名言大学

最終巻の中でも、
キキは読者のみなさん同様、
悩めるお母さんをやっていますよ(笑)

発売当初からこの物語(「魔女の宅急便」)を読んでくれた方たちは、
もうお母さん世代。
みなさん、
独り立ちや結婚などの節目をキキと一緒に迎え、
すごく幸せなことに主人公と読者の気持ちが強く結ばれた作品になりました

本は扉を開けて違う世界に入って行くもの。
そして本の終わりは閉まるのではなく、
そこからまたさらに別の扉が開く

頭で考えたり、
計画したわけではない、
自分の中からふと飛び出してくる言葉。
それを私は大切にし、
何より信じて物語の中で使っているんです。
意味があるかどうかなんて深く考えずに使ったそれらの言葉は、......

誰でも魔法をひとつは持っているんです。
空を飛べたり、
姿を消したりすることはできなくても、
自分が好きなことで生きられれば、
それは魔法になる。
そんな気持ちを込めて、......

ファンタジーと呼ばれるけれど、
この物語(「魔女の宅急便」)は限りなく普通の話

時間ってどうして、
こういつも走っているのでしょう。
追いかけるのが大変!

戦争というものは、
まず食べ物に現れる。
普通にあったものが、
あっという間に姿を消していった。
どうか想像してください。
豊かにおやつのあった日々から、......

これだと思ったらとにかくコツコツやってみる。
好きなことを続けていれば、
それが生きがいという魔法となり、
自身を支えてくれる

日常的なことから心が自由になるように。
そして「これから私は童話を書くんだ」と思わない、
そして「だれにも見せない」と思うこと

本や映画のことも、
わくわくしながら話していました。
映画や本を通して生きていることのぬくもりを実感していた学生時代でした

私が大学に入学した時は、
日本という国が何もかも大きく変わろうとしている時代でした。
だから日本人としてどうこれから国を支えていくのか、
まず自分たちが考えなくてはいけない、
とよく話していた

サークルの仲間や授業クラスの友だちもできると、
早大生としての貫禄も少しは出てくるようになりました(笑)

暑いですね、
水になって、
小川に流れこみたい気分です

(龍口直太郎)先生がこうおっしゃたんです。
「あなたは翻訳をやらないで、
自分で書きなさい。
その方がいい」。
後になってみると仕事の方向性を導いてくださっていたのですが、
当時は「翻訳家には向いていない」と言われたと思い、......

世界の子どもたちをノンフィクションで紹介する本を作る企画で、
私はもちろんブラジルの子どもの担当。
そうして生まれたのが『ルイジンニョ少年、
ブラジルをたずねて』なのです

25歳でブラジルに移住。
働き先も、
住むところも何も決まっていない状況での渡航でしたが、
全く不安はなかった。
『魔女の宅急便』の主人公のキキが魔女の修行に出かける夜に言った台詞と同じ気持ちでした。
「贈りものを開けるときみたいに、......

大学卒業後は、
出版社に勤務。
やっぱり外国への思いが捨てきれず、
夫と共にブラジルに移民として、
渡航することを決めました

35歳でルイジンニョ少年の物語でデビューしてから、
その後『ネッシーのおむこさん』、
『ビルにきえたきつね』の2冊で作家として活動を始めるまでに7年の時間がかかりました。
自分が見たもの、
感じたものすべてを自分の中に“ことばとして取り込むのに、
7年という時間が必要だった

書くことが好きなんだ、
とわかってからはどんな時でも書くことが苦じゃなくなった。
主婦としての仕事をしながら、
物語を書きためていきました

やっと龍口先生がおっしゃった言葉の意味がわかったの。
なるほど、
翻訳がダメということではなくて書く方が向いている、
先生はそうおっしゃっていたのか・・

原稿を書いても書いても、
何度も書き直しの連続。
でも楽しかった。
机に向かってうんうん唸りながら「ああ、
私は書くことが好きなんだな・・」と実感できた仕事でした

私も自分の“魔法=書くことが好きが分かったのは35歳の時。
あまり人と自分を比べたりせずに、
自分がいきいきできることを見つけることが大切だと思っています

自分の魔法を見つけるのに大学4年間で見つかる人もいれば、
卒業後10年かかる人もいるかもしれない。
だけど魔法を見つけるコツは、
あります。
同じことを繰り返してもあきないことが、
自分の好きなこと。......

魔法はすなわち、
その人の仕事。
その人そのものを表すものだと思います

私の描く魔女は、
ハリー・ポッターのように呪文を操っていろんな魔法をつかえるようなすごい魔女じゃありません。
自分にできるたったひとつの魔法を大切にして生きている魔女です

実写映画では、
カバを運びます。
動物ではカバが大好きですから、
はこんだら、
どんなことになるか、
面白いお話になりそうと思って書きました

この先に見えるものはなにか、
この先自分が出来ることはなにか、
今度は何をしようかと考えるのは、
わくわくします

(「贈りもののふたをあけるときみたいにわくわくした」体験をされたことってありますか)もちろんあります。
この年になるまで、
ずっとそういう気持ちで生きてきたと思います

書いているとき思い浮かべる登場人物は、
絵ではなくて、
実体のある

これからも「贈りものを開けるとき」のような気持ちで、
毎日を過ごしていきたいですね

1989年に宮崎(駿)さんの手によってアニメ映画化されて一番良かったなと思うのは、
世界中の皆さんの元へキキとジジが羽ばたいていったこと。
タイトルは『』だった。
日本の童話が世界中で翻訳されて出版されるのはとても難しいことでしょう?
原作者としてアニメの人気ぶりにはすごく驚いたけど、
やっぱりうれしかったわね

まず読んでください。
面白いと思います。
やめられなくて、
ずんずん読みたくなると思います。
私はそれを信じて、
書き続けてきました

(自分の持つ魔法に気づくのはどんな時?
)好きなことを見つけることです。
それは本当に好きなことです。
役に立ちそうというような、
効率的なものではなく

もちろん飛べたらいいなと思います。
でもできないとおもったら、
そこでおしまい。
飛べる方法はあるのです。
それは想像することで出来るのではないでしょうか。
そこから見えてくるものは、......

亀倉雄策さんや田中一光さんが手掛けた、
1964年東京オリンピックの広告も好きでしたよ。
グラフィックデザイナーの皆さんが表舞台に出るようになって、
すごく活気づいていたのをよく覚えています

デザインが美しい海外の雑誌が大好きで、
学生時代からデザインの仕事に憧れていたの。
でも専門の勉強はしていなかったから、
まず紀伊國屋書店に就職して。
本の装丁を手掛ける、
ブックデザイナーになろうと思っていたのね

実はね、
文章を書くことにまったく興味はなくて。
学生時代はデザイナーになりたかったのよ

実写映画はミュージカルを手掛けたスタッフの長年の夢だったの。
原作を愛してくれる人、
アニメ映画が好きな人、
それぞれのファンの皆さんが見たら実写化に対して複雑な思いはあるかもしれない

今回(実写版)は人間が演じるからこそ感情移入できる部分もあると思うし、
キキと同じ13歳の子たちの目にどんなふうに映るか、
とても楽しみ。
何よりキキを演じた小芝(風花)さんが素晴らしい

原稿を書くときは絶対に無音じゃないとだめなのよ

娘がね、
魔女が色々なことをしている絵を描いたことがあったの。
その中にホウキから赤いラジオがぶら下がっていて、
三つ編みのリボンが結んであって。
三日月に向かってホウキに乗って飛んでいるシーンがあったのね。
これを見た時に『ラジオを聴きながら空を飛ぶ魔女』というアイデアが珍しいし、......

最近のオリンピック関連のデザインはちょっと物足りないというか、
イマイチねって思ってしまうの

魔法はね、
欲しい欲しいと思って探しあぐねても見つからない。
たくさんの出会いの中で自分はこれが好きなのかも、
と言えるものを見つけるには、
日ごろからいろんなことに興味や好奇心を持ったり、
本を読んだりと、......

私にとっての魔法は書くということだった

(「魔法」とは何?
)手に入れることで常に生き生きとしていられる、
生きる力になるもの