名言大学

少年老い易く、
学成り難し。
一寸の光陰軽んずべからず

大疑は大進すべし、
小疑は小進すべし、
疑わざれば進まず

血の気の怒りはあるべからず、
理義の怒りは無かるべからず

精神一到何事か成らざらん

事を論じては、
祇だ当に其の理の是非を言うべし。
其の事の利害を計る当からず

万事成らざれば須らく吾が志を責むべし

臣子は身を愛して自ら佚するの理なし

謂ふなかれ、
今日学ばずとも来日ありと。
謂ふなかれ、
今年学ばずとも来年ありと

子思より以来、
『尊徳性』と『道問学』を教えの両輪としてきたが、
陸象山は『尊徳性』を専らに主張している。
翻って熹自身はどうかといえば、
これまで『道間学』に傾斜していたかもしれない。
彼の学問には見るべきものも多いが、......

人は欲あらば即ち剛なし 剛ならば即ち欲に屈せず

陸学固より禅に似たる処あり

近ごろ陸子静の言論風旨の一二を聞くに、
全く是れ禅学

却って愁ふ説きて無言の処に到りて 信ぜず 人間に古今あるを

陽気発する処、
金石も亦透る

人の患難に於ける、
ただ一箇の処置あり。
人謀を尽くすの後は、
却ってすべからく泰然としてこれに処すべし

小人閑居して不善を為す

未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉已に秋声

心情に敬の状態あれば、
股体おのずと引き締まり、
何も意識して加減せずとも、
股体おのずから伸びやかにならん

同異をもって喜怒を為さず、
喜怒をもって用捨(ようしゃ)を為さず

始学の工夫は、
須らく是れ静坐すべし。
静坐すれば則ち本原定まる

鬼神の理は、
聖人蓋し之れを言ひ難し。
真に一物有りと謂へば固より不可なり。
真に一物有るに非ずと謂ふも亦不可なり。
若し未だ暁然として見得ること能はざれば、
且く之れを闘きて可なり

命は猶お令のごときなり。
性は即ち理なり。
天は陰陽五行を以って万物を化成す。
気は以って形をなし、
理も亦これに賦す。
猶命令のごときなり。......

世俗大抵十分に八分は是れ胡説有り、
二分亦此の理有り

無極にして太極ありとは、
ただ形なく而も理あるをいう。
無極なれば形なく、
太極なれば理あり

然れども又其の事昭昭として、
理を以て推すべからざる者有り。
此等の処は且く理会することを要する莫かれ

学者、
当に常に『志上溝壑に在るを忘れず』を以って念と為すべし。
則も道義重くして、
而して死生を計較するの念軽し

鬼神の事は自ら是れ第二着なり。
那箇の形影無きは是れ理会し難き底なれば、
未だ去きて理会するを消ひず。
且らく日用の緊切の処に就いて工夫を倣せ

人身を以て之れを言へば、
則ち気を神と為して精を鬼と為す

宰我、
鬼神を問ふの一章は最も精密、
包括し得て尽くす。
亦是れ当時弟子記録し得て好し

来諭に言ふ、
其の神の焉に在すが如きは、
真に在すこと有る者には非ざるなり、
と。
此の言尤も理を害す。
若し此の如く説けば、......

鬼神の事の如きは、
聖賢説き得て甚だ分明なり。
只だ礼を将って熟読すれば便ち見ん。
二程初めより鬼神無しと説かず。
但だ如今世俗の所謂鬼神無きのみ。
古来聖人制する所の祭祀は、......

専ら力を人道の宜しき所に用ひて、
鬼神の知るべからざるに惑はざるは、
知者の事なり

鬼神は陰陽の消長に過ぎざるのみ

鬼神は只だ是れ気なり

道統の伝に於て、
敢えて、
妄議ぜずと雖も、
然れども初学の士、
或ひはこれを取ること有れば、
則ち遠くに行き、......

敢へて衆説を会して、
其の衷を折す

心は気の精爽なり

聖人は太極の全体なり

朱 熹(しゅ き、建炎4年9月15日〈1130年10月18日〉 - 慶元6年3月9日〈1200年4月23日〉)は、中国南宋の儒学者。字は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄州病叟・遯翁など。別号として考亭・紫陽がある。諡は文公。朱子(しゅし)と尊称される。本籍地は歙州(後の徽州)源県(現在の江西省上饒市源県)。南剣州尤渓県(現在の福建省三明市尤渓県)に生まれ、建陽(現在の福建省南平市建陽区)の考亭にて没した。儒教の精神・本質を明らかにして体系化を図った儒教の中興者であり、「新儒教」の朱子学の創始者である。