名言大学

つらつら人間の一生を見るに、
罪ということよりも、
罪ということを自ら知らざるものほど大(だい)なる罪人はあらじと、
思わる・・

凡(およ)そ外交問題ほど国民の元気を煥発するものはあらざる也(なり)

世界は意味なくして成立するものにあらず。
必ず何事かの希望を蓄えて進みつつあるなり。

人生は遠き古より、
遙かなる未来まで、
真個にこれ奇幻を極めたる一大ドラマたり。

人生に意味あるは即(すなわ)ち熱意あるが故(ゆえ)なり。

女性は感情動物なれば、
愛するよりも愛せらるるが故に愛すること多きなり。

恋愛は人世(じんせい)の秘鑰(ひやく)なり。
恋愛ありて後(のち)人世あり。

「単純」の隣家には「実行」あり。
実行と単純と双びて初めて宗教の味あるなり。

おのれあくまでも清しと思い、
おのれ何処までも善人なりと信ずるものほどに、
罪多きものはなかるべし。

君知らずや、
人は魚の如し、
暗らきに棲(す)み、
暗らきに迷ふて、
寒むく、
食少なく世を送る者なり。......

頭をもたげよ、
而(しこう)して視よ、
而して求めよ。

人間の心の生涯は心の経験なり。
心とは霊魂の謂(いい)にして、
人間の命の裡(うち)の生命なり。

われわれのほとんどすべての支出は、
他人に真似んが徴候なり。

明日は即ち永遠の始めにして、
明日といえる希望は即ち永遠の希望なり。

人の世に生まるるや、
一の約束を抱きて来たれり。
人に愛せらるる事と人を愛する事、
これなり。

熱意は力なり。
必ず到着せんとするところを指せる、
一種の引力なり。

人生実に測るべからざるものなり、
人生実に知るべからざるものなり

北村 透谷(きたむら とうこく、1868年12月29日〈明治元年11月16日〉- 1894年〈明治27年〉5月16日)は、日本の評論家・詩人。本名は北村 門太郎(きたむら もんたろう)。明治期に近代的な文芸評論をおこない、島崎藤村らに大きな影響を与えた。