名言大学

思い切り振れ、
思い切り投げろ

100勝くらいで満足するためにメジャーに来たわけではない

僕も(自分の)子供の試合を観に行った時は、
なるべく口出さない

バントとかやられると「なんや、
こいつら、
プロのくせにレベルの低いことやりやがって」と

(記録とかより)とにかく勝ちゃいい

なれるとかなれないとか考えていたって一歩も前には進めません

野球はピッチャーから攻めるゲーム

若い人には、
失敗してもいい場所が必要だと思う

自分のペースは崩したくない

できるようになるまで反復してやる

メジャーは選手会がしっかりしている

チャンスを生かすために日々努力

野球なかったら、
絶対、
今の自分はない

何かを得ようと思ったら毎日毎日、
繰り返しやります

今、
芽の出ていない人も諦める必要はない

(野球とは)育ててくれたもの

華がある内に辞めるんじゃなくて落ちぶれてボロボロになっても 投げ続けようと決めました

新日鉄に入った時もそうでしたが、
後輩のことを考えて行動しなければならないという思いがあったので、
その面でも責任を感じていたんです。
自分の振る舞いが、
後に続く人に影響するんだというのは、
すごく思ってました

(近鉄の球団がなくなって)ちょっとショックでした

挑戦すれば、
成功もあれば失敗もあります。
でも挑戦せずして成功はありません。
何度も言いますが挑戦しないことには始まらない

自分の気持ちに正直になった方がいい

日本のボール、
ちょっと軽いんですよ、
投げやすいですね

せっかく来たのだから、
豊岡を、
いつか少年野球や社会人野球のメッカにしたい(NOMOベースボールクラブ)

やっぱりスポーツ選手は世界に出なきゃいけない

チャレンジしないまま残りの人生を後悔して過ごしたくない

(メジャーリーグに憧れたきっかけは?
)BS(放送)でやってて興味があって・・

(メジャーリーグで成功できた理由は?
)マイペースだったから

本当なら、
もう一年社会人(野球)やりたかった

自分がプロ野球選手として自立できたのも、
新日鉄堺時代に社会人としてのマナーを教え込まれたことが大きい

(メジャーリーグへ挑戦した一番最初の選手であった事について)たまたま僕が最初だったと思うんですよね

グリップの低い選手は高めの球が打ちづらい

希望はあるが不安はない

自分が95年にメジャーで投げたことは、
日本人や現地の日系人にとってすごく大きな出来事だったんだなと思えるようになった

小さい頃から早い球を投げたいという事を思っていたら、
今の(投球)フォームになった

ドジャースの一員となった、
この日は生涯忘れません

自分の成績だけがチームの勝利に結びつくんじゃなくて、
投げない日も自分が何かもっとできるんじゃないか

メジャーリーガーになるんだという強い意志さえ持っていれば、
いつかはきっと叶う夢だと信じてやってきました

(引退の決断に際して)自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、
自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った

僕を通じてメジャーの良さがわかったというんであれば、
それはそれで嬉しい

日本の野球をクビになったからといって諦める必要はない。
アメリカに来たって野球はやれる

野茂 英雄(のも ひでお、1968年〈昭和43年〉8月31日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。

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