名言大学

スタジオでは『伝えられている』という手応えを強くは感じられない

もっと若い世代が言いたいことが言え、
やりたい事ができる世の中にしたい

自分の頭でしっかり考える事は、
取材を行う際にも肝に銘じていること

(神戸女学院大学文学部総合文化学科に入った理由は?
)社会学を学んで小学校の頃からの夢だった新聞記者になる為

(NHK卒業の理由は?
)ひとつは、
年齢的に管理業務を提示された時に、
いや、
もっと現場でやりたいですと思ったことです。
そして、......

(20代の頃)先輩に視聴者のために放送しているんだということを忘れるなと徹底的に教えられました

どちらかというと組織の一員として認められたい、
染まりたいというタイプでした

(NHK時代)自分が伝えたいことと組織の価値観とのぶつかりを、
ぶつかりとすら思わなくなり始めていると気づきました

(NHKを辞める際、
迷いは?
)すごくありました

新しい価値観に触れたり、
新たな事実を知ったりするのが好き

(NHK入局した頃)道を歩いていて面白いものを発見したら、
近くの家のインターホンを押して、
「すみませ〜ん、
表にあるもの、
見せてもらってもいいですか」とやっていました

不安との闘いが永遠に続くので、
どこかで終止符を打ってくれる男の人が欲しいんですけど、
男の人に全然人気がないんです(笑)

視聴者の意見は、
とっても大事にしたい

結婚だけが幸せのゴールだとは思っていない

外に出て、
現場で何を感じて、
どう伝えるかというのは、
私だけのもの

ただニュース原稿を読むのではなく、
そのニュースの本質は何かということを『あさイチ』でも、
1人のジャーナリストとしてやって来たつもり

アナウンサーという仕事柄、
純文学の朗読をしたりすることもあるのですが、
(サザンオールスターズの)桑田さんの歌詞は無駄なく内容が詰まっていて読みがいがある

(報道を目指した理由は?
)(小学校4年生の頃)第二次オイルショックの後、
省エネのために学校の教室の電気を消していた時期がありました。
でも大阪の繁華街は、
ネオンがギラギラしている。
なぜ、......

(NHK退局直後)何かの所属から離れるというのがこんなに不安なのだと、
初めて知りました

知らないことを自分なりに追いかけていけるのが、
この仕事の面白さです

1社で一生を全うしたいと思っていた

“お堅い仕事しかしませんなんて、
全然そんなことありません

どっぷり浸かりたい時にも、
気分を変えたい時にもサザンを聴きます

NHKを辞めたからって、
私という人間は変わりません

この歳(50歳)になると、
築き上げてきた城を壊して自分を解放するほうが難しい

回す技術は、
場数で向上するもの

無責任な世の中を無責任に作ってしまうという怖さもあります

挑戦しないと、
自分がどんどん凝り固まってしまう

(NHK退局後)一個人として、
相手と同じ目線に降りないとダメだ。
そう気づいてから、
自分が身につけた鎧を一つずつ外していって・・

自分が納得するまで(取材を)追いかけていたい

私の古い価値観も言ってみて、
バッシングされたらそれもいい

「あの人NHKだからよかったけど、
フリーになったらダメだね」って陰口を言われる夢を4回ぐらい見ました

成長もしたようでしてない

自分の価値観を壊すのに一生懸命です

自分がやりたいことは何なのか、
自分は本当はどう思うのか、
ということを考えていないと、
自分がわかんなくなっちゃう

プライベートと仕事で悩んだ時は、
いつも仕事を選んできました

(Twitterとかやらないの?
)やってません。
私、
酔っ払った時にいろんな人にメールしちゃうんです

「素」と「個性」を一緒にして、
「素」のなかから「個性」を探そうとすると苦しくなります

周りがどう思うかではない。
長い人生を考えると、
人の意見で生きても誰も責任とってくれない

(自身の性格は)後悔するし、
仲のいい友達と会うとネガティブな話ばかりしています。
家に一人でいたら、
なるべく外に出たくないタイプです

2択があったら自分に負荷の多い、
危ない道を選んだ方がいい

私は「個性」って人が決めるものだと思うんです

若い頃は苦しいし悲しいし、
人間不信になったりもするけれど、
40代後半からは楽になるから

個で発信するのはすごくしんどいと思います

仲間は大事にするんですけど、
せっかく「個」になったのだから、
自分が何をやりたいのか、
発信したいのかは責任を持って考えたい

叩かれることを恐れ発信しないのでは本末転倒

アナウンサーって「書いてあるものをただ読むだけ」と思われがちですが、
原稿ひとつ読むのにもジャーナリスティックな視点が必要

20代はただ必死。
30代は肩ひじ張っていました。
ちょっとできるようになって、
負けたくない、
社会に認められたいというのがありましたね。
40代になってようやく、......

母親は67歳で亡くなったのですが、
最期に「由美子、
人生なんてあっという間ね」とつぶやいたんです。
すっかり忘れていたのですが、
その言葉を思い出して。
母が亡くなった年齢まで20年ない。......

叩かれないように愛されるようにやると、
丸くふわっとやっちゃうと思う