名言大学

最終的に頼れるのは、
自分自身の力だけ

いかなる局面においても、
『自分が絶対に正しい』と思ってはならない

いちばん得意な戦法をやらないで、
不得手な戦法に取り組む。
あるいは相手の得意に飛び込んで行って戦う。
それができるかできないかがポイント

早く強くなる勉強法と、
力を持続する勉強法は、
別ものです

前に進もうとしなければ、
後退してしまうものなんです

今は最善なんだけど、
それは今の時点であって、
今はすでに過去なんです

将棋に勝因はないんです。
あるのはすべて敗因です

師匠の言葉には、
すべて反発

意識して、
頂上を見なければいけません

私が50歳を間近にして、
名人位を獲得できたのは、
40歳というすでに若くない段階から変化を試みたことへの神様からのご褒美だったと思っています

スランプへの対処法として、
最も上策、
極意ともいえるやり方は、
『笑い』である

人間だから一度の過ちは仕方がないことです。
一回の悪手に動揺しても、
そこで辛抱して冷静さを取り戻せるかどうかがその人の運命を左右します

死んだオヤジの棺の前では正座で、
将棋盤の前ではあぐらというのはおかしい

大人は不安要素を回避するあまり、
若者をバカにしがちですが、
宮本武蔵の『五輪書』を見ても「居つくことは死ぬことなり」とちゃんと書いてあります

将棋が強くなる方法は、
脳みそが汗をかくほど集中して、
盤面を見つめることである

人としてサラリーマンとして経営者として変えるべきもの、
これだけは変えてはならない普遍的なもの。
その区別がつくかが、
勝者としての条件なのです

眼前の一局で自分の生涯が決まる。
明日はない

一般的に形勢が有利なときは正攻法で攻めるのがよく、
不利な場合はじっと我慢して、
相手の攻めを耐え忍び、
相手のミスを見つけたところで反撃に転じるという戦略をとる

消化試合にも、
全力を尽くす

将棋の世界で、
一番大切な大局観だ。
つまり、
勝つためにはどうすればいいかを全体を通してみる“状況判断能力である

100のうち、
99わかっていても、
一つわからないことがあってはダメなんだ

真剣な時間があれば、
その反動として遊び呆けるときが必要である。
遊びは仕事の影である

勝利の女神は正しいか否かよりも、
笑いがあるか、
謙虚であるかどうかを重視している

大事な局面では長考しない。
簡単に決断する

過程でまったく笑いがない場合には、
どこかで破綻が生じる

自分にとっては消化試合でも、
相手にとって重要な対局であれば、
相手を全力で負かす

棋士は、
将棋に命を懸けているのである。
盤上には神が宿っている

将棋界には八百長はない

将棋とは、
ものすごく複雑なものだというのが、
私の将棋観の基本となっている

変える必要もないし、
変えられない、
あるいは変えるのが億劫だということになったら、
そのときは僕が引退するときだ

私は宗看・看寿の詰将棋をはじめとして、
ありとあらゆる詰将棋を詰ました。
それと「次の一手」の勉強。
私の将棋は「詰将棋」と「次の一手」の二つだけ

人生も40年、
50年生きていると、
あるときふっとその知識や経験にカビが生えていることに気づくわけです。
老化とともに体力や思考力が衰えてくるのは致し方ないとしても、
本来衰えないはずの経験や知識までもが腐っていることに気づく。
それが40歳ごろの私でした。......

詰将棋は、
手数に応じて深く読んで、
しかもそれが全部最善手だと、
一人で確認できるということが大きい。
「読み」の練習に最も役立つと私が勧めるゆえんである

これまで勝利してきた得意な手が、
どうにも通用しなくなる。
要するに時代遅れになっているわけです。
どんどん出てくる若手の棋士はピストルの弾丸のようなものです。
そこで自分のやり方に固執する、
かつての勝者の末路は哀れです。......

詰将棋を見て、
一番大事なことは、
詰んだとか詰まないとかということではなく、
「解いてみようかな」という気持ちになることだ

知識や経験とはこのようなもので、
身につけたときは得意に思っても、
いつかはカビが生えて使い物にならなくなります

身体は使うほど衰えるが脳味噌は逆、
脳味噌から汗がでるほど使え

一緒に研究をするという謙虚な気持ちと情熱がなければ、
若者は去っていきます

男の約束は法律に優先する

一番いい薬というのは、
『お前は天才だ、
才能がある』という、
この一言なんです

男のほうから見て素敵な女性というのは、
心が安らぐ女性、
ただそれだけである

目の前の仕事を社長になったつもりでこなしていくと、
いずれ社長になれます

モテない理由ははっきりしている。
その男がケチだからである

戦うなら、
未来と戦うべきである

将棋界も「先生」と呼ばれるうちはまだまだだ、
野球界の茂ちゃん、
ワンちゃんのように。
米ちゃんと呼ばれたい

兄達は頭が悪いから東大へ行った。
自分は頭が良いから将棋指しになった

私は“将棋とは序盤の研究で勝敗が決まるほど簡単なものではないと思っているので、
序盤の分かれはあまり気にしていない

悪い将棋は相手が悪手を指さない限り逆転しないが、
どんな将棋でも一度くらいは逆転のチャンスが巡ってくるものである。
盤上盤外にもろもろの策を弄し、
逆転のチャンスを作り出し、
そしてそれを逆転に結びつけていくのが私の将棋だ

米長 邦雄(よねなが くにお、1943年(昭和18年)6月10日 - 2012年(平成24年)12月18日。2003年(平成15年)12月、引退。日本将棋連盟会長(2005年(平成17年) - 2012年(平成24年))。