名言大学

幸福になる唯一の道は、
幸福ではなく何かそれ以外のものを人生の目的に選ぶことである

ジョン・スチュアート・ミル

いかに押しつぶしても個人的人格は専制である

ジョン・スチュアート・ミル

人間の自由を奪うものは、
暴君でも悪法でもなく、
社会の習慣である

人生の色々な楽しみは通りすがりに味わうときに、
人生を楽しくしてくれるが、
一旦それを人生の目的とすると、
とたんに物足りなくなる

ジョン・スチュアート・ミル

道を示す自由、
これが天才の要求できるすべてである

ジョン・スチュアート・ミル

国家の価値は、
結局国家を組織する人民の価値である

ジョン・スチュアート・ミル

真理はつねに迫害に打ち勝つという格言は、
実際、
あのほほえましい虚偽にすぎない。
つまり、
人から人へと口真似されて、
ついには決まり文句になるが、......

ジョン・スチュアート・ミル

個人の自由にも、
制限されなければならない事がある。
それは、
他の人に迷惑をかけてはならないということだ

ジョン・スチュアート・ミル

慣習であるからといって、
これをなすという人は、
何らの選択をも行わない人である

ジョン・スチュアート・ミル

人間の運命の大きな改善は、
考え方を根本的に変えない限り、
絶対に不可能である

ジョン・スチュアート・ミル

周囲から浮き上がるのを恐れずに、
とっぴな行動ができる人間がいないこと。
それが今の時代の最大の危機だ

ジョン・スチュアート・ミル

自分こそ正しい、
という考えが、
あらゆる進歩の過程で最も頑強な障害となる。
これほど馬鹿げていて根拠のない考えはない

ジョン・スチュアート・ミル

自分の胸に「いま、
幸せか?
」とたずねたら、
途端に幸福ではなくなってしまう

ジョン・スチュアート・ミル

満足した豚であるより、
不満足な人間であるほうがよい。
満足した馬鹿であるより、
不満足なソクラテスであるほうがよい

ジョン・スチュアート・ミル

死後に残す人々の運命を、
自分自身の運命と感じ得る能力が欠如している者ほど、
また利己的にのみ生きてきた利他の喜びを実感した経験のない者ほど、
老年に至って自分自身の快楽がゼロに近づくに及んでいよいよ利己的な形における生命の存続を妄執するものである

真実の中には、
個人的な経験を経て初めて本当の意味が理解できるものも多い

ジョン・スチュアート・ミル

人生の楽しみではなく、
喜びを求めていこう

ジョン・スチュアート・ミル

力によって他人にその道を強要することは、
他の人たちすべての発展および自由と合致しないばかりでなく、
優れた当の本人を堕落させる

ジョン・スチュアート・ミル

真実が持つ真の利点は、
次のようなことである。
ある意見が本当であっても、
一回、
二回、
もしくは何回も葬り去られるかもしれない。......

ジョン・スチュアート・ミル

人間性は樹木のようなものだ。
指定された仕事を機械的に正確にやらされるわけではなく、
あらゆる方向に伸び拡がらなければならない

ジョン・スチュアート・ミル

人間というものは、
幼いときから労せずして得た栄誉を持っていると、
成長するにつれて必ずそれを自慢したくなるものである

ジョン・スチュアート・ミル

保守主義者が常に愚かであるとは限らないが、
愚者の最たるものはきまって保守主義者である

ジョン・スチュアート・ミル

信仰を持つ人間は、
集団における権力者よりも、
利害で集まっている烏合の九十九人よりも力強い

ジョン・スチュアート・ミル

習慣という専制王国では、
人間進歩の永続的な障害が見られる

ジョン・スチュアート・ミル

存在するすべてのものは独創の結果である

ジョン・スチュアート・ミル

自分と異なる人間と接することの価値、
なじみのない思想や行動様式に出会うことの価値は、
どんなに高く評価してもし過ぎることはない。
かつて、
このような出会いの機会といえば、
主に戦争だったが、......

自己教育の真の方法は、
すべてのことを疑ってみることである

ジョン・スチュアート・ミル

改革の精神は必ずしも自由の精神ではない。
なぜならば、
改革の精神は、
改革を欲しない民衆に対してそれを強制しようとするかも知れないからである

ジョン・スチュアート・ミル

彼(ベンサム)が見落としているのは、
厳密な意味での人間本性の道徳的部分だけではない。
彼は他のあらゆる理想的目的をそれ自体として追求することを人間本性に関する事実としてほとんど認識していない

ジョン・スチュアート・ミル

満足な豚であるより、
不満足な人間である方が良い。
同じく、
満足な愚者であるより、
不満足なソクラテスである方が良い。
そして、......

ジョン・スチュアート・ミル

社会の初期の頃は、
人の活力が強すぎて、
人々を訓練し管理する社会の能力を超えていた部分があった。
しかし今では、
社会は個性をほぼ押さえつけられるようになっている。
そして人間性を脅かすものは、......

ジョン・スチュアート・ミル

物事について自分の側しか知らない人は、
そのことについてほとんど知らない

ジョン・スチュアート・ミル

ある人の欲求と感情が他人より強く多様だというのは、
その人が人間性の素材を豊富にもっているということである。
衝動が強いとは、
活力があるということの言い換えに過ぎない

ジョン・スチュアート・ミル

彼にとって、
あることをすることがよりよいから、
あるいはそれが彼を幸福にするから、
または他人の意見によれば、
そうすることがより賢明であり、
正義にかなっているからといって、......

ジョン・スチュアート・ミル

人は疑わしくなくなった点については考えなくなるものだが、
これは人間の誤りのうち半分の原因になるほど致命的な欠陥である。
決着がついた問題は深い眠りにつくとある論者が語っており、
まさに至言である

ジョン・スチュアート・ミル

信仰を有する一人は、
普通人九十九人にも匹敵する社会の力である

ジョン・スチュアート・ミル

数学の真理には特異な性格があり、
論拠は全て一方の側だけにある。
反対意見はなく、
反対意見への論駁もない

ジョン・スチュアート・ミル

人間の能力は知覚、
判断力、
違いを見分ける感覚、
思考力のいずれも、
道徳感情すらも、
選択を行うことによって鍛えられる。......

本当に信頼できる判断をくだせる人は、
なぜそのような能力を身につけることができたのか。
自分の意見と行動に対する批判に、
いつも心を開いてきたからである。
反論や批判をすべて聞き、
正しい部分を取り入れ、......

ジョン・スチュアート・ミル

自分一人の判断には自信がない分、
世間の判断に頼りきろうとするのは通常である。
だがこの場合の世間とは、
自分が普段接している人たち、
つまり所属する党派や宗派、
教会、......

ジョン・スチュアート・ミル

個人の行動のうち、
社会に対して責任を負わなければならないのは、
他人に関係する部分だけである。
本人だけに関係する部分については、
各人は当然の権利として絶対的な自主独立を維持できる。
自分自身に対して、......

ジョン・スチュアート・ミル

所得税は己れの良心にかけられた税と認識すべきである

ジョン・スチュアート・ミル

価格が上昇するとの予想を煽る何らかの偶然がきっかけになって、
投機家が活躍するようになる。
社会の風潮によっては、
急激に資産を蓄積した人がいると、
真似をしようとする者が多数出てくる。
そして、......

国家の価値とは、
究極のところそれを構成する一人一人の価値にほかならない

ジョン・スチュアート・ミル

功利主義は厳密に公平であることを当事者に要求している。
ナザレのイエスの黄金律に、
私たちは功利性の倫理の完全な精神を読み取る。
人にしてもらいたいと思うことを人にしなさいというのと、
自分自身を愛するように隣人を愛しなさいというのは、
功利主義道徳の理想的極致である。......

高貴な人物がその高貴さによってつねに幸福であるかは疑問の余地があるかもしれないが、
その高貴さが他の人々をより幸福にし、
それによって世界は全体としてはかりしれない利益を得ているのである

ジョン・スチュアート・ミル

尊厳の感覚。
それは幸福の根幹をなしており、
これと対立するものは、
一時的な場合を別にすれば、
彼らにとっては欲求の対象とはなりえないほどである

ジョン・スチュアート・ミル

社会の監視のもとに暮らす人は、
娯楽のときですら真っ先に考えるのは世の中に合わせることである。
いつも大勢に順応していたいのだ。
何かを選ぶときも、
普通に行われていることの中からしか選ばない。
人とは違った趣味や、......

ジョン・スチュアート・ミル

正しい側に組しないものはすべて悪の側に結局は加担することになる

ジョン・スチュアート・ミル

今では他人に関係する点だけでなく、
自分にしか関係しない点でも、
自分の好みは何かとは考えない。
考えるのは自分にふさわしいのは何か、
同じ地位の人はどうしているか、
自分より地位が高い人は何をしているのかだ。......

ジョン・スチュアート・ミル