名言大学

私の名刺には社長と書いてありますが、
頭の中はゲーム開発者です。
心はゲーマーです

どの程度大変かということを漠然と知りつつも、
なんとかなるという前提でいるんです。
リーダーってそうじゃなきゃいけないですよ。
何とかなるという前提ですべてが動いているからこそ、
みんながなんとかしなきゃって思うんです

なぜ我々はゲームをつくるのか。
関西風に言えば、
一人でも多くの人にウケたいからです。
人が喜んでくれるのがたまらなくうれしい。
それが生きがいです

ロジックも必要ですが、
機を見てロジックを脱する思考と行動がとても大切だと私は思っています

みなさん、
Googleという検索システムの名前を聞いたときはどう思いましたか?
レクサスというクルマが登場したときは?

自分が何に向いていて、
何をすれば周囲に認めてもらえるかを一生懸命探していれば、
必ず仕事のチャンスはくるし、
そういう人のところに運も巡ってくるんじゃないでしょうか

ゲームをしないと思っていた人たちにもゲームをしてもらう方法はある

任天堂がこれほど短期間に大きな変化を起こすことができたのは、
幸運との出会い抜きには語れません

そのときそのときで自分でよいと思って行ったことが後々ビックリするような結果につながった

最初のころは、
コンセプトに共感してくれた少数の人たちが手を動かし始め、
試作品みたいなものをつくり、
それを見た人が、
あっ、
これならいままで考えもしなかった人がお客さんになるかもしれないねと感じて少し動きが広がり、......

重要なのは異なる部門が素早いキャッチボールを繰り返しながら、
同じ目標、
目標に突き進むことです

出口の見えないときは、
つくりながら考える。
一歩進むと根っこのコンセプトが具体的なアイデアで補強され、
骨太になっていく。
数えきれないやり取りの中でコンセプトが浸透し、
共有され、......

人と違うことをするのは常にリスクを伴いますが、
不可能だと思ったことを可能にできる自信がつけば、
みんなが新しい道に進もうとする

ときには踏み鳴らされた道を離れ、
新しい道に入ってみる。
そこで出会った偶然を活かせば非連続的な変化を起こせる

業界全体がかかっていた病気に任天堂もかかっていた

ゲームキューブも自分たちは違うものをつくったつもりでもお客から見ると同じことをやっていた

5歳から95歳まで誰でも同じスタートラインでゲームを楽しんでもらうのは決して不可能ではないことを脳トレは証明してくれた

最初から社内の賛同が得られたわけではありません。
多くの社員は既存の成功体験の中にいました。
熱心なファンを敵に回すのではないか。
そんなところに本当に市場が存在するのか。
反対意見が噴出です

社員数も規模も総合力も格段に勝るソニーさんやマイクロソフトさんを相手にいかにパワーゲームで勝つかではなく、
任天堂のゲームに何の興味も示さなかった人たちがどうすればこっちを向いてくれるかを考えることに圧倒的な時間を使った。
私は競合意識の非常に低い経営者です

レッドオーシャンでマーケットの取り合いをするなら競合に目を向けるでしょう

この20年間、
ゲームはより豪華に高度に複雑にと性能の量的拡大を追求し、
結果、
ゲームは遊ぶのに非常に時間とエネルギーを要するものになってしまった

私は83年にファミコンが登場して以来、
最前線でゲーム開発に携わってきて、
数年前から何か変だぞと感じていました。
昔はゲームをよくやったけれど最近は時間がなくてやっていないという声をよく聞くようになったのです

同じものを出したらあかん。
同じことをやって競争したらケンカの強いやつが勝つにきまっとる。
任天堂は力のケンカなどするな。
よそと違うから価値があるんや。
前社長の山内が盛んに言っていた言葉です

社長になって統計資料をみてみると、
日本のゲーム産業のソフトウェア出荷額は97年から下がり続けている

このまま過去の延長線上で仕事を続ける限り、
ゆっくり死ぬのを待つことになる

実際、
ソフトの出荷額は97年をピークに下降線をたどっています。
ソフト開発のコストは膨れ上がる一方なのに、
売れる量は頭打ちです

熱狂するファンがいる一方で、
実は声を出さずに立ち去った人たちが多いのではないか

かつては茶の間でコントローラーを奪い合い、
ギャラリーも一緒に楽しんだ。
それがコントローラーは複雑化して差し出すと後ずさりされ、
ギャラリーも消え、
一人暗い部屋で遊ぶイメージになってしまった。
もう一度茶の間に持ち出して家族全員で触ってもらえるものにする

私はひとつの方向性を示しました。
ゲーム人口の拡大を目指す

自分たちは異質な商品をつくり、
新しい道を探さなくてはならない。
そう腹をくくったのが、
新しい据え置き型(Wii)の開発に着手したころでした

いまいるのは互いにノーガードで殴り合う血まみれのレッドオーシャンだけれど、
確実に市場はある。
向こうは血の流れていないブルーオーシャンかもしれないが市場になるかどうかわからない。
それでも腹をくくったのは、
この方向性は絶対に正しいという自分なりの信念があったからです

業界自体は明らかに先細りなのだという現実に、
思わず冷や汗が流れました。
えらいときに社長を引き受けてしまった、
と思いました

取材にこられる記者も、
昔はゲームをやっていたけれど、
いまはやりませんという人ばかり

一般に、
新しい提案に納得してすぐに動くのは、
全体のせいぜい2割。
6割が様子見、
残りの2割は抵抗勢力に回るといわれていますが、
新しいチャレンジに慣れているはずの社内でさえ、......

私はもともとプログラマーですから、
自分がつくったものに対して、
喜びにしろ、
怒りにしろ、
ユーザーの反応をすぐに知りたいという欲望がものすごく強いのです

私はもともとゲーム開発者であることが天職だと信じていたのに、
あるとき会社の経営を任されてしまった。
ところが、
やっているうちに開発チームのマネジメントと会社の経営には多くの共通点があることがわかって、
いまでは経営も天職だったのかもしれないと思っているくらいです

自分が何に向いているかや、
どうすればそれを伸ばせるかは、
頭で考えているだけでは、
なかなかわからないかもしれません

プログラマー出身ですから、
先端技術にひかれますし、
美しいグラフィックに魅せられることもあります。でも、
同時にその製品に私の家内が興味をもつか否かも気になるのです。
それが自分の考えを補正するのに役立ちます

これまでゲームとは無縁だった人を引き込む以外、
生き残る道はない。
それを誰かがやらなければならないのなら、
ウチがやろうと。
それで、
5歳から95歳まで遊べるゲームをつくるという路線を打ち出したのです

特定のものだけをライバルだと考えますと、
「そのライバルにいかに勝つか」という発想になるんですね

私どもは、
自分たちのライバルは何だと考えているかというと、
「お客様の興味関心と時間とエネルギーを奪い合うすべてのものがライバルだ」と思っています

私は任天堂の社長をやってますけど、
絵は描けませんし、
作曲ができるわけでもない。
立場上私は上司で社員は部下かもしれませんが、
ひとりひとりの社員は私のできないことを専門的にやっている人たちであるともいえます。
そういう人たちに対して、......

「本当にやりたそうにしてる人」に仕事は渡したいんですよね

私たち娯楽産業のミッションは、
いかに人を驚かせるかですが、
いくらマーケットリサーチをやっても、
そこに答えはありません、
自分たちで考えるほかないのです

ここをこういうふうにしたらもっと面白くなるという意見を集めて、
そのとおりにすれば、
本当に売れるかといえば、
絶対にそんなことはない

仕事が苦役だなんて考えたことは一度もありません。
むしろどんなに苦労をしたって、
それが世の中で話題になって、
いろんな人が笑顔になっていくのをこの目でみられるのですから、
こんなに恵まれた仕事はないと思っています

私はできると信じて、
ひたすら同じことを言い続けました。
そのうち、
先に動いてくれた2割が開発した、
脳を鍛えたり犬を可愛がったりするソフトが「DS」でヒットして、
これまでとはまったく異なる層が遊んでいるということがわかると、......

わたしが見つけた天才の定義があります。
人が嫌がるかもしれないことや、
人が疲れて続けられないような事を、
延々と続けられる人、
それが「天才」だとわたしは思うんです

私はね、
自分が子どものときに遊んで面白かったゲームの最新作を、
親になったときに安心して子どもにやらせてもらえるようなビジネスがしたいんですよ

昔の国際電話は上空36,000km離れた衛星を利用していたから,返事が届くまで信号が2往復するのに0.4秒のタイムラグができる

岩田 聡(いわた さとる、1959年12月6日 - 2015年7月11日。