名言大学

#任天堂

わたしが見つけた天才の定義があります。
人が嫌がるかもしれないことや、
人が疲れて続けられないような事を、
延々と続けられる人、
それが「天才」だとわたしは思うんです

最初のころは、
コンセプトに共感してくれた少数の人たちが手を動かし始め、
試作品みたいなものをつくり、
それを見た人が、
あっ、
これならいままで考えもしなかった人がお客さんになるかもしれないねと感じて少し動きが広がり、......

僕らは常に未来の理想に向けてではなく、
今やれる最高のことだけを目指してきた

どう飽きささないか

流行を追いかけるのではなく、
自分自身が何を作るかが一番大事

わたしはいま、
任天堂がいまのこの環境なら変わったほうがいいと思うことはあるけれども、
現状否定からは入りたくないし、
入るべきだとも思っていません。
たくさんのことを変えてもいるのですが、
否定したいから変えるのではありません

私はひとつの方向性を示しました。
ゲーム人口の拡大を目指す

ゲームキューブも自分たちは違うものをつくったつもりでもお客から見ると同じことをやっていた

もし今のゲーム機の10倍のパワーを持ったゲーム機が登場したとして、
それを自分は認知できても、
家族は使いこなせますか? 違いの分かる人だけを相手にするのは危険だ

ときには踏み鳴らされた道を離れ、
新しい道に入ってみる。
そこで出会った偶然を活かせば非連続的な変化を起こせる

安心して「バカもん!」と言える人と、
腫れ物に触るように叱らないといけない人がいるんですよね。
で、
これはねぇ、
ものすごい差なんです。
こちらから与えられる量も、......

腰引かずにバット振ろう!みたいなのがね、
最近のモットーなんですよね。
思いっきり振ったら当たれば飛ぶ

面白いものを作らなくちゃいけない

パイがどんどん小さくなっているとしたら、
業界で一番になっても死ぬのが先延ばしになるだけです。
死ぬのを延ばすために社長をするのはイヤでした

ここをこういうふうにしたらもっと面白くなるという意見を集めて、
そのとおりにすれば、
本当に売れるかといえば、
絶対にそんなことはない

海外のゲームデザイナーの人の傾向は、
まずゲーム全体の世界観を語ってアートもつけて、
それを本にしてしまうんです

「それは他にない」とか「ゲームがこのテーマを扱ったことはなかった」というようなことが大事

不誠実なものについて現状否定をするのはいいと思うんですけど、
誠実にやってきたアウトプットに対して現状否定をすることだけは「なし」だと思うんです

誰かのお役にたったり、
誰かがよろこんでくれたり、
お客さんがうれしいと思ったり、
それはなんでもいいんですが、
当事者になれるチャンスがあるのにそれを見過ごして「手を出せば状況がよくできるし、
なにかを足してあげられるけど、......

私はもともとゲーム開発者であることが天職だと信じていたのに、
あるとき会社の経営を任されてしまった。
ところが、
やっているうちに開発チームのマネジメントと会社の経営には多くの共通点があることがわかって、
いまでは経営も天職だったのかもしれないと思っているくらいです

まずは“こんなゲームという骨組みがしっかりあって、
それに合った世界観を作り上げる。
これは昔も今も変わらない

利益が大事な人もいれば、
利益なんかどうでもいいという人もいれば、
利益はちょっと欲しいけど、
他の要素も大事という人もいれば、
さまざまなんですよ

せっかちな性格が出るんでしょうね

それがわたしの「判断すること」や、
「困難な課題をどう分析して解決の糸口を見つけること」に、
ものすごく役にたっているような気がします

行動は所詮仮説にすぎないのでまちがっているかもしれませんが、
少なくとも「ここがボトルネックになっているはずだからこれをこう変えれば全体がこうよくなるはずだ」というふうに行動しなければいけないのに、
わりとそれができないものですよね

昔の国際電話は上空36,000km離れた衛星を利用していたから,返事が届くまで信号が2往復するのに0.4秒のタイムラグができる

私は83年にファミコンが登場して以来、
最前線でゲーム開発に携わってきて、
数年前から何か変だぞと感じていました。
昔はゲームをよくやったけれど最近は時間がなくてやっていないという声をよく聞くようになったのです

わたしは、
そのことはよく意識するようにしてきました。
これは自分がコンピュータをやっていて得意だったことのうちのひとつです

レジそばの大福の件にしても、
あれは誰かがあそこに偶然、
あるいは「ひょっとしたら」といって置いたらそれがうまくいったということであって、
あとづけで理由がついたに決まっていると思うんです

この20年間、
ゲームはより豪華に高度に複雑にと性能の量的拡大を追求し、
結果、
ゲームは遊ぶのに非常に時間とエネルギーを要するものになってしまった

トップになるには多くの努力を仕事に払う必要がある

持っていることに何か意味を感じてもらえるような物をゲームでも作りたい

そのときそのときで自分でよいと思って行ったことが後々ビックリするような結果につながった

それをちょっとちがう言葉で表現しますと、
わたしはきっと当事者になりたい人なんです。
あらゆることで傍観者じゃなくて当事者になりたいんです。
だけどその一方で当事者になるというのは自分の利益のためではないんです

(株主から「リストラを敢行しないのか」との問いに)社員が怯えながら作ったソフトは人の心を動かせない

5歳から95歳まで誰でも同じスタートラインでゲームを楽しんでもらうのは決して不可能ではないことを脳トレは証明してくれた

わたしの場合は、
自分の好奇心はどこに向いていて次に何を訊いたら、
いろんな読者の方たちが面白いと思ってくれるだろうかと思いながらいつもやっているんです。
それがとても面白いので、
この「社長が訊く」をずっと続けているんですね

こうしたいっていうゴールさえあれば、
誰がどこでなにをするというのを積み上げて、
一番単純な構造が作れます

新しいスタンダードが創りたい

最近ではめずらしい、
ゲームらしいゲームが出来ました。
でもはじめはぜんぜん評価してもらえなかったんです

ナンバー1になるにはリスクを冒す必要があります

名刺上、
私は社長です。
頭の中ではゲーム開発者です。
でも、
心はゲーマーです。

社員数も規模も総合力も格段に勝るソニーさんやマイクロソフトさんを相手にいかにパワーゲームで勝つかではなく、
任天堂のゲームに何の興味も示さなかった人たちがどうすればこっちを向いてくれるかを考えることに圧倒的な時間を使った。
私は競合意識の非常に低い経営者です

『マリオ』とかのシリーズものっていうのは、
誰にでもわかるというか、
ゲームをしない人が怖がらないようなソフト

ゲームを遊ぶということが前提になっている人にとっては面白くても、
ゲームを遊ばない人にとってはちっとも面白くない

強みと弱みの話ともつながる概念なんです。
自分しかできないことはなにかとか、
いちばん問題になっていることは なにかとかいうことがちゃんとわかって行動していくべきですから

誰かがゲームをプレイしたあとに、
ストーリーが心に残るかどうかが大切

わたしは糸井さんとはぜんぜん違う道をあゆんできて、
ぜんぜんちがう価値観で生きていて、
ぜんぜんちがうタイプなんですけど、
前々から妙にいろんなところで共振するんです

自分が何に向いていて、
何をすれば周囲に認めてもらえるかを一生懸命探していれば、
必ず仕事のチャンスはくるし、
そういう人のところに運も巡ってくるんじゃないでしょうか

あえて作り過ぎない

「いまよいとされているやりかたはほんとうに正しいのか」ということをわたしだけでなく会社じゅうの人がうたがってかかって、
変わってゆく周囲のものごとに敏感であるように仕向けていかないといけない、
と考えています

これまでゲームとは無縁だった人を引き込む以外、
生き残る道はない。
それを誰かがやらなければならないのなら、
ウチがやろうと。
それで、
5歳から95歳まで遊べるゲームをつくるという路線を打ち出したのです

自分たちがどうあるべきなのか、
お客さんになにを求めるべきで、
なにを求めちゃいけないのか。
そういったことについて、
私たちはまったく揺らいでませんから

古いか新しいかとかよりずっと残るものを創りたい

同じものを出したらあかん。
同じことをやって競争したらケンカの強いやつが勝つにきまっとる。
任天堂は力のケンカなどするな。
よそと違うから価値があるんや。
前社長の山内が盛んに言っていた言葉です

ゲームの世界というのを広げる

ロジックも必要ですが、
機を見てロジックを脱する思考と行動がとても大切だと私は思っています

コンピュータの世界にも、
誰かと一緒に仕事をする世界にも、
じつはすごい共通点がいっぱいあって、
その共通点を見つけることができたためにわかったことみたいなものがいっぱいあるんです

成功を体験した集団を、
現状否定をして改革すべきではないと思います。
その人たちは善意でそれをずっとやってきて、
しかもそれで成功してきている人たちなんですから、
現状否定では理解や共感は得られないんです

私は必ず、
任天堂はゲームソフトのデフレに対応できると考えています。
それには我々が彼らにできないことをしないといけない。
異質なものを提案して価値を認めていただけるかどうかに、
すべてがかかっているのではないでしょうか