名言大学

相手に何かを期待することは諦めなさい

人間も組織も世の中も、
やはり風通しが大事

大切なのは制度で救うのではなく「この人を見捨てられない。
見捨てない」という心

作品が後世に残るかどうかは、
作家ではなく読者が決めること

言いたいことが言えない、
自分を認めてもらえない、
組織は何もしてくれない、
そんなふうに考えると行き詰まるばかり

物事ってすぐに結果が出ることは少ないから、
結果が出る前に、
自分って才能がないんじゃないかとか、
こんなこと続けて何の意味があるんだろうと思い始める

テレビや本や違った体験が人間に知識を与えるのも本当だが、
ただ血縁と家畜と何もない荒野の広がる静寂が少年たちに多くのことを教えることも事実

日本人は、
幸せを感じるバーをあまりに上げすぎてしまった

自分に才能がなくてもあまり気にせず、
なんとかなるんじゃないかと思って、
ひたすらやり続ける

ないものを数えないで、
あるものを数える人生を送ってきた

生の基本は一人である。
それ故にこそ、
他人に与え、
係るという行為が、
比類ない香気を持つように思われる

社会が自分を裏切ったから自分はダメになったなどと言うのは口実に過ぎない。
自分の教育に責任があるのはまず自分であり、
最終的に自分である

全ての人生のことは「させられる」と思うから辛かったり惨めになるので、
「してみよう」と思うと何でも道楽になる

(幸福に生きるためには何が大事?
)与えること

足が悪くても目が見えなくても、
それゆえに立派な人生を送る人もいるし、
だからこそ深い尊敬と魅力がそこに生まれ

幸福というものは客観的な状況ではなくて、
幸福を受け取る者の能力にかかっている

自分の身に起きた事は全て意味がある

人を助けるなどということは、
本来不可能なことなのだが、
それでも一人の目の前にいる人がほんの少しでも幸せになることができればという程度のことでやるのである

私にも人並みによく思われたいという気分は充分にあるが、
私はこの数年、
それをかなり整理したのである。
いや整理というと体裁いいが、
諦めて放棄することを学ぶようになった

ずっと好きなことを書かせていただいてきた私にとって、
作家は天職

「分からない」という曖昧さに耐える勇気を持つことが、
人間にとって大切

悪意のある言葉でも、
きちんと残しておかないと人間の悪を描くこともできなくなります

自分を追い詰めないようにすること

「〜をしてくれない」と言い始めた時から、
既に精神的な老化が進んでいる

善人は自分勝手に幸せになるけれども、
周りの人は不幸になることがあるの。
善人は自分に自信があるから困るんですよ。
人の心がわからなくて、
自分が善人であることにあぐらをかいてるから

私だって決して元気でも健康でもなく、
ある程度の不健康と不具合とうまく付き合えているに過ぎません

自分らしくいる自分でいる自分を静かに保つ自分を隠さない自分でいることに力まない自分をやたらに誇りもしない同時に自分だけが被害者のように憐れみも貶めもしない。
自分だけが大事と思わない癖をつける自分を人と比べない

善意ほど恐ろしいものはない。
悪意は拒否できるが、
善意は拒否する理由がないから

悲しみは理不尽なものだからね。
避けようとしても避けられない。
避けないで、
どっぷり漬る方がいい

人生において何が正しいかなんて、
誰にも分からないのだから自分の思う通りに進んで、
その結果を他人の責任にしないことが大切ではないか

幸せでいることに慣れてしまうと不幸せになることが許せなくなってしまう。
自分の一生はいつも幸せでなければならないと思い込んでしまう

死を受容するには年老いることや病み惚けることが必要なのだ。
生きることがかったるくなり、
生きていても半分眠っているような状態になる。
その過程が大切

人間がいつまでも生き続けるように見える世界だけを対象にしていると、
私たちは判断を誤り、
大して重要でもないものにがんじがらめになる

人は与えるからこそ、
大人になり老いぼれではなく青年であり続けるのである

人は孤独な時間を持たない限り、
自分を発見しない

得たものは得た瞬間から失う恐れがある。
それは現世の厳しい約束事

人生の時間を縁のある気の合った他人と少しずつ共有することができたら、
それは大きな幸福だし、
成功のなのだと思えばいい

人間は生き方において自分の行動に責任を取り、
常に自分自身の人生の主人でいなければならないのは本当だが、
寿命は天命に任さねばならない

好きなことだけやって嫌なことはやらなくてもいい。
そんな風潮が子どもをおかしくさせている。
我がままで他人の痛みが分からない子どもを育てている

自分や周りにある影に目をつむり、
光ばかりを見ようとする子供たち。
それは幸福でなければならないという強迫観念に取り憑かれた社会が生んだ産物でしょう

人間の努力がなくていいわけではない。
しかし努力で何事もなし得るというわけでもない

卑怯さもバランス感覚も、
諦めも思い上がりも、
謙虚さも全て中庸を得ていないと「ほどほど」にはならない

人生は全て過程である。
これで完成ということもなければ、
これで失敗ということもない

運命に裏切られることもしばしばあって当然

幸福は客観ではない。
幸福は完全に密かな主観なのである

過程に学び、
過程に迷い、
過程に愛し、
過程に見苦しく振る舞うのが人間の生きる自然の姿

人を疑っても利己主義にはなってはいけない

人間は最後まで不完全である

人間は死ぬまでに、
いくら歳を取っていても死の前日でも、
いつでも生き直すことができる

私は自分のを含めて誕生日だの命日だのに実に関心がない