名言大学

#任天堂

面談をしてなかったら、
わたしは、
「現状否定から入ったらダメだ」ということがきっとわからなかったと思うんです

まずは“こんなゲームという骨組みがしっかりあって、
それに合った世界観を作り上げる。
これは昔も今も変わらない

一般に、
新しい提案に納得してすぐに動くのは、
全体のせいぜい2割。
6割が様子見、
残りの2割は抵抗勢力に回るといわれていますが、
新しいチャレンジに慣れているはずの社内でさえ、......

コンピュータにはできることとできないことがあるんです。
でも、
そういうことが、
世の中では、
わりとちゃんと区別されずに語られるんですね

どの程度大変かということを漠然と知りつつも、
なんとかなるという前提でいるんです。
リーダーってそうじゃなきゃいけないですよ。
何とかなるという前提ですべてが動いているからこそ、
みんながなんとかしなきゃって思うんです

ゲームを遊ぶということが前提になっている人にとっては面白くても、
ゲームを遊ばない人にとってはちっとも面白くない

社員に『ありえない』というところまで考えていいんだと伝えたい。
そして今後も、
任天堂がそういう会社でいられたらカッコいいなと思いますね

新しいスタンダードが創りたい

なぜバンダイナムコさんの『ゼビウス』を最初につくったのかというと、
とにかくわたしたちが立体視で『ゼビウス』を見たかったからなんです。
あの、
宙に浮くソルバルウを(笑)

自分が何に向いているかや、
どうすればそれを伸ばせるかは、
頭で考えているだけでは、
なかなかわからないかもしれません

僕らは常に未来の理想に向けてではなく、
今やれる最高のことだけを目指してきた

「それは他にない」とか「ゲームがこのテーマを扱ったことはなかった」というようなことが大事

最初のころは、
コンセプトに共感してくれた少数の人たちが手を動かし始め、
試作品みたいなものをつくり、
それを見た人が、
あっ、
これならいままで考えもしなかった人がお客さんになるかもしれないねと感じて少し動きが広がり、......

わたしはいつもそうなんですが、
好きか嫌いかではなく「これは、
自分でやるのがいちばん合理的だ」と思えば覚悟がすぐに決まります

ゲームを豪華に、
そして高度で複雑なものとするだけでは、
ゲーム熟練者(ヘビーゲーマー・コアゲーマー)に飽きられ、
今までゲームに触ったことのない初心者にもとっつきにくいものになり、
市場がゆっくりと死んでしまうのではないか

誰かのお役にたったり、
誰かがよろこんでくれたり、
お客さんがうれしいと思ったり、
それはなんでもいいんですが、
当事者になれるチャンスがあるのにそれを見過ごして「手を出せば状況がよくできるし、
なにかを足してあげられるけど、......

かつては茶の間でコントローラーを奪い合い、
ギャラリーも一緒に楽しんだ。
それがコントローラーは複雑化して差し出すと後ずさりされ、
ギャラリーも消え、
一人暗い部屋で遊ぶイメージになってしまった。
もう一度茶の間に持ち出して家族全員で触ってもらえるものにする

ここをこういうふうにしたらもっと面白くなるという意見を集めて、
そのとおりにすれば、
本当に売れるかといえば、
絶対にそんなことはない

私はできると信じて、
ひたすら同じことを言い続けました。
そのうち、
先に動いてくれた2割が開発した、
脳を鍛えたり犬を可愛がったりするソフトが「DS」でヒットして、
これまでとはまったく異なる層が遊んでいるということがわかると、......

同じものを出したらあかん。
同じことをやって競争したらケンカの強いやつが勝つにきまっとる。
任天堂は力のケンカなどするな。
よそと違うから価値があるんや。
前社長の山内が盛んに言っていた言葉です

「もっとプログラムをはやくしてください」というときにはボトルネックになっている部分がかならずあって、
それが全体を遅くしているんですね

ロジックも必要ですが、
機を見てロジックを脱する思考と行動がとても大切だと私は思っています

古いか新しいかとかよりずっと残るものを創りたい

人に対して単純なモデル化で経営をするのはまちがっていますよね。
「あなたはそんなに単純にモデル化されたいか」と説教したくなります(笑)

このまま過去の延長線上で仕事を続ける限り、
ゆっくり死ぬのを待つことになる

わたしは、
そのことはよく意識するようにしてきました。
これは自分がコンピュータをやっていて得意だったことのうちのひとつです

問題があると、
解決せずにはいられない。
いや、
私は、
もしも違う人生を歩んでいたら「辻プログラマー」になってると思いますよ

海外のゲームデザイナーの人の傾向は、
まずゲーム全体の世界観を語ってアートもつけて、
それを本にしてしまうんです

任天堂は技術よりも独創的な何かを見つけることに重点を

任天堂がそれをつくるうえでの哲学がどうなのか、
ということのほうが重要ですから

任天堂らしさとは人を楽しませることに貪欲

トップになるには多くの努力を仕事に払う必要がある

業界自体は明らかに先細りなのだという現実に、
思わず冷や汗が流れました。
えらいときに社長を引き受けてしまった、
と思いました

利益が大事な人もいれば、
利益なんかどうでもいいという人もいれば、
利益はちょっと欲しいけど、
他の要素も大事という人もいれば、
さまざまなんですよ

腰引かずにバット振ろう!みたいなのがね、
最近のモットーなんですよね。
思いっきり振ったら当たれば飛ぶ

これまでゲームとは無縁だった人を引き込む以外、
生き残る道はない。
それを誰かがやらなければならないのなら、
ウチがやろうと。
それで、
5歳から95歳まで遊べるゲームをつくるという路線を打ち出したのです

常にがむしゃらに目先のことを追い続けてきた

せっかちな性格が出るんでしょうね

熱狂するファンがいる一方で、
実は声を出さずに立ち去った人たちが多いのではないか

この20年間、
ゲームはより豪華に高度に複雑にと性能の量的拡大を追求し、
結果、
ゲームは遊ぶのに非常に時間とエネルギーを要するものになってしまった

わたしはいま、
任天堂がいまのこの環境なら変わったほうがいいと思うことはあるけれども、
現状否定からは入りたくないし、
入るべきだとも思っていません。
たくさんのことを変えてもいるのですが、
否定したいから変えるのではありません

アイディアがまとまるのは、
お風呂に入ってる時かな。
お風呂で浮かんだアイディアはかなり正確ですが、
逆にアテにならないのが布団の中のアイディア

今あるプログラムを使うと完成まで2年かかります。
ですが私が一から作れば1年で出来ます

だって現状を作りあげるために、
たくさんの人が善意と誠実な熱意でやってきたわけでしょう?

最近ではめずらしい、
ゲームらしいゲームが出来ました。
でもはじめはぜんぜん評価してもらえなかったんです

ウケるというのはお店で何個売れるということじゃないんです。
買ってくださるのはどんなお客さんで、
すぐにやめちゃったのか、
それともずっと遊んでくれてるのか、
どっちも1個の売上げですがそれを知るのと知らないのでは次のステップで考えることが違ってくるんですね

世の中のありとあらゆる改革は現状否定から入ってしまいがちですが、
そうするとすごくアンハッピーになる人もたくさんいると思うんです

私の名刺には社長と書いてありますが、
頭の中はゲーム開発者です。
心はゲーマーです

私は任天堂の社長をやってますけど、
絵は描けませんし、
作曲ができるわけでもない。
立場上私は上司で社員は部下かもしれませんが、
ひとりひとりの社員は私のできないことを専門的にやっている人たちであるともいえます。
そういう人たちに対して、......

一見、
できそうもないアイディアを形にしていくというのが、
僕がそのチームにいる一番大きな意義

面白いものを作らなくちゃいけない

5歳から95歳まで誰でも同じスタートラインでゲームを楽しんでもらうのは決して不可能ではないことを脳トレは証明してくれた

最初から社内の賛同が得られたわけではありません。
多くの社員は既存の成功体験の中にいました。
熱心なファンを敵に回すのではないか。
そんなところに本当に市場が存在するのか。
反対意見が噴出です

自分たちは異質な商品をつくり、
新しい道を探さなくてはならない。
そう腹をくくったのが、
新しい据え置き型(Wii)の開発に着手したころでした

誰かがゲームをプレイしたあとに、
ストーリーが心に残るかどうかが大切

「お客さんとしては会社がどう見えたらその会社を好きになるか」とか「社員はどうしたら自分の会社のことをポジティブに語りたくなるか」という視点がなくなるとすごく危険だと思うんです

自分たちがどうあるべきなのか、
お客さんになにを求めるべきで、
なにを求めちゃいけないのか。
そういったことについて、
私たちはまったく揺らいでませんから

アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである

不誠実なものについて現状否定をするのはいいと思うんですけど、
誠実にやってきたアウトプットに対して現状否定をすることだけは「なし」だと思うんです