名言大学

最初は枠を作らないで広げるだけ広げます。
その中でいろいろな物語の可能性を探ります

映画監督はそれまで映画会社が助監督を募集して試験を受けて入るのが日本のスタンダードだったけど、
撮影所システムが崩壊してからは、
こうすれば映画監督になれますという道がなくなりました

自分が今何をやるべきなのか分からない人が多い

映画っていろんな人が一緒になって作り上げていく、
いわば“共同作業なんです

どうせ作り物なんだから、
多少は嘘があってもいいという姿勢にはなれません

僕自身が関心を持ったこと、
知りたいことを取材し、
うまくいけば映画になるという感じ

僕にとっては(映画は)大事なもの

(役者への演技の説明)言ってあげたほうがやりやすいかなって思う人には言う

(デビュー当時)良くできたエンタテインメント映画が本当になかった

(Shall we ダンス?
の4K上映)フィルムの質感を鮮やかに再現した。
皆が考えているくっきり、
はっきりが基準のハイビジョンとはちょっと違う

自分が驚いたり感動したりしたことを映画にしています

僕は映画のネタ探しはしません。
ネタを探すと映画を作りやすいように現実を見てしまいそうで

『それでもボクはやってない』を撮る時も、
「日本の裁判とはこういうものですよ」ということを僕が見たままに、
間違いなく、
正確に伝えたいと思っていました

(上白石萌音さんの)垢抜けていないその感じがどのくらいピカピカに輝くようになるのか、
その落差を僕は今回の映画(舞妓はレディ)で見せたかったんです

熱意を強烈に持ちすぎると逆に引かれてしまう時もある

大学で映画表現論という授業に出会うことで、
映画を作ることを自分でイメージするようになりました

人が笑って楽しそうにしているのを見るのは気持ちいいですね

僕が疑心暗鬼になっていれば、
取材される方も疑心暗鬼になる

その時代によってやり方も違うし、
どうしたらいいのか自分で考えてやってみるしかない

ちょっとでも知り合いであれば(映画製作の為に)懐に飛び込んじゃいます

(舞妓はレディで)とにかく僕は京都の楽しさ、
その空気感を表現したかった

『Shall we ダンス?
』は僕が書いた本で、
その世界のなかで草刈が役をきちんと成立させてくれるのかどうかが一番の関心事

底抜けに楽しい映画の中で、
リアリティとか本質的なことをどう描くか

『Shall we ダンス?
』は、
とにかくダンス教室って不思議だよなって思ったのがきっかけ

面白いと思って始めた取材でも、
途中でその世界が面白く思えなくなったらやめます

自分が作り出した世界観が誰かによって変化したり、
広げられたり・・それまで自分が考えてもいなかったことが誰かの意見でポンッと変わる。
それが一番の映画づくりの醍醐味

大学は自分が何をしたいのか知るために行ったので当時夢はなかったです

『Shall we ダンス?』が終わった後、
改めて考え直したとき、
初めてミュージカルという枠組みを思いついた

(『終の信託』を制作するにあたり、
常に心掛けていたことは?
)人間の関係性ですね。
今までの映画では、
皆さんの知らない情報を重ねていくことで物語を進めていたのですが、
今回の作品では、......

この映画(舞妓はレディ)を作ることになった大きなきっかけは、
『上白石(萌音)さんにオーディションで会えたこと』これに尽きます

誰にでも分かる王道の笑える娯楽映画を作ってやると企画したのが『シコふんじゃった。

刑事司法について調べれば調べるほど疑問が生まれ、
「これは映画にしなければ」と撮ったのが『それでもボクはやってない』です

(どのようにして取材を進めるの)疑問に思ったことや、
分からないことを本で補っていく

本当にその世界に入ってみないと分からないことはたくさんあります

僕がデビューした頃は、
日本映画の状況が、
今とはまったく違いましたね。
当時僕は『良い映画はあるけど、
面白くて楽しい映画がない』という言い方をしていました

見てくれる人がいる、
読んでくれる人がひとりでもいるという実感。
もう本当に、
それが最高の喜び

自分が生きてきた経験の中からこんなものだと決めつけるなんてとんでもない

世界はあなたが考えているよりずっと広い

仕事って人に必要とされて初めて仕事になるのであなたじゃなきゃダメと言われることも大切です

普通はやるべきことがそう簡単に見つかるわけがない

映画への憧れだけでこの世界に入り、
自分が何を撮りたいのかを突き詰めてこなかったことに気づいて途方に暮れました

自分の枠を作らない。
枠があるとするならば、
それは「撮りたいものしか撮りたくない」という枠で、
それだけは守っていく。
生活のためにやる、
というようなことはないようにしようと頑張っています

(助監督となって)最初の1カ月半は電話番で、
助監督としての初仕事は、
監督の「カット!」の声を聞いたら、
裸の女優さんにタオルをかけること

山田太一さん脚本の作品が大好きでした

やはり時間に一番お金がかかる

映画をのめりこむように見始めたのは高校時代

周防 正行(すお まさゆき[2]、1956年10月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家。太田出版監査役。

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