名言大学

日本人に日本をもっと知ってもらいたいと思っています。
知らないことは、
過度のうぬぼれや卑下を生みます。
世界を目指すには、
まず日本を、
そして己れを知ることではないでしょうか

生きていくための基本が『教養』であるべき。
たとえば世の中に出る前に、
物事の思考の仕方や人との接し方などを正しくプログラミングしてあげる。
それなしに、
いきなり個性と言っても始まらない

笑うということは、
意識しないものではあるけれど、
笑うという行為なしに、
人間は生きていけないのではないでしょうか

あいさつは、
自分のモードを切り替える《スイッチ》でもあると思うんです

すべてを光で照らし出し、
派手で、
わかりやすく見せたものは、
一瞬、
感動するけれど、
すぐ忘れられる

型のために型に忠実であるのではなく、
型を身につけてしまえば、
型はむしろ自分に忠実なものとなり、
自然にできるはずだ

単に混ぜ合わせるだけでなく結びつけることで別の新しいものになる。
それが日本文化の良いところだと思うんです

経験や人生が反映されることで、
はじめて意味が見出され名言となって訴えかけてくる。
言葉とは、
そういう「人生を映す鏡」のようなものではないでしょうか

教養とは「生きていくために身につけるべき機能」のことである。
知識として暗記したものは教養ではない

『好きこそものの上手なれ』という言葉がありますが、
上手になるためには、
好きであることだけでは不十分。
技術というものは、
自然に身につくものではありませんから、
それを習得するための努力は欠かせません

(萬斎さんは厳しい師匠ですね)そりゃ稽古中はコワイですよ(笑)でも狂言の楽しさも教えながらでないと、
付いてこられない。
僕が15歳のころは、
狂言が楽しいとは全然思えなかったですから

僕はチャレンジャーでもあるし、
新しいことが好きなので、
同時にいろんなことをやっていきたいですけどね

体が周りで起きていることに自然に反応して、
観ている人の心も動かす・・・・。
その域に達すれば、
もう芸道の1つの境地ですよね

余韻を残すものは、
想像力に訴え、
大きく膨らむ

先輩方のなかには、
そういった型の部分をさっさと崩すタイプもいますが、
その域が“解脱なのか、
途中で型崩れしただけなのか、
それぞれです。
はたまた人によってはその崩れが洒脱な芸になることもあり、......

(父は)いまだに型にはこだわり、
磨き続けています。
だから狂言師の身体の基本中の基本である「構エ」も堅実かつ綺麗ですよ

父(人間国宝の野村万作さん)は83歳になりますが、
すでに型を脱却し、
“解脱の境地に達していると感じます

50代のうちに型を洗練しきったところまで究めておくかどうかで、
最終的に到達できる芸のレベルが決まる気がします

私はまだその型を究めていないし、
脱し切れてもいないんです。
だからまだ「洟垂れ小僧」なんですね

30代のときには力任せでこなしていたような体力を使う役でも、
40代になり、
すでにマシーンのように型が身に付いていれば、
力まずとも同じことができます

(型とは)狂言の1つひとつの動作や振る舞いを示す名称ですが、
基本的な立ち方から、
食べたり飲んだりする様などの具体的な仕草や音声も含みます

(50代は狂言師の人生にとってどういった段階なのですか)まさにスタートラインです。
狂言師として幼いころから身に付けてきた「型」を、
最高のレベルにまで磨き上げていく時期だと思っています

優れた表現というのは、
時代だけでなく、
国境を越える力も持っています

理屈じゃない、
分析できない、
でも聴いていて心地よい「語リ」、
眺めていて美しい「構エ」や「運ビ」。
それらが無意識にできるまで息子の体に叩き込んでいる真っ最中です

杉の市にもう1つ共感したのは、
彼は盲人としての運命を、
障害や劣等感を生きるエネルギーに変えたことです。
だからこそ大衆は彼の強烈な生き方に魅了されたのだろうと

(『藪原検校』について)僕にとっても本当に幾重にも運命的な作品でした

三谷幸喜さんは「嫉妬を覚えました!」、
『のぼうの城』の犬童一心監督も「やられました」と。
僕の潜在能力がここまで引き出されたことに、
ある意味で口惜しさを感じてくださったようで

(狂言の芸が使えない局面もありましたか)仏教の五戒(殺生、
偸盗、
邪淫、
妄語、
飲酒〈おんとう〉)でいう殺生と邪淫の部分です。
狂言には「すっぱ」と呼ばれる小悪党は登場しますが、......

善と悪はいつだって簡単にひっくり返ります

人柱となり祀り上げられ、
人びとの欲望を一身に集め見せしめとなる因果は、
いつの世にもありますよ。
そして悪人を祀り上げなくてはならない理由が、
“善人の側にもあるのでしょう

芸能の根幹は理屈ではなく、
面白くて粋で、
バカバカしいけれど生きる喜びを感じさせることにあるのではないか

「餅づくし」の詞章にはことさらに意味はなくて、
とにかくテンポよく、
聞いている人を楽しい気持ちにさせるのが身上です

僕が杉の市にうってつけだとしたら、
幼いころから装置もほとんどない能の裸舞台に立つ鍛錬を続けてきたからでしょう

源平の世界と登場人物を織り込んだ、
通称「餅づくし」の唄の場面ですね。
大変でしたが、
こうした芸は狂言師にとって専売特許のようなもので、
「自分がちゃんとできないでどうする?
」と思いながら演じました。......

杉の市は自分の欲しいものを手に入れるために非道を尽くして、
金をばらまいたけれど、
それだけでは最高位までのし上がれなかったと思うんです。
どこか人を惹きつけるカリスマ性やチャーミングさも兼ね備えてないといけない

僕も含めて人間には両面性があるということでしょう(笑)

(「日本人のアイデンティティ」とは)雑食性ですね。
前の文化を否定せず、
すべて捨てずに次の時代へ引き継ぐ性質です

自分の体や声だけを武器に、
お客さんに理屈抜きの美しさとか楽しさを感じてもらう鍛錬はしてきたつもりですのでね

僕自身も、
狂言師の宿命を背負って生きることに負の意識を抱くこともありました。
宿命を力に変える部分で、
杉の市と類似するものを感じます。
私ももう立派な中高年ですが、
杉の市の享年28の人生を生きてみて、......

役作りの上でヒントにするのは私の周りにいる人たちです。
狂言に出てくる“飲み助は酒に飲まれてしまう役回り。
羽目を外して飲む人をじっくり観察しています。
とはいえ、
私も飲み助です。
いつのまにか一緒に飲んでしまいます

本当は洋食も好きなのです。
朝は必ずアールグレイの紅茶にパン。
本格的なインドカレーだって大好き。
能楽堂を離れた食事選びにまで、
私は“和の演技を求められます(笑)

仕事柄、
私には“和のイメージがあるようです。
だれかにご案内されるのも和食が多い。
家族にも、
外食時には普段食べられない本格的な和食がいいと言われ、
結局寿司や鰻に行くことになってしまいます

舞台があるときは、
必ず和食を食べるようにしています。
海外公演で日本食の店がないときでも、
最低限米さえ食べられれば、
なんとか力が湧いてくる

伝統って昔の点のように見えるかもしれないけど、
実は過去から現在までずっと続いてきている線なんですよ。
時代を経て古くなり、
どこかが抜け落ちて点線になれば、
その度ごとに自分たちで間を埋めていっているんです

古典芸能は、
享受する側が視覚や聴覚、
いろいろな感覚を使い、
時を超えて繰り返しアプローチしても揺るがない、
豊かなエンターテインメントです。
そういった面白さを伝えるプログラムも劇場には必要なんですよね

過去に、
辞書機能を付けたパンフレットを刷るとか、
解説を電光掲示板に流した時期もありました。
しかし「想像力を働かせるもの=不親切」と捉えるいまの時代の風潮には首を傾げます。
不親切ではなく、
自分の好きなように観て、......

狂言は「省略の美学」といわれますが、
演じる側の都合で、
わかりにくさと不親切があるのなら、
多少なりとも手ほどきはしたほうがいいでしょう

民間の立場で舞台を創作すれば採算性を一番に考えなければならない。
となるとお客を呼べる役者と、
親切なストーリー、
視覚的にもわかりやすい装置といった「わかりやすさ」に向かうこともあるでしょう。
もちろん、
それを否定するわけではありませんし、......

クリエイターもスタッフも育ってきたと自負しています

新国立劇場で舞台芸術を上演するとなると、
やはり国のフラッグシップ的な位置付けのコンテンツ、
国の威信を懸けた作品でなければいけない使命があるような気がします。
都立や県立も同様かもしれません

二世野村 萬斎(のむら まんさい、本名:野村 武司(のむら たけし)、1966年〈昭和41年〉4月5日 - )は、狂言方和泉流の能楽師・俳優・演出家。能楽狂言方和泉流野村万蔵家。二世野村万作と詩人阪本若葉子の長男。世田谷パブリックシアター芸術監督。