名言大学

みんなが信じこんでるものは、
とりあえず、
俺はやめとこう、
あれは絶対ついていってろくなもんじゃない、
と思っちゃう

ドキュメンタリーの撮影現場には、
台本など不必要である。
もし、
必要であるとしても、
それは「そこへ」跳ぶためのものではない。
「そこから」跳ぶためのものに過ぎない

そもそも日本人というのは妙に工夫を凝らしたがる悪い癖がある

死ぬなら楽に死ぬ。
苦しむなら治る。
どっちかにしてもらいたい。
苦しんだ上に死ぬなんて理屈に合わぬ

自分に出会えない人生は、
他者とも出会えない

私はくじけない。
映画で自由をつらぬく

お洒落、
なんて力んでみても、
所詮、
人の作ったものを組み合わせて身に着けてるにすぎない

自分の嫌いなものをあれこれ考えるのはとても愉しいことです。
美的感覚とは嫌悪の集積である、
と誰かがいったっけ

日本人の人情を失わないようにしようじゃないの

藩を飛び越えて、
日本というものを考えるということは、
よほど精神の自由で発想の豊かな人間にしか出来なかったに違いないと思うわけです

「これ見よがし」のスタイルが現れると何の選択の基準もなく、
次から次へと手を出す。
刺激の強いものでないと、
着ている気にならない、
という、
一種の病気のようなものにみんなが取りつかれている

まず私が声を大にしていいたいのは、
「スパゲッティは饂飩(うどん)ではない」ということだな

恋なんていうものは、
そもそも回を重ねるに従って難しくなっていくようにできているのである

テレヴィジョンの仕事を愛するものにとって本当に喜ばしいことは、
テレヴィジョンを見る人が増えることではない。
くだらない番組と思えば遠慮なくスイッチを切る人が増えることである。
スイッチというのはその為にある

男を飽きさすまいと思ったら、
二人の間に適度の距離を作ることに専念すべきだよ

優れた舌を持っている人は、
これから作ろうとする料理をどういう味にするか、
はっきりしたイメージを持っている。
イメージがあるから途中の段階でだんだん味を整えてゆくことができる

僕は以心伝心などというのは信じません。
いろいろなことを言葉にして、
問題があればこまめに解決していく

既成概念に一撃加えることで新しいものが見えてくる

イヴ・サンローランは20回縫いなおす。
天才は19回目でまだ直す目を持っている

ともかく正義は悪である、
というのが私が戦争体験から得た教訓

常識がいまだに常識として生命を保っている。
つまりそれが文化というものであろう

人生において、
自分がより自分になってゆくことにおいて、
初めて他者は「自分ではないけれども別の自分である」ような存在として見えてくる

男のお洒落というのは、
本筋、
でなくてはならぬ。
スタンダードでなくてはならぬ。
場違いであってはならぬ、
のです

肝腎なのは、
ともかくも一冊の本を読みとおすということであって、
理解なぞ二の次でよろしい。
一冊の本を読みとおしたものだけが、
二冊目に取りかかれる

世界一のマッチの条件とは何か?
必ず火がつくとか軸が折れないなんていうのは、
これはマッチの最低条件だから勘定にはいらない。
世界一のマッチの条件は、
擦ったとき、
においがしないこと、......

古本屋で洋書をぱらぱらめくってみると、
よく、
第一ページだけ丹念に辞書を引いたらしく、
ぎっしりと書き込みがあり、
二ページ以下、
全く新品同様という本がある。......

僕は葬式の中に映画を見ちゃったんですね。
葬式という形で、
映画が丸ごと天から降ってきた、
という気がしました

押し入れや台所の飾りつけの時、
置かれている箱類や商品類の文字を徹底的に排除している自分に気づく。
文字が映るとどうしても目がそこへ引きつけられる。
それを避けるためなのだが、
それよりもなによりも、
文字たちの醜さが許し難いのだ。......

「父親」とは何者か?
自分の母親と切れている者、
従って相手を「母親」として扱わぬ者、
死んだ父親の言葉を子に伝える者、
自分で耐えるべき不快に自分で耐えることを知っており、
それを子に伝える人である

一体、
男の誇りはどこにあるのか。
男ならやせ我慢で押し通すべきではないのか。
忍の一字、
これがダンディズムというものではないか

それにしても微量のものの表情は難しい。
しみじみとしあわせな表情、
ほのかなしあわせ、
かすかな笑み、
わずかな老け、
人にわからぬ程度のほろ酔い、......

今日はやや疲れ気味。
こういう日は体がカット数を増やしたがらず、
あらかじめ作ったカット割りを現場で壊し、
長いカットに単純化してゆく。
コンテは必ずしも理屈ではなく、
多分に生理的なものであるようだ

テーマをたてるということは実に厳しいことなのです。
一つのテーマをたてるということは、
当然なにかの犠牲を伴うわけだ

時代は進歩しているのであろうか

誰が悪いのでもない、
日本語でパリを語るということ自体がダメなのです

僕の考えじゃ、
女の人っていうのは、
付き合いの天才だと思うわけです。
そりゃなんたって、
お腹の中に赤ん坊を10か月も入れているわけですから、
人間関係の根本っていうものを押さえているわけです

伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年(昭和8年)5月15日 - 1997年(平成9年)12月20日)は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、雑誌編集長、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家。料理通としても知られた。