名言大学

#文化

おろかなる者は思ふ事おほし

『職業は?
』と聞かれたら『野村萬斎』と答えたい

祖父から早くに「道成寺」をやらせなさいと遺言があったそうなんです。
手塩にかけた子どもで、
早く見たかったという思いがあったんでしょう。
それで祖父の七回忌に出させていただきました

どんな名作でも忘れられていく。
むなしさはあっても、
絶対に気を抜かない。
全力を尽くさないと、
嫌なんだなあ

(若い役者に)夢や目標を持てるようにすることも大事です

最近夏には若い方が浴衣姿で歩いていますが、
とてもいいと思います。
着物はこんなに素晴らしいものなのに、
忘れられていましたから。
家に着物はたくさんあるけれど、
自分で着られないという方が多いのではないでしょうか

前作が終わった後「ぜひ、
もう一度お仕事をしたいですね」という話をさせていただいていましたが、
(栗山)先生もとても忙しい方ですからつかまらなくて。
もう、
お芝居は一緒に出来ないかなと思っていたら「再来年ぐらいどう?
」と、......

人に悪いことをするという行為は日常的ではないでしょう? 例えば、
蹴り飛ばして、
踏みつけて、
高笑いすることって普通はない。
非現実的なんです

ストレートな悪役が組み上げられていきます。
悪役は楽しいですよ

役作りはオーソドックスだと思いますよ。
内面、
中から構築していって、
プラスアルファでどれだけ色づけしていくか。
役柄によりますけども

父(人間国宝の野村万作さん)は83歳になりますが、
すでに型を脱却し、
“解脱の境地に達していると感じます

ぼくらは一生修行で今も修行の身で、
終わりがありません

沢市は伯父の我當に教えていただきます。
もともと祖父の十三代目(十三世片岡仁左衛門)が得意としていたお役ですし、
伯父も何度か演じていますので、
祖父のやり方を教えていただけるでしょう

歌舞伎はもっと面白いものになるはずなのに、
戦後に伝統と呼ばれ始めて高尚なものになり、
あぐらをかいている状態なんです

(コクーン歌舞伎が16年目を迎えた時の言葉)十八代目中村勘三郎の原点と言えます。
これが歌舞伎だと思うことを作った・・。
『熊谷陣屋』の熊谷直実が言うせりふに“16年はひと昔、
ああ、
夢だというのがあるんですけど、
まさにそんな感じですね。......

純粋に面白いものを追求するところになかなか行けないもどかしさはあります

体験できないことでも勉強して自分のものにすればいい。
僕は、
知ったかぶりがいちばん良くないと思っています

面白いからやるわけじゃないんです。
もちろん面白さはありますが、
それは二の次。
掘り起こした曲が、
なぜ歴史の中に埋もれたのか。
長い時を越えて今、......

舞台があるときは、
必ず和食を食べるようにしています。
海外公演で日本食の店がないときでも、
最低限米さえ食べられれば、
なんとか力が湧いてくる

今回の「新春浅草歌舞伎」はいい出し物ばかりですよね。
どれも「日本の心」があって、
楽しめると思います

お客様に伝わればいいですし、
数を重ねればまたわかっていくこともあるので

(狂言の芸が使えない局面もありましたか)仏教の五戒(殺生、
偸盗、
邪淫、
妄語、
飲酒〈おんとう〉)でいう殺生と邪淫の部分です。
狂言には「すっぱ」と呼ばれる小悪党は登場しますが、......

僕自身も、
狂言師の宿命を背負って生きることに負の意識を抱くこともありました。
宿命を力に変える部分で、
杉の市と類似するものを感じます。
私ももう立派な中高年ですが、
杉の市の享年28の人生を生きてみて、......

芝居と言うものは、
その演目を観に行くところから既に芝居の一部が始まっており、
お客さんが体験する空間は、
家路へと向かう劇場の扉を開けた瞬間から徐々に閉じられてゆく…だからこそ、
お客さんのおもしろいと思う芝居を提供しなければいけない

あとは、
動き。
ボスキャラのような大きな存在になればなるほど、
あまり動かない。
仁王立ち。
あまり動かず、......

私の曽祖父の時代、
明治維新で、
能は無くなったじゃないですか。
そのときにいい役者にならなきゃなと思ったでしょう。
つまらないものをやっていちゃあ、
しょうがないわけで。......

それは十人十色で、
あるお客様は「このお芝居は最高だ」とおっしゃるけど、
別のお客様は「こんなの芝居じゃないよ」って全く反対のことをおっしゃることもあります。
それでいいんです

焦ったって本人が不安なら、
見ている人は面白くも何ともないんですよ。
機は熟す。
身のうちから突き上げるように満ちてくるものなのです

今回のライダーは、
所謂アウェイ(笑)。
こういうのは現場に入らないとわからない部分はあるので、
もう現場との駆け引きにもなりますね

ある意味古風ですよね。
そこが歌舞伎っぽいといえば、
歌舞伎っぽい。
確かにゆっくり腕を回転させるのは、
1号をはじめとした昭和ライダーの変身! を彷彿とさせますね

教えるのは難しい。
自分ができないと教えられません

(五代目)中村時蔵

自分たち(七之助さん)は「まだまだ」という気持ちを各々が常に持ってやっています

体で分かり、
心で分かり、
そして演じる機会が訪れる大切さ。
焦ったって本人が不安なら、
見ている人は面白くも何ともないんですよ。
機は熟す。......

(八重桐は)祖父が大正5年に三代目時蔵を襲名した際に演じ、
父も昭和35年の四代目時蔵襲名で勤め、
私の家の芸になっております

(五代目)中村時蔵

見る度に発見が出てくるわけです。
それが歌舞伎の面白さ

(五代目)中村時蔵

うちの父(片岡秀太郎)は教えるのが凄く上手なんですけどね

理屈じゃない、
分析できない、
でも聴いていて心地よい「語リ」、
眺めていて美しい「構エ」や「運ビ」。
それらが無意識にできるまで息子の体に叩き込んでいる真っ最中です

父は歌舞伎の場合は「役が6割の役者4割ぐらいで演じたほうがいい」と言っていました

人間の本質は変わらない。
でも時代は変わる。
だから、
立ち止まるわけにはいかないと思います

壱太郎さんは最高ですよね。
僕はあの年であんなにしっかりしていなかったので凄いなと思います。
やっぱり血筋というものを持っていらっしゃるので、
言わなくてもわかっていただける。
ずっと相手役でやっているから合うというのもありますし

経験や人生が反映されることで、
はじめて意味が見出され名言となって訴えかけてくる。
言葉とは、
そういう「人生を映す鏡」のようなものではないでしょうか

(拍手鳴りやまず、
再び開いて言った一言)これ、
いつもは開けないんですが、
今日は、
お月様がきれいなんで

(歌舞伎の中に残っている「日本の心」について)いろいろなものがあるかもしれませんが、
やっぱり“自己犠牲の心じゃないでしょうか。
『寺子屋』にしても『熊谷陣屋』にしても、
他人のために自分の子供を殺すわけですから、
究極の自己犠牲です。
これはなかなかよその国ではわかってもらえない

歌舞伎の血、
というものでしょうか。
父の跡を継承することに何の迷いもなかった

(五代目)中村時蔵

いろんな年齢層の方がご覧になっても楽しめるドラマになっていると思います

人生の成功とは、
死ぬときに悔いが残らないこと

父(秀太郎)とは特に共演が多かったわけではなく、
僕自身歌舞伎俳優になろうとも思っていませんでした。
でもそれがきっかけとなり、
歌舞伎の世界に入ることになりました

夫婦であったり親子であったり新婚であったり、
敵であったり味方であったり、
理不尽なことをされたり、
日常「ああわかるわかる」みたいなことがたくさん含まれていますので、
これを見ていい家族を築いていただき、
そして「来週どうなるのかなあ」と思っていただきたいですし、......

先輩俳優が、
“踊れないやつに限って踊るとおっしゃっていました

(五代目)中村時蔵

50代のうちに型を洗練しきったところまで究めておくかどうかで、
最終的に到達できる芸のレベルが決まる気がします

「弱法師」では、
昔は四天王寺界隈の賑やかさが描かれていましたが、
今はそれをあまり感じません。
それよりも、
父と子、
人対人の関係性を凝縮して演じます。......

耳をもて俳諧を聞くべからず、
目をもて俳諧を見るべし

1回演じた後の反省は、
自分の中にためることになります。
それもいい点があります。
ためたことを、
ほかの演目に活かす道があるからです。
それが能の良さでもありますね

片はずしは娘、
お姫様、
女房、
芸者など女形がこれまで培ってきた人生の集約。
赤姫が上品に年を取ったような。
役と役者の年輪が重なるような域をめざしたい。......

役者の魅力を磨く土壌を広げなくちゃいけません。
我々、
指導する側の責任です

例えば二十歳のお姫様を実年齢の若い人がやるのと、
大先輩の70歳の方がなさるのと、
どっちのお姫様が可愛いかと言ったら、
先輩の方が可愛いんです。
これが不思議なことで、
やっぱり芸の力なんですよね。......

動かない演技で、
観客を惹きつけなければならないんです。
我々能の演者は、
果たして観客を捉える力を出しているかどうか。
今現在、
そう問いたいですね

新国立劇場で舞台芸術を上演するとなると、
やはり国のフラッグシップ的な位置付けのコンテンツ、
国の威信を懸けた作品でなければいけない使命があるような気がします。
都立や県立も同様かもしれません

この役(岩長姫実ハ八岐大蛇)は私のご尊敬申し上げる、
成駒屋のおじ様(六世中村歌右衛門)が国立劇場で復活なさったもので、
以前から勤めたかったお役です

(五代目)中村時蔵

いかに女性らしく見せるかという体の使い方や仕草が非常に大事なんです。
それは立役でも同じです。
殿様なら、
いかにも殿様らしく出てくる。
雰囲気だけで殿様とわかってもらうというのが大事だし、
それがお芝居だと思います