名言大学

頭のいい人は恋が出来ない。
恋は盲目だから

地震の研究に関係している人間の目から見ると、
日本の国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもので、
しかも、
そのつり橋の鋼索があすにも断たれるかもしれないというかなりな可能性を前に控えている

健康な人には病気になる心配があるが、
病人には回復するという楽しみがある

大正十二年のような地震が、
いつかは、
おそらく数十年の後には再び東京を見舞うだろうということは、
これを期待する方が、
しないよりも、
より多く合理的である

ケガを怖れる人は大工にはなれない。
失敗を怖がる人は科学者にはなれない。
科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、
血の川のほとりに咲いた花園である

戦争はしたくなければしなくても済むかもしれないが、
地震はよしてくれと言っても待ってはくれない

美術家は時に原始人に立ち返って自然を見なければならない。
宗教家は赤子の心にかえらねばならない。
同時に科学者は時に無学文盲の人間に立ち返って考えなければならない

科学の方則とは畢竟(ひっきょう)「自然の記憶の覚え書き」である。
自然ほど伝統に忠実なものはないのである

興味があるからやるというよりは、
やるから興味ができる場合がどうも多いようである

国家を脅かす敵として天災ほど恐ろしい敵はないはずである

天災は忘れた頃にやってくる

心の窓はいつでもできるだけ数をたくさんに、
そうしてできるだけ広く開けておきたいものだ

疑うがゆえに知り、
知るがゆえに疑う

科学者になるには自然を恋人としなければならない。
自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである

科学は不思議を殺すものではなく、
不思議を生み出すものである

子どもを教育するばかりが親の義務でなくて、
子どもに教育されることもまた親の義務かもしれないのである

自然現象の不思議には、
自分自身の目で脅威しなければならぬ

いわゆる頭のいい人は、
言わば足の早い旅人のようなものである。
人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、
途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある

最後の一歩というのが実はそれまでの千万歩より幾層倍むつかしいという場合が何事によらずしばしばある

私の方では年齢の事など構わないでいても、
年齢の方では私を構わないでおかないだろう

雪は天からの手紙である

「知らない」と「忘れた」とは根本的に違う

モノを怖がらなさ過ぎたり、
怖がり過ぎたりするのは優しいが、
正当に怖がることはなかなか難しい

寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人。吉村 冬彦(1922年から使用)、寅日子、牛頓(ニュートン)、藪柑子(やぶこうじ)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。

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