に伝えるべきことをきちんと伝えていくやりかたを、
きっちりと叔父に教えていただきました

(50代は狂言師の人生にとってどういった段階なのですか)まさにスタートラインです。
狂言師として幼いころから身に付けてきた「型」を、
最高のレベルにまで磨き上げていく時期だと思っています

あとは、
動き。
ボスキャラのような大きな存在になればなるほど、
あまり動かない。
仁王立ち。
あまり動かず、......

生意気の上に、
努力が加わらないといけません。
そうすれば皆が納得する。
努力できる役者づくりが、
能を活性化する一番だと私は思っています。
これ以外ないでしょう

山は静かにして性をうあしなひ、
水はうごいて性を癒す

耳をもて俳諧を聞くべからず、
目をもて俳諧を見るべし

もちろん形はものすごく大切ですよ。
形というものをなんべんもなんべんも繰り返しているうちにその中にある何かが分かってくる。
形を教えて精神を掴んでもらわなければならないんです

(父は)無理をすることが必要だと考えていたんでしょう。
高いところを目指すなら、
無理をすることが大事で、
それは当然なんですね。
何歳だから無理だと考えないで、
大人と同じように稽古をし、......

父は歌舞伎の場合は「役が6割の役者4割ぐらいで演じたほうがいい」と言っていました

せっかく日本人に生まれたのだから、
歌舞伎を知った上で海外の文化にも興味があるというのがいいと思うんです

男性も着物が着られたら格好いい

お正月には嵯峨の家に片岡家の人たちとお弟子さんたちが全員集まってお祝い。
三が日は、
京、
大坂、
江戸の三都で座頭がとれるような役者になるという意味を込めて、
大きな頭芋の入った三都にちなんだ三種類のお雑煮を、......

その点「新春浅草歌舞伎」がいいのは「着物で歌舞伎の日」というのがあって、
お客様が全員着物姿で来ていただく日があること。
舞台から見ていても壮観ですよ。
お正月らしい華やぎがあっていいものです

でもうまい具合にあけられそうになってから、
作品や役柄について聞いて、
原作を読んでみたら、
なるほどこれはいいキャラだなと思いましたね

先輩俳優が、
“踊れないやつに限って踊るとおっしゃっていました

(五代目)中村時蔵

片はずしは娘、
お姫様、
女房、
芸者など女形がこれまで培ってきた人生の集約。
赤姫が上品に年を取ったような。
役と役者の年輪が重なるような域をめざしたい。......

人間って一人で仕事をしていることってないですね。
たとえ山の中で黙々と一人で木を切っていたって、
親とか師匠とかの視線を心の中に持っている。
ずさんな仕事をすればあとで仲間に伝わる

生きていくための基本が『教養』であるべき。
たとえば世の中に出る前に、
物事の思考の仕方や人との接し方などを正しくプログラミングしてあげる。
それなしに、
いきなり個性と言っても始まらない

(中村歌右衛門さんと尾上梅幸さんから教わったことで印象に残っているものは?
)お二人の教えで共通するのは“役になり切るのが大切ということです。
歌舞伎は、
決まりは絶対に崩してはなりませんが、
それ以外は結構自由に表現してもいいんです

父はずいぶん新作歌舞伎に取り組みましたが、
それ以上に古典歌舞伎を愛していました