名言大学

#棋士

若いころは、
破天荒なことをやることですごい勢いとか、
運を呼ぶことがある

それこそ、
かなり複雑な、
1年くらいかけて作った詰将棋でも、
コンピュータにかけると1秒で解かれるわけです。
その詰将棋がちゃんと出来てるって証明にはなるんですけども、
ちょっと切ない気分にはなりますよね

昨今の棋士は,羽生さん、
森内さん、
佐藤さんにしても,社交的な方が多いのかなと思います。
とくにタイトル戦に出ておられるような方は,普段は明るい,初対面の人とも楽しく雑談できる感じですよね。
もちろん,対局中は厳しいところもありますが

アルファ碁とかコンピュータとかいう事ではなくやはり棋士としては強い相手と戦いたいというのがあるからどういうものか体感してみたい

小さい時に始めていれば戻ってやり直したいと思った時に選択肢が広がる

私が死ぬ思いをしたのは、
信用取引をやっていたから。
自分の手持ちのお金でやる限りは、
そこまで怖がることはない

真剣にその道を究めようとか、
その道ひと筋でやっていこうという人は一種の狂気の世界というか、
何かそういう線を越えないと、
その先が見えないような気がします

(囲碁の魅力は)打ちたいところに打てる自由さと、
なかなか答えが分からない深さでしょうか

意表を突かれることに驚いてはいけない

将棋における人生と日常生活での人生とをドライに割り切っていくほうがいい

トップというものは、
それなりの気品や人格といったものを兼ね備えなければならない

将棋ソフトが教えてくれたことの一つとして、
将棋はもっと自由で色々な手があるっていうこと

考えている中身より、
費やしている時間や努力が決断する時の安定剤になる

最善形にしたら、
あとは悪くなるだけ

勝負事に限らず、
何事も腰がひけては前に進めない。
攻めの気持ちがあると集中力が高まり、
迷いが吹っ切れる

何事に対しても “できる という方向で考えないと、
物事は進まないのである。
“できる という方向から攻めると、
思わぬアイデアが生まれるものだ

私は宗看・看寿の詰将棋をはじめとして、
ありとあらゆる詰将棋を詰ました。
それと「次の一手」の勉強。
私の将棋は「詰将棋」と「次の一手」の二つだけ

役に立たないとか意味がないと思っていることのほうがむしろ重要なんじゃないか

息長く心ゆるやか手ゆるまず

波はつくれないが、
乗ることはできる

将棋をどのように見ているかで、
感じ方が違って来ますよね。
現在は、
定跡なども整備されて、
多くの道しるべなどができています。
多くの研究がなされていますが、......

時代は変わっても、
人間を磨くのは目的に挑戦する苦労だということは変わりません。
いまの人も苦労はしてるが、
それは物欲を満たす苦労で、
自分独特、
独創の苦労ではない。......

中国では(囲碁が)完全にスポーツとしてとらえられていて、
幼いころから、
局地的な読みや計算する力を徹底的に鍛えます。
早熟型が多く、
日本では考えられないスピードで強くなっている感じです

将棋を知らない人や将棋に興味のない人のことを思うと 技術書ではなく対談書やビジネスマン向けの本を どんどん出した方がいいのかなと思っています

一番いい薬というのは、
『お前は天才だ、
才能がある』という、
この一言なんです

自分の場合、
力が入りすぎるとよくないことが多いので。
自然体で普段通りにやれば勝てると自分に言い聞かせ、
思い込んでやる。
そういう気持ちって、
結構大きいんです

力に恵まれていますから千五百局以上指していますが、
一局も休んだことがありません

半年前の無冠を考えると夢のようです。
また5時間前を振り返っても夢のようです

終盤は二度ある

私は自己暗示というのは、
人生にとって非常にだいじなことだと思ってる

例えば,今日は羽生さんが相手だとして,駒を並べたばかりのまっさら状態では,居飛車な将棋を指したいし,振り飛車な将棋も指したい,色々な将棋を指したいとか思っているんです。
けれども,それが一手指すごとに1つずつ選択肢が無くなって,最終的に1つの局面に落ち着いていく。
その一手一手を決断していく,判断だったり,いろいろな可能性を考えていく過程は,やっぱり将棋の醍醐味なのかなって思います

私語はないけれど、
形勢が悪いとき、
ぼやく人はいますね。
『はぁ、
何やってんねやろ』とか。
隣の部屋から叫び声みたいなのが聞こえてくるときもあります

中学三年の時です。
序盤で大きなミスをして、
普通、
夜中までかかる将棋が、
持ち時間を残して4時ごろに終わってしまったのです。
勝ち負けは別として、......

勝った時に喜ぶということは、
相手が悲しんでるわけでしょ。
相手が悲しんむ時に、
あんまりニコニコするのは良くない

最終的に頼れるのは、
自分自身の力だけ

チェスは人生

局面としての最善手と勝つ為の一手が完全に一致するとは限らない

人生は将棋と同じで、
読みの深い者が勝つ

いよいよ詰む段階になると、
つい二手も三手もひらいて勝ちたくなる。
安全をねがうのだが、
実は一手ちがいでいいという計算が成り立つほうが安全なのだ。
何手もちがわせると、
欲がからんで、......

「こうあるべきだ」という思考からは、
柔軟な発想は生まれないのだ。
当たり前の中に隠された物を探り出そうという発想が、
固定観念を打破するもとになるのである

将棋に巡り合えたのは運命だったのかな

じたばたしても、
あとの人たちがどう見るのか、
影響を与えることはできませんから

私は“将棋とは序盤の研究で勝敗が決まるほど簡単なものではないと思っているので、
序盤の分かれはあまり気にしていない

才能とは10年、
20年と同じ姿勢で同じ情熱を傾けられる力のこと

守ろう、
守ろうとすると後ろ向きになる。
守りたければ攻めなければいけない

ラッキーだとか、
ツイていたというように 本当に心の底から思える時が実力なんじゃないか

7番勝負はあこがれの舞台だった。
張栩名人はずーっと目標にしてきた

国内棋戦の半分ぐらいが早碁のような韓国では、
布石の研究が進み、
序盤であまり時間を使わず、
大事なところに時間を残している。
勝負に徹底している感じです。
勝負どころでの集中力がすごく、......

張栩名人から凄い迫力を感じました。
七番勝負は体力的、
精神的にきついけれど、
戦えるという楽しみの方が大きかった

予想と違う手を指されることで、
そこまでの読み筋をすべて組み立て直さなくてはいけなくなります

ごちゃごちゃ考えすぎずにシンプルな思考を心がける

人生は、
将棋に似ている。
どちらも“読みの深い人が勝機をつかむ。
“駒づかいのうまい人ほど、
機縁を活かして大成する。
“着眼大局、......

まったく関わりない偶然としての幸運などない。
積み重ねた努力や、
そうした自分を盛り上げてくれる人たちに応えようとする気力が、
無意識のうちに局面に最良の一手としての “強運 を導いてくれるのではないか

将棋を指しているとき、
現局面については悲観的、
未来については楽観的ですね

直感には邪念の入りようがない。
長く考えると言うのは道に迷っている状態なんですね。
「勝ちたい」とか余計な思考も入ってくる。
だから、
いくら考えても分からない時は、
最初に戻って直感にゆだねることがよくあります

やっぱり狙いをつけた一心さ、
ですね。
そういうときは、
かりに失敗しても、
非常にいい経験というか、
つぎの知恵になります

将棋の世界で、
一番大切な大局観だ。
つまり、
勝つためにはどうすればいいかを全体を通してみる“状況判断能力である

人間は自分にとって必要なことのみ覚える能力がある

頭のなかに空白の時間をつくることも必要

強い人ほど個性がある。
四、
五段の人はそれほど個性もないから何々流といった名前もつけられていない。
段が上がっていくにつれて個性が強くなってくる。
ひとつには自信ということがあると思います。
下のうちはこんな手をさしちゃって笑われるかなと思いますけど、......