名言大学

#任天堂

リスクをとらないところには達成感はないですから・・・・といってしまうと、
根はバクチ打ちなのかなぁ

新しいスタンダードが創りたい

ナンバー1になるにはリスクを冒す必要があります

仕事が苦役だなんて考えたことは一度もありません。
むしろどんなに苦労をしたって、
それが世の中で話題になって、
いろんな人が笑顔になっていくのをこの目でみられるのですから、
こんなに恵まれた仕事はないと思っています

今あるプログラムを使うと完成まで2年かかります。
ですが私が一から作れば1年で出来ます

業界全体がかかっていた病気に任天堂もかかっていた

ゲームキューブも自分たちは違うものをつくったつもりでもお客から見ると同じことをやっていた

同じものを出したらあかん。
同じことをやって競争したらケンカの強いやつが勝つにきまっとる。
任天堂は力のケンカなどするな。
よそと違うから価値があるんや。
前社長の山内が盛んに言っていた言葉です

「いまよいとされているやりかたはほんとうに正しいのか」ということをわたしだけでなく会社じゅうの人がうたがってかかって、
変わってゆく周囲のものごとに敏感であるように仕向けていかないといけない、
と考えています

わたしは山内さん(前任社長)のことを強く尊敬していますし、
「こんなにすさまじいことを、
自分はおなじようになしとげられるとは到底思えない」とすごい敬意を持って見ています

任天堂らしさとは人を楽しませることに貪欲

面白いものを作らなくちゃいけない

私は83年にファミコンが登場して以来、
最前線でゲーム開発に携わってきて、
数年前から何か変だぞと感じていました。
昔はゲームをよくやったけれど最近は時間がなくてやっていないという声をよく聞くようになったのです

任天堂は技術よりも独創的な何かを見つけることに重点を

オリジナリティへのこだわりというよりも、
みんながやるパターンにのると、
それ以上のものを出さないとダメ

コンピュータにはできることとできないことがあるんです。
でも、
そういうことが、
世の中では、
わりとちゃんと区別されずに語られるんですね

それがわたしの「判断すること」や、
「困難な課題をどう分析して解決の糸口を見つけること」に、
ものすごく役にたっているような気がします

わたしはいつもそうなんですが、
好きか嫌いかではなく「これは、
自分でやるのがいちばん合理的だ」と思えば覚悟がすぐに決まります

このまま過去の延長線上で仕事を続ける限り、
ゆっくり死ぬのを待つことになる

5歳から95歳まで誰でも同じスタートラインでゲームを楽しんでもらうのは決して不可能ではないことを脳トレは証明してくれた

誰かのお役にたったり、
誰かがよろこんでくれたり、
お客さんがうれしいと思ったり、
それはなんでもいいんですが、
当事者になれるチャンスがあるのにそれを見過ごして「手を出せば状況がよくできるし、
なにかを足してあげられるけど、......

面談をしてなかったら、
わたしは、
「現状否定から入ったらダメだ」ということがきっとわからなかったと思うんです

強みと弱みの話ともつながる概念なんです。
自分しかできないことはなにかとか、
いちばん問題になっていることは なにかとかいうことがちゃんとわかって行動していくべきですから

人に対して単純なモデル化で経営をするのはまちがっていますよね。
「あなたはそんなに単純にモデル化されたいか」と説教したくなります(笑)

海外のゲームデザイナーの人の傾向は、
まずゲーム全体の世界観を語ってアートもつけて、
それを本にしてしまうんです

私どもは、
自分たちのライバルは何だと考えているかというと、
「お客様の興味関心と時間とエネルギーを奪い合うすべてのものがライバルだ」と思っています

ロジックも必要ですが、
機を見てロジックを脱する思考と行動がとても大切だと私は思っています

私はね、
自分が子どものときに遊んで面白かったゲームの最新作を、
親になったときに安心して子どもにやらせてもらえるようなビジネスがしたいんですよ

私たち娯楽産業のミッションは、
いかに人を驚かせるかですが、
いくらマーケットリサーチをやっても、
そこに答えはありません、
自分たちで考えるほかないのです

私は、
ずっと前から自分が誰かと仕事をしたら「次もあいつと仕事をしたい」と言わせよう、
というのがモットーだったんです

最近ではめずらしい、
ゲームらしいゲームが出来ました。
でもはじめはぜんぜん評価してもらえなかったんです

あらゆることがそうですけど、
かならず「ボトルネック」といわれるいちばん狭い場所ができてしまって、
そこが全体を決めちゃうんですよね

たぶん、
わたしが考えて実行してきたことのなかのごく一部であっても、
「ここを取りだしたら、
誰かがちょっぴり役にたったりするかもしれない」という要素がきっとあると思うんです。
糸井さんがかつてわたしにそうしてくださったようにね

安心して「バカもん!」と言える人と、
腫れ物に触るように叱らないといけない人がいるんですよね。
で、
これはねぇ、
ものすごい差なんです。
こちらから与えられる量も、......

僕らは常に未来の理想に向けてではなく、
今やれる最高のことだけを目指してきた

成功体験が変化に順応できないというのは、
まさにそれなんですね

熱狂するファンがいる一方で、
実は声を出さずに立ち去った人たちが多いのではないか

大好きなことに打ち込む

「もっとプログラムをはやくしてください」というときにはボトルネックになっている部分がかならずあって、
それが全体を遅くしているんですね

『マリオ』とかのシリーズものっていうのは、
誰にでもわかるというか、
ゲームをしない人が怖がらないようなソフト

もし今のゲーム機の10倍のパワーを持ったゲーム機が登場したとして、
それを自分は認知できても、
家族は使いこなせますか? 違いの分かる人だけを相手にするのは危険だ

取材にこられる記者も、
昔はゲームをやっていたけれど、
いまはやりませんという人ばかり

だって現状を作りあげるために、
たくさんの人が善意と誠実な熱意でやってきたわけでしょう?

レジそばの大福の件にしても、
あれは誰かがあそこに偶然、
あるいは「ひょっとしたら」といって置いたらそれがうまくいったということであって、
あとづけで理由がついたに決まっていると思うんです

プログラムではよく「極端ないいかたでいえば、
全体のなかの一%の部分が、
全体の処理時間の七割から八割を消費している」などといわれるぐらい、
そこばかり何回も処理していることがありえます。
だからそのボトルネックになっているところを直さないかぎりは、
そうじゃないところをいくら直しても意味がないんですね

わたしはいま、
任天堂がいまのこの環境なら変わったほうがいいと思うことはあるけれども、
現状否定からは入りたくないし、
入るべきだとも思っていません。
たくさんのことを変えてもいるのですが、
否定したいから変えるのではありません

人と違うことをするのは常にリスクを伴いますが、
不可能だと思ったことを可能にできる自信がつけば、
みんなが新しい道に進もうとする

古いか新しいかとかよりずっと残るものを創りたい

逆にわたしはそういう批評家や評論家ではいたくないんです

プログラマーは、
ノーと言っちゃいけない(どんな困難な要求でもノーと言った時点で企画そのものが駄目になる)

放っておけば会社がつぶれるし、
変わらなければいけない理由は目に見えているし・・・・という状態のときには現状否定から入っても誰もそれに反対しないんですけれども、
任天堂はもちろんそういう否定をしたいような状況ではありませんよね

出口の見えないときは、
つくりながら考える。
一歩進むと根っこのコンセプトが具体的なアイデアで補強され、
骨太になっていく。
数えきれないやり取りの中でコンセプトが浸透し、
共有され、......

自分が何に向いているかや、
どうすればそれを伸ばせるかは、
頭で考えているだけでは、
なかなかわからないかもしれません

全体をどうにかしたかったら、
ボトルネックがどこなのかを見つけてそこを直しにいかないといけません。
ボトルネックより太いところをいくら直したとしても、
全体はちっとも変わらないんです

理解と共感を得るためには微妙な舵取りが要ります

モデル化を単純にするほど考えやすくなるから単純なモデル化には魅力があるんです

プログラマー出身ですから、
先端技術にひかれますし、
美しいグラフィックに魅せられることもあります。でも、
同時にその製品に私の家内が興味をもつか否かも気になるのです。
それが自分の考えを補正するのに役立ちます

なぜ我々はゲームをつくるのか。
関西風に言えば、
一人でも多くの人にウケたいからです。
人が喜んでくれるのがたまらなくうれしい。
それが生きがいです

作る側としては、
まずゲームシステムがあって、
そこに被せるものがキャラクターなんです。
マリオは被せやすいガワになってる。
彼を使うと、
ネタが考えやすいんですよね

問題があると、
解決せずにはいられない。
いや、
私は、
もしも違う人生を歩んでいたら「辻プログラマー」になってると思いますよ