名言大学

芥川賞の審査員にとってもテーマがまったく新しいものだったんだと思います。
読むのを楽しみにしています

かつてないほどの表現力があったのでは

アンテナを張り巡らせる姿勢

そのあとはとにかく努力

(拉致事件について)あってはならないし、
許されないことだとは思いますが、
日本が戦争中に行ったことを考えたら、
その比ではないでしょう

皆さんに良く聞かれるのですが、
本当にね、
気を付けることと言ったらダブル洗顔するくらい

カリナが敵の手におちることなど考えられなかったからです

その時、
只ひとつのことを神に祈りました。
「もし私が銃弾に倒れることがあったら、
どうか数秒でもいい、
カリナの命を我が手で絶つ力を与えて下さい」と願ったのです

私は1970年6月、
3才3ヶ月になった娘のカリナを連れて、
パリからスカルノ大統領の死の床に殺される事を覚悟で馳せ参じました

不名誉のまんまじゃいられないわ

特殊な世界。
奥様になるからには、
まずは役者の妻は前に出しゃばることなく、
奥ゆかしく徹し、
後援会の皆様に気に入ってもらわねば

同情を買うためかしら

愛之助さん、
別れ方ヘタね

後進を育て、
日本のバレエ文化を国際レベルに押し上げる努力をしている。
髪に白いものが生えているのを見て、
その苦労が良くわかった。
本当に素晴らしい

肌を清潔に保つことと、
湿度には気をつけています

私ね、
お化粧はするよりも落とす方に力を入れています

新しい自分を発見しで下さい。
今までしたことのない事をして、
それを楽しんでる自分を発見できる人はいつまでも若くしてられますよ

「絶対に出来ない」「絶対不可能」と思うことに挑戦してみると(結果)出来ちゃう。
だからあなたでも出来るのよ、
やろうと思えば。
おほほほほ

若さの秘訣は何事にも好奇心と興味、
探求心を持って新しいことに挑むことだと思うのです。
自分の可能性がどこまであるか

私は全然二枚目ではなくて三枚目よ。
人を驚かすのも大好きですし、
ジョークも大好きよ(笑)

清楚ですよ。
ほほほほほ。
もちろん膝下10cmでスカートかワンピースですね。
パンツっていう思い出はないですね

70年代にはパリにはディスコテックがあった。
でもそれが日本に来たのは遅いんじゃないかしらね

16歳くらいかしらね。
その頃はね、
まだディスコなんてなくてダンスホール

私はニットとかは一切着ないです。
ニットなんか着てたら(体が)ボワーッとなりますから

恋愛って、
プロセスを楽しむものなのよ

私はウエストはぎゅーっと締まった洋服しか着ないのです

体は「型」の中に入れておかないとね

すごいシンプルで私、
他は何にもしていない。
あとはやっぱり精神の持ち方よ

お食事は非常に気をつけています。
食べたいものも食べないで我慢する

1日10回は感動して下さい。
感動するとリンパとかホルモンが体中を駆け巡りますから

何の努力もせずにステキな男性と恋に落ちるなんて、
小説どころか、
絵本の中だけのお話です

行動しなければ、
不幸になることはあっても、
幸せになることは絶対にありません

スポーツも大好きで、
今でも年に一度はスキーに行きます。
水上スキーもスキューバも。
海水に30m潜水できるライセンスも持っているのよ

人を驚かせるイタズラが大好き。
少女時代はガキ大将でしたから。
アウトドア・タイプです

みなさん私のことを非常にインドアな女性だと思っているでしょ?
いつもきらびやかなドレスを着て、
宝石を身にまとってっていう。
全然違うの

若さを保つには、
何事にも好奇心を持って、
興味を持って、
探究心を持って挑むことが大事

私はさまざまなことに対して挑戦する気持ちを、
いつまでも持っていたいと思っているんです。
挑戦する気持ちを失った時が、
自分が年を取ったということになるんじゃないでしょうか

入ってきたお仕事は全部こなしたい、
という気持ちはありますね

彼(出川)はすごくお行儀のいい、
真面目な人なんですね。
私がそう言うと「営業妨害です」って嫌がられますけど(笑)

生まれた家はとても貧しかったけど、
私には全く不幸という感覚はありませんでした

何かを身につけるたびに、
何かに気が付くたびに、
何かを知るたびに未知の世界の扉が開けるようで、
常にワクワクしていた

自分を不幸だと思うなら、
さらに不幸な人を思いなさい。
そして不幸を抜け出す努力をするのです

私は常に上昇志向を持ち希望を思い描いていたからこそ、
インドネシアの大統領に出会うチャンスが訪れたときに臆することなく会話を楽しむことができた

自分の境遇を受け入れ、
自分を高める努力をする

自分にチャンスが巡ってきたら必ず掴む

しないのは・・・・そうね、
野球とボクシングくらい(笑)

小さい頃から世の中は不公平、
不条理なことでいっぱいだと怒りを感じていた

(幼少の頃に感じた社会は不条理だと感じ)社会正義のために戦わなくては。
だからこそ、
私は勉強をしたの。
教養を身につければ人の上に立てると信じて

私の学費が足りず、
学友のお母さんから(実母が)お金を借りていたようです。
少しでも早く自分の手で収入を得て母を助けたい。
この強い気持ちから、
就職を決めた

仕事も遊びも限界を決めない