名言大学

人は一人では生きられない。
だからこそ、
人とのかかわりに人生は大きく左右されます

イメージに固定されてしまうのは、
役者の堕落

芸を極めたなんて、
とんでもない。
まだまだこれから少しずつ階段を上って行かなくては

役者に年齢は関係ないし、
演じることが僕の生きがい。
でも、
名優と呼ばれたらおしまい

役者業は、
趣味と実益を一緒にしてしまった素敵な世界

役者というのは、
挑戦する以外にない

憎まれようと自分に忠実であればいい

俳優とは、
自分の生き様に並行し、
一緒に歩いているもの。
そうでないと演じきれない

27歳でスカウトされた翌年、
木下恵介監督の『善魔』で主役デビューをしました。
演技経験ゼロの素人でしたから、
撮影は本当に大変でした。
当然、
NG連発なわけです。......

いい加減なくせに台本には文句をつける。
監督とはけんかはする。
クビになったり干されたことが何度もありました。
そのとき、
ありがたいことに手を差し伸べてくれる演出家がいたからこそ、
60年近くもこの仕事を続けられてきたわけです

若いときは自分の実人生と、
演じている役柄は、
まったく別人格だと思って演ってきたんですけど、
自分と演じている人物はまったくの別の人格だと割り切って、
その役を演じ切ることはできない。
それは錯覚だったと気が付きました

自分という容器の中で、
自分の体や感情の中にある役柄との共通点を取り出して、
そこを原点に精一杯演じていく。
その方法しかないと思っています

女房はしんどいと思いますよ。
僕は演じている役柄で人格が変わってしまうんですから(笑)。
明日の芝居を考えていると、
今日の生活が役と同じになってしまうんです

偶然の出会いを重ねてきた僕ですが、
自分の経験を踏まえて若い世代に伝えたいのは、
「自分の才能にプライドを持つ」ということ。
志を高く、
誇りを持って突き進むことで、
人生を実り豊かにしてくれる出会いを引き寄せて欲しいです

コピーできない演技とは経過そのものであったと認知した

(演技は)再現できない。
運命的な『物』である

過ぎた日は再び迎えられない。
演技もまったく同じである

名匠たちとの出会いを他の人にも分けてあげたいと思うこともありますけど、
これだけはやっぱり譲れないですね。
だから、
私はその名匠たちの良心に応えようとして今までやってきました。
その誇りは誰にも負けないし、
自分自身妥協しません

戦争で中国から引き上げてきた時に木下恵介さんと偶然出会った。
あの出会いがなければ、
今の私はないと思います

私は、
どの作品がというより、
本当に監督に恵まれたと思っています

『こういう役』というのではなくて、
『燃やすこと』のできる役ですね。
自分の中で燃焼させる何かを感じる役。
燃焼し尽くしてはいけないのですけれども。
そして、
『人間として何かを訴える』ことができる役柄ですね。......

ヤクザの親分とかいうのは嫌いですから、
依頼があっても断ると思いますしね

(これからやってみたい役柄というのはありますか?
)『ラブシーン!』と応えたらいいのかな?
(笑)もちろん、
そういうのも四六時中求めているよ(笑)

私はまだ自分の歩く道を確かめている段階なので、
今も生きているんでしょう。
その時々の自分が出来る役目を探して、
求めているんですね

北村(和夫)は自己主張が強くて人の話を聞かない人でした。
いや、
そこにある彼の本当の姿は『人に心配させまい』『仲間に同情を求めない』というものです。
彼はそういう意味では座員のために生きたとも言えますね。
文学座のね

自己主義には限界があるんですね。
お芝居はチームワークなんですから

(近頃の俳優は)『調和』であるとか『人間を表現する』ということ、
これが遅れているんですよ

一人で考え、
一人で行動する

自分が正しいと思う方向に向かって正々堂々と歩く。
死ぬまで歩けるその人生さえ構築できれば、
自分自身の中で精神的に敗北することはない

ついに終末の刻に逐い詰められたようだ どう闘って生きるか?

関係がダメになった監督もいますけれども、
それはもう夫婦の離婚みたいなものでね。
まあ、
しょうがない(笑)

僕も不器用なんだよ、
不器用な方がいいんだ

(亡くなる2日前)港に行かなくちゃ。
船が出てしまう

人々の生活の糧になるような映画に出たい

映画関係者はもっと娯楽ということを真剣に考えるべきではないか

今までで、
惹かれた女優さんは一人だけです。
太地喜和子さんだけです。
ぼくは、
男に影響を与える女の人が好きです

このセリフを言うために私は今まで出演したのだ

私はメロドラマだけは出なかった。
虚構ですから

このシリーズ(「釣りバカ日誌」)を超えるのは大変だと思いますよ

戒名もいらない。
散骨して誰にも知らせるな。
三國連太郎のままでいく

僕は臆病者ですから、
(太地喜和子に)のめり込む危険を絶対に避けたかったんです


『それ(本物の大衆演劇)ができないか?
』と思って出演しているのが『釣りバカ日誌』のシリーズなんですけども。
寛美さんに少しでも近づこうと思って

(藤山)寛美さんは本当の意味での俳優・喜劇人でいらっしゃった。
『他人の芝居の邪魔をしない』というね。
つまり、
『共演者のために自分の芝居をしている』んです。
『演劇は大衆のものでないといけない』と言いますが、
寛美さんのはそういう部分で『本物の大衆演劇』でしたね

名匠たちと仕事をしてきて後悔したことは一度もありません

これからは、
こちらから芸術家を選ぶ。
つまり、
自分から対象を探していくというバイタリティが重要かなと思っています。
こちらから探すというのも大事なことですよ。
映画もテレビも自分ひとりでは出来ないですからね

三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年(大正12年)1月20日 - 2013年(平成25年)4月14日。