名言大学

最初から仕掛けどころを決めている選手って、
意外と少ないんですよ。
結局、
スパートには体力も気力も使うので、
選手は1回で決めたいんですね。
それには相手のペースが落ちるのを見極めるのが最も効果的。......

1997年世界陸上アテネ大会で5,000mに初出場したとき、
決勝のスタートラインでカチンコチンになりましたが、
あの経験があったからこそ2000年シドニーオリンピックのスタートで余裕で踊っていられたんです。
もし世界陸上の経験がなかったら、
オリンピックのスタートラインで緊張していたと思います

私は自分のラジオ番組で、
2年半ぐらい前から「ブーム」から「文化」になったと言っています。
昔のマラソンと、
今のマラソンはもう違っていて、
昔のような「泥臭い、
汗臭い」というイメージでは無くて、......

(野口選手の日本代表復帰について)マラソンの第一線に帰ってきてくれたこと、
それ自体が停滞ムードの日本のマラソン界に風穴をあけてくれるのではないでしょうか。
彼女のような名実ともに優れた選手は全体のレベルを底上げしてくれますから

今大会も人類の限界に挑戦する選手たちの素晴らしい戦い、
そして歴史的瞬間を目の当たりにすることでしょう。
ぜひそれを見逃さないよう選手たちに熱い声援を送っていただきたいと思います。
興奮と感動を一緒に味わいましょう

ちょっとだけ頑張る ことを、
毎日続けてみよう

トレーナーという職業に対する認識が、
日本でもっと高くなるといいなと。
そこに、
(ランニング文化の)伸び率があるのかなとも思います

マラソンという競技は、
自分の身体を42,195km運ばなければいけないので、
実はたくさん筋肉をつけすぎても負担になってしまうんですよね。
ただ、
しっかりとした、
体幹も含めた筋力トレーニングをする事は、......

日本における「トレーナー」という仕事は、
あまりにも認識が低いと思います。
日本では、
「トレーナー」というと、
「マッサージをする人」と思っている方が非常に多く、
それは一般の方だけでなくプロのランナーでも、......

いままでにいったいどれだけ走ったか…残すはたった42キロ

痛い目にあったとしても、
失敗すらできない人生よりずっと楽しい

人以上やって人なみ。
人の倍以上やってようやく…。
もう走れないほど練習しても一晩寝ると不思議と走れてしまう

よかったことの現実も、
悪いことの現実も、
次へ向かう糧にしたい

私から陸上をとっても、
何も残らないというわけじゃない

私たちにとって、
二度と来ない時間を楽しい思い出にできることが一番幸せなことだし、
大切なことだとおもいます

とても楽しい42キロでした

負けるのが恥ずかしいとは思っていません

私はほめられると弱いので、
いいぞ、
いいぞって言われると、
嬉しくてどんどんがんばっちゃうんです

ウェイトトレーニングも含めた正しいトレーニングをする事で、
パフォーマンスアップが望めると思います

今、
市民ランナーの数は増えています。
皇居の周りを1日5000人くらいの人が走っているとも言われています。
それだけトップランナーの気持ちを分かってくれる人が増えたわけです。
それなのにヒーロー、
ヒロインが出てこないというのは、......

人への感謝の気持ちも、
自分の力になる

(陸上部の監督がよく選手に贈る言葉、
高橋選手の座右の銘)何も咲かない寒い日は、
下へ下へと根をのばせ。
やがて大きな花が咲く

長い階段を一気に上がろうとすると、
途中でへばってしまう。
でも一段ずつ確実に上がっていけば、
時間はかかっても頂上まで上がることができる

(シドニーオリンピックでの「すごく楽しい42キロでした」の発言について)あの時代はまだマラソンが楽しいと言われる時代ではなかったんですが、
みんなに伝えたかったんです。
見るスポーツだったマラソンが、
今こうして誰でも楽しめるスポーツだと共感できる人が増えたことはすごくうれしいです

1日の変化としては、
0.00・・1度くらいの角度しか変わらなくても、
毎日続けることで到達点はぜんぜん違ってくるんです

実は私自身、
シドニーオリンピックを終えて、
小出監督にプロになるぞと言われたとき、
正直なところ、
すごく嫌でした。
プロになれば、......

子どもたちの数が減っているのも現実です。
野球やサッカーに優秀な子を取られてしまっているのもあります。
現に、
マラソンを始める子が増えたかというと、
そうでもないですね

実業団選手に厳しいことを言うと、
マッサージを受けたり、
食事を作ってもらったりして、
陸上競技を生活の中心に置いている以上は、
市民ランナーに負けないくらいがんばってもらいたいです

女子に限らず、
走ることに集中できている実業団選手って、
ごく少数しかいません。
実業団選手の7、
8割は仕事をしながら走っています。
走ることで就職したのは確かですが、......

『お前は上り坂に弱い』とずっと言われていて、
『下りは得意だから、
下りは誰にも負けないようにしよう』とがんばっていたら、
いつの間にか、
小出監督に『お前は上りがうまいな』と言われて、
びっくりした覚えがあります。......

(高橋尚子杯 ぎふ清流マラソンについて)引退して、
ようやく少しでも地元に恩返しができる機会ができたかな。
現役の時代から陸連の方に『高橋尚子杯をやろう。
ジュニアも育成しよう』と言っていただいて、
何か形に残すことができたらいいと思っていました。
それにプラスして、......

性格はポジティブなんですけど(笑)、
落ち込む時は落ち込むんです。
現役時代は、
しっかり練習して一日が終われば、
きょうは8割できた、
9割できたと、......

市民ランナーはいろいろな指導本を参考にしたり、
市民ランナー同士で情報交換したりしながら切磋琢磨せっさたくましています。
そういった層の厚みが増して、
全体のレベルアップにつながることに大きな意味があると思います

今はまだスポーツキャスターをやっていても反省点が多くて、
テレビに出た後、
かなり落ち込むことが多いんです

私自身、
初めからトップアスリートだったわけではないじゃないかと。
高校・大学時代は本当に弱かったので、
キャスターになって、
いきなりスラスラとうまくいくわけはないんだと。
これを続けていけばもう少し上まで上がっていける。......

スポーツ選手と話す時、
私はマスコミ人というよりもアスリートの一員として、
気持ちを共有しながら、
私もそういう時があったな、
こういうことを思っていたな、
と自分に引き寄せて選手と話すようにしています。......

引退直後の2009年4月からスポーツキャスターのお仕事をしているんですが、
ジャンルを問わず、
いろんな人に聞きに行くことができるし、
トップ選手ならではの取り組みや精神状態や、
考え方を聞くことができる。
それだけでも引き出しを増やすことができるでしょうし、......

小出監督は本当に指導がすごいと思います。
長年、
高校で陸上競技を指導してこられたので、
この選手にはこんな言葉を、
あの選手にはこんなメニューを、
といった具合に、......

現役を引退して、
これから何をしていこうと考えた時、
それまで走ることしか考えていなかったことに気づきました。
自分は『井の中の蛙かわず』だったと。
逆にそうでなければいけなかったとは思うんですが、
一日の生活は食べて、......

途中でへばってしまう。
でも一段ずつ確実に上がっていけば、
時間はかかっても頂上まで上がることができる

暗闇の中でも、
夢を持つことで、
ホントに1日1日を充実した時間を過ごすことが出来ました。
なので、
陸上に関係なく、
いま暗闇にいる人や悩んでいる人、......

すべての1日が精一杯頑張ったという1年にしたい

ケニアでマラソン大会をしませんかという話をいただいて、
それなら一緒に何か意味のあることをしたいと考えたんです。
ケニアはまだ靴を履けない子どもたちが大勢いると聞きました。
私も靴は自分の体の一部と思って大事にしてきたので、
子どもたちと大切な靴でつながりたいということで、
靴を渡すことに決めました

私はすべての大会において、
結果がどうなろうとも、
スタートラインに立った時は『やるべきことはすべてやった』という気持ちでした。
なぜそういう気持ちになれるかというと、
それまでの一日一日がすべて、
『きょうはすべてやりきった、......

(小出監督について)太陽みたいな存在ですね。
いつも明るく照らしてくれて。
時には親になり、
時には恋人のような時もあるくらい、
すごく身近な方です。
私以上に私のことを知っているのかなと思います

復活へのモチベーションは、
すごくたくさんの人に応援してもらってきたので、
その人たちに恩返しをしたい思いでした。
そして、
2005年の東京国際女子マラソンで復活につながったんです。
最後の目標は、......

ハートはそんなに強くないと思います。
どちらかというと精神的に弱いです(笑)。
ここまでやってこられたのは、
いつもその時々の目標を追いかけていたからだと思います

私もそうでしたが、
誰もやったことがないのに本当にできるのかなという不安の中でやるのと、
もうやり遂げた人がいる道を通るのはぜんぜん違います。
女子のみんなには、
もっと自信を持ってもらって、
自分にもできるんだと思ってほしいです。......

小学校の頃は、
走ることは好きでしたが、
走ることを生活の中心には置いていませんでした。
大会に出る機会もあまりありませんでした。
中学校で陸上部に入ってからは、
何とかして強くなりたいのにその方法が分からなくて悩むことが多かったです