名言大学

研究をなさる先生方は、
体系的な知識と頭脳を、
私たち役者に与えてくださる。
役者はそれを能として実演する。
その営みが面白いですよね

もちろん形はものすごく大切ですよ。
形というものをなんべんもなんべんも繰り返しているうちにその中にある何かが分かってくる。
形を教えて精神を掴んでもらわなければならないんです

私は、
能楽師仲間には「演じるところから始めよう」と言うんです。
役者は学者と違います。
実演が大切です

原石を磨く過程に迫るのは、
すごく面白い

面白いからやるわけじゃないんです。
もちろん面白さはありますが、
それは二の次。
掘り起こした曲が、
なぜ歴史の中に埋もれたのか。
長い時を越えて今、......

私は、
“玄祥ワールドを作りたくてやっているわけではありません。
我が儘に作りたくないのです。
皆さんには、
自由に発言してくださいと申し上げている。
そして皆で作り、......

復曲、
新作を手掛けることについては、
協力してくださる方々がいなければ成り立ちません。
三役の諸先生方のご協力があってこそと、
常々感謝しています。
また研究者の方々、......

『風姿花伝』も間違えて読んだら、
えらいことになりますよ

現行曲を検討し、
能の一期一会のあり方、
その良さを改めて感じることができました。
その流れで、
三十代から復曲、
新作に取り組むようになりました

研ぎ澄まされた「井筒」の宝石だけを見て、
「これが能です」と威張っても仕方がない。
磨く途中のことを考える・・・・そうすれば、
考えることそのものが能に関わる皆の伝承になっていくんじゃないでしょうか

1回演じた後の反省は、
自分の中にためることになります。
それもいい点があります。
ためたことを、
ほかの演目に活かす道があるからです。
それが能の良さでもありますね

「井筒」は削ぎ落とされて今のかたちになりました。
その削ぎ落とす過程、
原石を磨き上げてきた幾多の演者たちの心に、
思いを致すことが大事です

演者は、
新曲に取り組みたいものですが、
能は1回限り、
一期一会ですからね。
できる曲が限られています。
ある曲を演じて、......

我々は能が、
なぜ、
どのように今のかたちになったのか、
しっかりと紐解いていかなければなりません

「弱法師」では、
昔は四天王寺界隈の賑やかさが描かれていましたが、
今はそれをあまり感じません。
それよりも、
父と子、
人対人の関係性を凝縮して演じます。......

舞や謡の伝承は、
途切れたり、
途中から出来てきたりするものなのです。
では何を伝承しているのかと言いますと、
精神だと思うんです

「葵上」の古式や「弱法師」の世阿弥自筆本での演出などを見ていきますと、
どのように、
どうして今のかたちになったのかが見えてくる。
かつてあったものを、
どんどん削ぎ落とし、
今に至っている

当家に限れば、
謡が華麗だ、
綺麗だと言われることがあります。
でもそれは、
長い年月に受け継がれた、
梅若風ではありません。......

「羽衣」では、
流儀によって「月の色人(いろびと)」と謡ったり、
「月の宮人(みやびと)」と謡ったりする一節がありますね。
「イロビト」「ミヤビト」の音の違いがありますが、
違いはどこから来ているのか、
その意味をわかって謡う、......

失敗してもいい、
舞台で転んでもいい、
やってやるという、
みなぎる「気」みたいなものがないといけないんじゃないでしょうか

現行曲はこのままでいいのか。
誤りのある場合もありますよ。
そこで、
誤りだと理解して演じるのと、
意に介さないのとでは大きな開きがある。
誤りを何も考えずに伝承するのは、......

動かない演技で、
観客を惹きつけなければならないんです。
我々能の演者は、
果たして観客を捉える力を出しているかどうか。
今現在、
そう問いたいですね

堂本(正樹)さんは、
私の祖父の弟子で、
幼少時代から私を弟のように見てくださっている方です。
橋岡久太郎先生にも教えを受けておられ、
堂本さんを介して、
祖父や橋岡先生の貴重な話を聞くことができました。......

この曲(「摂待」)は、
演者が出てきて、
ずっと座ったまま話が展開する能です。
私の友人が一度「摂待」を観て、
「あまりにも眠くてウトウトした」と言うんです。
「それからどうした」と聞くと、......

古典を化石にせず、
生きた古典にしたい

(能を)退屈だと言うのを否定してはいけませんよ。
それよりも、
なぜそうなのかを考えるべきです

他人のためにやってうまい人もいます。
でもそれは苦しみでしかないと思うんです。
少なくとも私はずっと自分のためにやってきました。
もちろん、
それは自分さえよければいい お客様はどうでもいいというのとは全く別の問題です

この子は可能性があると思ったら、
押し上げる。
素質のある子は努力すれば、
どんどん上に行きます。
逆に努力しなければ落ちる。
それは役者次第です

かたちだけでも私が父の代理で教えなければならない。
病床にいた父の枕元で話を聞いたり、
寝ながらでも型を教えてもらったりしました。
これが結構勉強になりましたね

大切なのは役者の魅力を磨くこと。
面白い役者を作らないといけません。
面白いって楽しい人というわけじゃないですよ。
いろいろな可能性を感じさせる役者を、
皆で育てていかなくちゃいけないと思うんです

知らないことはきちんと学んで教えなければならない。
わからないことは、
父に聞き、
先輩に聞き、
家にある伝書類も読みました。
伝書を読む習慣はその頃につきました

伝承とは、
生きることそのもの

彼ら(勘が鈍い玄人)をどう仕立てるのかが課されたわけです。
なぜ父がそうしたかというと、
私の勉強になるからなんですね。
本当に苦労しました

当家もおかげさまで古い伝書はあります。
それを信じて読んでいいのかどうか、
考えながら読まないと。
また若いときに読むのと、
今読むのとでも、
違います。......

素人のお弟子さんは、
もう教えるようになっていましたが、
23、
4になりますと、
今度は玄人を教えるように言われました。
それも、......

世阿弥は芸を大成した後に書いているところも多いと思います。
それを、
もちろん読むのはいいんですが、
自分に引き寄せすぎるとよくない。
自分もこうやってああなって・・・・ と勘違いしてはいけません

祖父から早くに「道成寺」をやらせなさいと遺言があったそうなんです。
手塩にかけた子どもで、
早く見たかったという思いがあったんでしょう。
それで祖父の七回忌に出させていただきました

世阿弥を読んで、
いろいろと言ってくる方がおられます。
でも私は「あなたは世阿弥じゃないでしょう?
」と返す

(父は)無理をすることが必要だと考えていたんでしょう。
高いところを目指すなら、
無理をすることが大事で、
それは当然なんですね。
何歳だから無理だと考えないで、
大人と同じように稽古をし、......

12歳頃ですが、
子方ではないし、
大人でもない。
一番中途半端な時期です。
その時期でも、
父は普通の稽古を課しました。......

祖父から「石橋」や長刀物、
「鷺乱」まで稽古してもらいました。
ここまで習えれば幸せなことです。
当時は、
そんな実感はありませんでしたけれども。
こうして、......

祖父自身は、
家の当主が最後の稽古は見るべきだという信条があって、
稽古の最後は、
家督を継いだ父に見せるようにしていました。
でもそれは、
かたちだけでした。......

私は「家で守って役者は攻めろ」とよく言っています。
守りとは攻めでもある。
攻守両方なくてはなりません。
流儀、
家があって、
かたちを守る。......

流儀も、
家元制度も無くなってはいけないと思います。
特に、
能において家元制度は、
大変よい制度です。
こうして、......

私の曽祖父の時代、
明治維新で、
能は無くなったじゃないですか。
そのときにいい役者にならなきゃなと思ったでしょう。
つまらないものをやっていちゃあ、
しょうがないわけで。......

生意気の上に、
努力が加わらないといけません。
そうすれば皆が納得する。
努力できる役者づくりが、
能を活性化する一番だと私は思っています。
これ以外ないでしょう

役者の魅力を磨く土壌を広げなくちゃいけません。
我々、
指導する側の責任です

普及では具体的に、
この催しならお客様が喜ぶという企画を出すことも必要です

梅若玄祥(うめわかげんしょう)は、シテ方観世流の一派で能楽師、梅若家の名跡。