名言大学

生命は仕事とともに不滅である。

名利(みょうり)の深山にさまようてはならない。
しかし、
諦らめられぬ煩悩の生活に、
人間の悲しい闇がある。
愛慾の苦海に沈淪・・

世界の歴史は、
剣と血の歴史である。

優れた人たちは、
地上に在(あ)っては、
孤独であるべく余儀なくされているのであるかも知れない。

異境に在(あ)って、
故郷の訛を聞いたときは、
未知の人にさえも、
なにか声をかけたくなる。
故郷のもっている強きインスピレー・・

古語は古人のことばである。
古語を今人(こんじん)に通ぜしめるには、
現代語の意訳を経(へ)なければならない。
古語の致命傷・・

何人(なんぴと)も卒直に自己を示すときは、
無用の行為はすべて跡を絶つことであろう。

日本婦人の最も讃美すべき特長は、
ゆたかに恵まれたその情操である。
そして、
日本婦人に最も望ましきものは理智である。

おしえをもとめながら、
ともすれば身の不幸をかこつものは、
幸福をもとめるために、
おしえを弄(もてあそ)ぶものではあるまい・・

愉快に働くことのできる人は、
それ自身法悦の営みにめぐまれているものと云(い)ってよい。

名利の執着をはなれ得ない地上の営みは、
いかに麗しく飾られても、
畢竟(ひっきょう)、
ほろびゆく玩具にすぎない。

自然のおしえも、
人生の営みも、
結局平等たるべく示されている。

苦しみをともにすることを強いても、
楽しみをともに味わうことを忘れている世のなかは、
あまりに寂しいとおもう。

おしえられた通りに、
そのまま守ってゆくのは、
もちろん素直なことである。
しかし、
おしえられただけを守ることは、
必ずしも権・・

散りゆく花は、
風を怨もうとはしない。
花は自分にめぐまれただけの本分をはたして、
しずかに散ってゆく。

追憶に耽(ひた)ることによってのみ、
慰安をむさぼるのは愚痴である。
しかし近代人は、
見知らぬ未来を逐(お)うことにのみ心・・

何人も、
生活を美にみちびくことは大切である。
生活をゆたかにするために、
みずからを丹念に育くんでゆくために。

絶え間なき地上の争いは、
ことごとく不自然な差別から生まれる久遠(くおん)のなやみである

心に願うすべてのものに恵まれていても、
心から信じ、
許し合うまことの友は、
もとめ得がたいことである。

まこととは何か。
詐(いつわ)りのないことであると、
釈尊は説かれた。
なやましき人生において、
詐りのないことは、
まことに稀・・

自分の生命を打ち込むことの出来る仕事をもっているものは幸福である。
そこに如何(いか)なる苦難が押し寄せようとも、
たえざ・・

平和は人類の念願でありながらも、
絶えざる勝敗の賭けごとを続けなければならぬところに、
人生のいたましさを思う。

形作られたものを、
永遠にたもとうとする努力は悩みである。
砕けば土塊にすぎない人形の悲しみは、
妄執の悩みを離れ得ない、
地・・

自分にのみ恵まれた美を見出すことなくして、
いたずらなる粉飾につとめるのは、
みずからの内容を、
滅ぼし去るものであろう。

女は涙そのものを、
卑しむべきものにしてはならない。
むしろ涙によって象徴される、
つつましき純情の、
男子よりも多分にめぐま・・

地上の歓喜は、
畢竟(ひっきょう)落花の夢にひとしい束の間のことである。

宗教を事業のために利用しようとするものは、
多く無信仰者である。

音楽は、
民族のことばの発生と同時に生(うま)れた、
最初の詩的発声である。

生じたものはかならず滅びる。
この厳(おご)そかな原則のまえには、
男も女も、
尊きも賤(いやし)きも、
何の差別もない。
すべ・・

技巧の加えられたものほど、
複雑なすがたを具(そな)える。

ともに信じ合う世界は、
人々が互いの、
合掌される感謝の心持によって、
はじめて成されるのである。

劇の価値は、
事件の推移に在(あ)るのではない。
演出者の個性のひらめきによって、
異なった表現を創造してゆくところに、
はか・・

ひとり寂しくおることは、
一切衆生(しゅじょう)と偕(とも)におることである。

自分は生きているという誇りは尊いものではない。
感謝の心なき存在は、
単に自己肯定の誇りをもてあそんでいるに過ぎない。

自然をしみじみと観じ、
これより受ける何物かを、
生活の上にまで引き入れようとする態度は、
魅力に富む東洋人の心境を表示する・・

多くの人たちは、
単に限られた生命の延長のみをねがい、
限りなき生命を育くむことを忘れがちである。
千古(せんこ)のおしえを・・

われらの歎(なげ)きは、
短き命をもっていることにあるのではなく、
瞬間の生命を、
よく生かし得ないところに在(あ)る。

たとえ一坪の牢獄であっても、
厳粛な懺悔の道場であることをさとった人に、
なつかしいこの社会が、
却(かえ)ってつめたい牢獄・・

追憶の感激をもたない生活を、
つづけなければならぬ人たちは寂しい。

みずからの悪をかえりみ得ないものは、
ともすれば自我の小善を高ぶりがちである。

悩みからぬけ出(い)でたと思った人は、
その日から寂しい日を送らねばならなかった。
そしてそれは、
真実に悩みからぬけ出でた・・

生きている自分こそは、
生かしてもらっている自分であることに気づくときは、
きわみなき聖愛のめぐみに、
感謝されずには居られ・・

恵みをたえずもとめてやまぬのは、
可憐(いじ)らしいことである。
しかし常凡な日々のいとなみのなかにも、
ゆたかな恵みを見の・・

梅も百合も、
さては名もなき野の花も、
自然の寵児(ちょうじ)は、
自らに恵まれた個性を、
素直に発揮してゆくところに、
みずか・・

自然のすがたには何人(なんぴと)も反感をもたない。
それはいたずらに飾られた詐(いつわ)りがないからである。

苦しみは何人(なんぴと)も共にし易い。
そこには嫉視と羨望の、
浅ましい人間意識を用うる必要なき、
同情のみの世界を見出すか・・

逝(ゆ)くものはかの水のごとく、
暫(しば)らくもとどまらない。

(悩みを払い去ろう、
悩みの影と別れようとするのではなく)光に近づいて、
悩みを消してゆく。
悩みをみつめつつゆくものこそ、
・・

あこがれへの一路の旅は、
つねに幾多の試練がくりかえされる。
しかし究極の到達を信ずるがゆえに、
喘(あえ)ぎくるしむことの・・

自ら愛し、
また愛せられることが、
たとえ詐(いつわ)りのなき素純な愛にせよ、
自ら苦しみ、
また他をも傷つけるところに、
地上・・

九条 武子(くじょう たけこ、1887年(明治20年)10月20日 - 1928年(昭和3年)2月7日)は、教育者・歌人、後年には社会運動活動家としても活動した。