名言大学

進歩とは──成長とは── 一つの標準すべき価値の上に、
深く根付いた木の枝葉をひろげて行くことに外(ほか)ならない。

原始以来、
神は幾億万人いう人間を造った。
けれども全く同じ顔の人間を、
決して二人とは造りはしなかった。
人は誰でも単位で生・・

詩は悦ばしいものであるけれど、
詩を求める人生は幸福ではない。

どんな真面目な仕事も、
遊戯に熱している時ほどには、
人を真面目にし得ない。

人の年老いていくことを、
だれか成長と考えるか。
老は成長でもなく退歩でもない。
ただ「変化」である。

萩原朔太郎

教育は猿を人間にしない。
ただ見かけのうえで、
人間によく似た様子をあたえる。
猿が教育されればされるほど、
益々滑稽なものに・・

音楽の演奏者や劇の俳優達は技術家である。
彼らは芸術家でない。
なぜといって彼らは真の「創作」をもっていないじゃないか。

生命は流れてゐる。

結婚の利益は、
女性の本質を知ることであり、
結婚の損失は、
女性への幻滅を知ることである。

一般に人が酒をのむ目的は、
心地のよい酩酊に入って忘我の恍惚を楽しむにある。
ところがある種の酒飲みは、
飲酒によって全く反・・

全てのよい叙情詩には、
理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴う

萩原朔太郎

敵への怒りは、
劣弱者が優勢者に対する権力感情の発揚である。

酒は文明に対する一つの諷刺である。

萩原朔太郎

「真面目になる」ということは、
しばしば「憂鬱になる」ということの外の、
何のいい意味でもありはしない。

萩原朔太郎

全ての場合を通じて、
恋愛は忍耐である。
未だかつて、
性急者(せっかち)の成功した恋を見たことがない。

人々は求婚から、
人生の避けがたく妥協的で、
好(よ)い加減のところであきらめる外(ほか)、
満足のないという事実を知る。
彼・・

詩とは感情の神経を掴んだものである。
生きて働く心理学である。

父は永遠に悲壮である。

萩原朔太郎

人は新しく生きるために、
絶えず告別せねばならない。
すべての古き親しき知己から、
環境から、
思想から、
習慣から。......

萩原朔太郎

人は一人一人では いつも永久に 永久に恐ろしい孤独である

民衆の正義とは、
富豪や、
資産家や、
貴族や、
その他の幸福なものに対して、
利己的な嫉妬を感ずることである。......

幸福人とは、
過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、
不幸人とは、
その反対を記憶している人々である。

五月の朝の新緑と薫風(くんぷう)は私の生活を貴族にする。

すべての家庭人は、
人生の半ばをあきらめて居る。

愛は、
その愛するものを独占しようと願っている。
しかしながら、
愛はそれに成功してしまった後では、
競争もなく、
嫉妬もなく、......

情欲は判断を暗くする。
それの性急な要求がない時に、
静かに熟考して妻を選べ! 然るに人々は、
生涯の最も悪い時期に結婚する。

おもうに人間の感情というものは、
極めて単純であって、
同時に極めて複雑したものである。
極めて普遍性のものであって、
同時に・・

ああ婦人は窓にふる雨の点々、
しめやかな音楽のめじろいのようなものだ。

想像力の消耗からも、
人はその家庭を愛するようになってくる。

変化しつつあるものは何だろうか?
芸術でない。
政治でない。
我々の時代の家庭である。

萩原朔太郎

最も親しき友人というものは、
常に兄弟のように退屈である。

萩原朔太郎

男と女とが互いに相手を箒(ほうき)とし、
味噌漉(こ)しとし、
乳母車とし、
貯金箱とし、
ミシン機械とし、
日常の勝手道具と考・・

女に於(お)ける嫉妬は愛の高雅な情操によるのでなく、
実には猛獣の激情に類するところの、
野蛮の本能によるのである。

詩は学問でもなく技芸でもない。
詩は時々燃焼していく生命の記録、
主観の思いあまった「訴え」に他ならない

社交の秘訣は、
真実を語らないということではない。
真実を語ることによってさえも、
相手を怒らせない技術である。

萩原朔太郎

愛をもとめる心は、
悲しい長いつかれの後にきたる。
それはなつかしい、
おおきな海のような感情である。

人はすくなくとも、
3人の配偶(つま)を持たねばならぬ。
一人は性欲の対象として。
一人は家事の家政婦として。
一人は優しげに・・

萩原朔太郎

我々の子供は、
我々の中での原始人である。

萩原朔太郎

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。