名言大学

#任天堂

自分が何に向いていて、
何をすれば周囲に認めてもらえるかを一生懸命探していれば、
必ず仕事のチャンスはくるし、
そういう人のところに運も巡ってくるんじゃないでしょうか

わたしがもしも昔の時代にいたら、
いま任天堂がやっているのとおなじような方法をとったと思うよ。
でも、
環境が変わったでしょう?
周囲が変わったでしょう?
ぼくらが変わらなかったらどうなる?......

ゲームがうまい人じゃなくっても、
「インクを塗るのが楽しい」とか、
シューターというゲームになじみがなくても「すごくおもしろい」と言ってもらったりと、
いろんな人たちに、
さまざまな感想を持ってもらえたらうれしいですよね

任天堂らしさとは人を楽しませることに貪欲

遺伝子の結合はバクチですからね

ゲームを豪華に、
そして高度で複雑なものとするだけでは、
ゲーム熟練者(ヘビーゲーマー・コアゲーマー)に飽きられ、
今までゲームに触ったことのない初心者にもとっつきにくいものになり、
市場がゆっくりと死んでしまうのではないか

アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである

利益が大事な人もいれば、
利益なんかどうでもいいという人もいれば、
利益はちょっと欲しいけど、
他の要素も大事という人もいれば、
さまざまなんですよ

ときには踏み鳴らされた道を離れ、
新しい道に入ってみる。
そこで出会った偶然を活かせば非連続的な変化を起こせる

実際、
ソフトの出荷額は97年をピークに下降線をたどっています。
ソフト開発のコストは膨れ上がる一方なのに、
売れる量は頭打ちです

ゲーム制作はですねー、
夢のような世界ですよー

私はひとつの方向性を示しました。
ゲーム人口の拡大を目指す

自分たちがどうあるべきなのか、
お客さんになにを求めるべきで、
なにを求めちゃいけないのか。
そういったことについて、
私たちはまったく揺らいでませんから

みなさん、
Googleという検索システムの名前を聞いたときはどう思いましたか?
レクサスというクルマが登場したときは?

かつては茶の間でコントローラーを奪い合い、
ギャラリーも一緒に楽しんだ。
それがコントローラーは複雑化して差し出すと後ずさりされ、
ギャラリーも消え、
一人暗い部屋で遊ぶイメージになってしまった。
もう一度茶の間に持ち出して家族全員で触ってもらえるものにする

強みと弱みの話ともつながる概念なんです。
自分しかできないことはなにかとか、
いちばん問題になっていることは なにかとかいうことがちゃんとわかって行動していくべきですから

わたしは糸井さんとはぜんぜん違う道をあゆんできて、
ぜんぜんちがう価値観で生きていて、
ぜんぜんちがうタイプなんですけど、
前々から妙にいろんなところで共振するんです

問題があると、
解決せずにはいられない。
いや、
私は、
もしも違う人生を歩んでいたら「辻プログラマー」になってると思いますよ

ゲームを遊ぶということが前提になっている人にとっては面白くても、
ゲームを遊ばない人にとってはちっとも面白くない

人に対して単純なモデル化で経営をするのはまちがっていますよね。
「あなたはそんなに単純にモデル化されたいか」と説教したくなります(笑)

自分たちは異質な商品をつくり、
新しい道を探さなくてはならない。
そう腹をくくったのが、
新しい据え置き型(Wii)の開発に着手したころでした

たぶん、
わたしが考えて実行してきたことのなかのごく一部であっても、
「ここを取りだしたら、
誰かがちょっぴり役にたったりするかもしれない」という要素がきっとあると思うんです。
糸井さんがかつてわたしにそうしてくださったようにね

パイがどんどん小さくなっているとしたら、
業界で一番になっても死ぬのが先延ばしになるだけです。
死ぬのを延ばすために社長をするのはイヤでした

子供をバカにしてはいけない。
世の中には子供をバカにしたコンテンツがあるが、
そういうものを見ると腹が立つ。
子供は物を知らないだけで、
知性はある

プログラムではよく「極端ないいかたでいえば、
全体のなかの一%の部分が、
全体の処理時間の七割から八割を消費している」などといわれるぐらい、
そこばかり何回も処理していることがありえます。
だからそのボトルネックになっているところを直さないかぎりは、
そうじゃないところをいくら直しても意味がないんですね

人と違うことをするのは常にリスクを伴いますが、
不可能だと思ったことを可能にできる自信がつけば、
みんなが新しい道に進もうとする

社員数も規模も総合力も格段に勝るソニーさんやマイクロソフトさんを相手にいかにパワーゲームで勝つかではなく、
任天堂のゲームに何の興味も示さなかった人たちがどうすればこっちを向いてくれるかを考えることに圧倒的な時間を使った。
私は競合意識の非常に低い経営者です

最初のころは、
コンセプトに共感してくれた少数の人たちが手を動かし始め、
試作品みたいなものをつくり、
それを見た人が、
あっ、
これならいままで考えもしなかった人がお客さんになるかもしれないねと感じて少し動きが広がり、......

レッドオーシャンでマーケットの取り合いをするなら競合に目を向けるでしょう

面白いものを作らなくちゃいけない

私はね、
自分が子どものときに遊んで面白かったゲームの最新作を、
親になったときに安心して子どもにやらせてもらえるようなビジネスがしたいんですよ

取材にこられる記者も、
昔はゲームをやっていたけれど、
いまはやりませんという人ばかり

コンピュータにはできることとできないことがあるんです。
でも、
そういうことが、
世の中では、
わりとちゃんと区別されずに語られるんですね

海外のゲームデザイナーの人の傾向は、
まずゲーム全体の世界観を語ってアートもつけて、
それを本にしてしまうんです

プログラマーは、
ノーと言っちゃいけない(どんな困難な要求でもノーと言った時点で企画そのものが駄目になる)

わたしは、
そのことはよく意識するようにしてきました。
これは自分がコンピュータをやっていて得意だったことのうちのひとつです

アイディアがまとまるのは、
お風呂に入ってる時かな。
お風呂で浮かんだアイディアはかなり正確ですが、
逆にアテにならないのが布団の中のアイディア

わたしはいま、
任天堂がいまのこの環境なら変わったほうがいいと思うことはあるけれども、
現状否定からは入りたくないし、
入るべきだとも思っていません。
たくさんのことを変えてもいるのですが、
否定したいから変えるのではありません

「お客さんとしては会社がどう見えたらその会社を好きになるか」とか「社員はどうしたら自分の会社のことをポジティブに語りたくなるか」という視点がなくなるとすごく危険だと思うんです

ここをこういうふうにしたらもっと面白くなるという意見を集めて、
そのとおりにすれば、
本当に売れるかといえば、
絶対にそんなことはない

不誠実なものについて現状否定をするのはいいと思うんですけど、
誠実にやってきたアウトプットに対して現状否定をすることだけは「なし」だと思うんです

僕らは常に未来の理想に向けてではなく、
今やれる最高のことだけを目指してきた

なにに対しても「いまの世の中にはココが合っていないと思うからココは変わるべきです」というメッセージしか発せなかったと思います

名刺上、
私は社長です。
頭の中ではゲーム開発者です。
でも、
心はゲーマーです。

5歳から95歳まで誰でも同じスタートラインでゲームを楽しんでもらうのは決して不可能ではないことを脳トレは証明してくれた

わたしは山内さん(前任社長)のことを強く尊敬していますし、
「こんなにすさまじいことを、
自分はおなじようになしとげられるとは到底思えない」とすごい敬意を持って見ています

常にがむしゃらに目先のことを追い続けてきた

理解と共感を得るためには微妙な舵取りが要ります

ナンバー1になるにはリスクを冒す必要があります

行動は所詮仮説にすぎないのでまちがっているかもしれませんが、
少なくとも「ここがボトルネックになっているはずだからこれをこう変えれば全体がこうよくなるはずだ」というふうに行動しなければいけないのに、
わりとそれができないものですよね

社員に『ありえない』というところまで考えていいんだと伝えたい。
そして今後も、
任天堂がそういう会社でいられたらカッコいいなと思いますね

なぜバンダイナムコさんの『ゼビウス』を最初につくったのかというと、
とにかくわたしたちが立体視で『ゼビウス』を見たかったからなんです。
あの、
宙に浮くソルバルウを(笑)

業界全体がかかっていた病気に任天堂もかかっていた

業界自体は明らかに先細りなのだという現実に、
思わず冷や汗が流れました。
えらいときに社長を引き受けてしまった、
と思いました

全体をどうにかしたかったら、
ボトルネックがどこなのかを見つけてそこを直しにいかないといけません。
ボトルネックより太いところをいくら直したとしても、
全体はちっとも変わらないんです

同じものを出したらあかん。
同じことをやって競争したらケンカの強いやつが勝つにきまっとる。
任天堂は力のケンカなどするな。
よそと違うから価値があるんや。
前社長の山内が盛んに言っていた言葉です

うーん・・・・世の中の変化がゆっくりだった時代が、
長くつづいたんですね。
何年ものあいだおなじ方向のおなじ考えかたが通用して、
それが成功をくりかえしているとそれによって成功の体験をした集団というのができますよね

持っていることに何か意味を感じてもらえるような物をゲームでも作りたい

この20年間、
ゲームはより豪華に高度に複雑にと性能の量的拡大を追求し、
結果、
ゲームは遊ぶのに非常に時間とエネルギーを要するものになってしまった