名言大学

#任天堂

業界自体は明らかに先細りなのだという現実に、
思わず冷や汗が流れました。
えらいときに社長を引き受けてしまった、
と思いました

もし今のゲーム機の10倍のパワーを持ったゲーム機が登場したとして、
それを自分は認知できても、
家族は使いこなせますか? 違いの分かる人だけを相手にするのは危険だ

ゲームがうまい人じゃなくっても、
「インクを塗るのが楽しい」とか、
シューターというゲームになじみがなくても「すごくおもしろい」と言ってもらったりと、
いろんな人たちに、
さまざまな感想を持ってもらえたらうれしいですよね

コンピュータの世界にも、
誰かと一緒に仕事をする世界にも、
じつはすごい共通点がいっぱいあって、
その共通点を見つけることができたためにわかったことみたいなものがいっぱいあるんです

レッドオーシャンでマーケットの取り合いをするなら競合に目を向けるでしょう

自分が何に向いていて、
何をすれば周囲に認めてもらえるかを一生懸命探していれば、
必ず仕事のチャンスはくるし、
そういう人のところに運も巡ってくるんじゃないでしょうか

こうしたいっていうゴールさえあれば、
誰がどこでなにをするというのを積み上げて、
一番単純な構造が作れます

一見、
できそうもないアイディアを形にしていくというのが、
僕がそのチームにいる一番大きな意義

わたしは、
そのことはよく意識するようにしてきました。
これは自分がコンピュータをやっていて得意だったことのうちのひとつです

人に対して単純なモデル化で経営をするのはまちがっていますよね。
「あなたはそんなに単純にモデル化されたいか」と説教したくなります(笑)

「後悔したくないし、
力があるならそれをぜんぶ使おうよ」という感じなんですね

私の名刺には社長と書いてありますが、
頭の中はゲーム開発者です。
心はゲーマーです

かつては茶の間でコントローラーを奪い合い、
ギャラリーも一緒に楽しんだ。
それがコントローラーは複雑化して差し出すと後ずさりされ、
ギャラリーも消え、
一人暗い部屋で遊ぶイメージになってしまった。
もう一度茶の間に持ち出して家族全員で触ってもらえるものにする

あらゆることがそうですけど、
かならず「ボトルネック」といわれるいちばん狭い場所ができてしまって、
そこが全体を決めちゃうんですよね

ここをこういうふうにしたらもっと面白くなるという意見を集めて、
そのとおりにすれば、
本当に売れるかといえば、
絶対にそんなことはない

わたしは糸井さんとはぜんぜん違う道をあゆんできて、
ぜんぜんちがう価値観で生きていて、
ぜんぜんちがうタイプなんですけど、
前々から妙にいろんなところで共振するんです

業界全体がかかっていた病気に任天堂もかかっていた

熱狂するファンがいる一方で、
実は声を出さずに立ち去った人たちが多いのではないか

私はもともとプログラマーですから、
自分がつくったものに対して、
喜びにしろ、
怒りにしろ、
ユーザーの反応をすぐに知りたいという欲望がものすごく強いのです

5歳から95歳まで誰でも同じスタートラインでゲームを楽しんでもらうのは決して不可能ではないことを脳トレは証明してくれた

そのときそのときで自分でよいと思って行ったことが後々ビックリするような結果につながった

これまでゲームとは無縁だった人を引き込む以外、
生き残る道はない。
それを誰かがやらなければならないのなら、
ウチがやろうと。
それで、
5歳から95歳まで遊べるゲームをつくるという路線を打ち出したのです

なにに対しても「いまの世の中にはココが合っていないと思うからココは変わるべきです」というメッセージしか発せなかったと思います

自分たちがどうあるべきなのか、
お客さんになにを求めるべきで、
なにを求めちゃいけないのか。
そういったことについて、
私たちはまったく揺らいでませんから

このまま過去の延長線上で仕事を続ける限り、
ゆっくり死ぬのを待つことになる

理解と共感を得るためには微妙な舵取りが要ります

最初から社内の賛同が得られたわけではありません。
多くの社員は既存の成功体験の中にいました。
熱心なファンを敵に回すのではないか。
そんなところに本当に市場が存在するのか。
反対意見が噴出です

「お客さんとしては会社がどう見えたらその会社を好きになるか」とか「社員はどうしたら自分の会社のことをポジティブに語りたくなるか」という視点がなくなるとすごく危険だと思うんです

成功体験が変化に順応できないというのは、
まさにそれなんですね

ゲームの世界というのを広げる

コンピュータを全く知らない人って、
やっぱり無謀なことを提案してしまうので、
どうやって創ればいいのかが本人にも周りにもわからないんですよ

最初のころは、
コンセプトに共感してくれた少数の人たちが手を動かし始め、
試作品みたいなものをつくり、
それを見た人が、
あっ、
これならいままで考えもしなかった人がお客さんになるかもしれないねと感じて少し動きが広がり、......

誰かがゲームをプレイしたあとに、
ストーリーが心に残るかどうかが大切

あえて作り過ぎない

大好きなことに打ち込む

ロジックも必要ですが、
機を見てロジックを脱する思考と行動がとても大切だと私は思っています

「本当にやりたそうにしてる人」に仕事は渡したいんですよね

プログラマー出身ですから、
先端技術にひかれますし、
美しいグラフィックに魅せられることもあります。でも、
同時にその製品に私の家内が興味をもつか否かも気になるのです。
それが自分の考えを補正するのに役立ちます

どう飽きささないか

プログラムではよく「極端ないいかたでいえば、
全体のなかの一%の部分が、
全体の処理時間の七割から八割を消費している」などといわれるぐらい、
そこばかり何回も処理していることがありえます。
だからそのボトルネックになっているところを直さないかぎりは、
そうじゃないところをいくら直しても意味がないんですね

ゲームを遊ぶということが前提になっている人にとっては面白くても、
ゲームを遊ばない人にとってはちっとも面白くない

安心して「バカもん!」と言える人と、
腫れ物に触るように叱らないといけない人がいるんですよね。
で、
これはねぇ、
ものすごい差なんです。
こちらから与えられる量も、......

強みと弱みの話ともつながる概念なんです。
自分しかできないことはなにかとか、
いちばん問題になっていることは なにかとかいうことがちゃんとわかって行動していくべきですから

なぜ我々はゲームをつくるのか。
関西風に言えば、
一人でも多くの人にウケたいからです。
人が喜んでくれるのがたまらなくうれしい。
それが生きがいです

うーん・・・・世の中の変化がゆっくりだった時代が、
長くつづいたんですね。
何年ものあいだおなじ方向のおなじ考えかたが通用して、
それが成功をくりかえしているとそれによって成功の体験をした集団というのができますよね

(株主から「リストラを敢行しないのか」との問いに)社員が怯えながら作ったソフトは人の心を動かせない

ゲームキューブも自分たちは違うものをつくったつもりでもお客から見ると同じことをやっていた

私は任天堂の社長をやってますけど、
絵は描けませんし、
作曲ができるわけでもない。
立場上私は上司で社員は部下かもしれませんが、
ひとりひとりの社員は私のできないことを専門的にやっている人たちであるともいえます。
そういう人たちに対して、......

ウケるというのはお店で何個売れるということじゃないんです。
買ってくださるのはどんなお客さんで、
すぐにやめちゃったのか、
それともずっと遊んでくれてるのか、
どっちも1個の売上げですがそれを知るのと知らないのでは次のステップで考えることが違ってくるんですね

ゲームを豪華に、
そして高度で複雑なものとするだけでは、
ゲーム熟練者(ヘビーゲーマー・コアゲーマー)に飽きられ、
今までゲームに触ったことのない初心者にもとっつきにくいものになり、
市場がゆっくりと死んでしまうのではないか

この20年間、
ゲームはより豪華に高度に複雑にと性能の量的拡大を追求し、
結果、
ゲームは遊ぶのに非常に時間とエネルギーを要するものになってしまった

みなさん、
Googleという検索システムの名前を聞いたときはどう思いましたか?
レクサスというクルマが登場したときは?

レジそばの大福の件にしても、
あれは誰かがあそこに偶然、
あるいは「ひょっとしたら」といって置いたらそれがうまくいったということであって、
あとづけで理由がついたに決まっていると思うんです

私は必ず、
任天堂はゲームソフトのデフレに対応できると考えています。
それには我々が彼らにできないことをしないといけない。
異質なものを提案して価値を認めていただけるかどうかに、
すべてがかかっているのではないでしょうか

わたしがもしも昔の時代にいたら、
いま任天堂がやっているのとおなじような方法をとったと思うよ。
でも、
環境が変わったでしょう?
周囲が変わったでしょう?
ぼくらが変わらなかったらどうなる?......

私たち娯楽産業のミッションは、
いかに人を驚かせるかですが、
いくらマーケットリサーチをやっても、
そこに答えはありません、
自分たちで考えるほかないのです

自分が何に向いているかや、
どうすればそれを伸ばせるかは、
頭で考えているだけでは、
なかなかわからないかもしれません

腰引かずにバット振ろう!みたいなのがね、
最近のモットーなんですよね。
思いっきり振ったら当たれば飛ぶ

任天堂らしさとは人を楽しませることに貪欲

成功を体験した集団を、
現状否定をして改革すべきではないと思います。
その人たちは善意でそれをずっとやってきて、
しかもそれで成功してきている人たちなんですから、
現状否定では理解や共感は得られないんです