名言大学

今容貌は如何(いか)に立派であろうとも、
女の肉体全身から愛の力が発散されていようとも、
女は他に幾(いく)らでもあること・・

雨だれも、
ついには石をうがつ。

ルクレティウス

乏しいと云(い)うことには欠乏がない。

ルクレティウス

天も地も海も一(ひ)とまとめにしたすべてでも全宇宙の総和に較(くら)ぶれば無に等しいものである。

ルクレティウス

敬虔の念とは、
むしろ精神を平静にして万事を眺めることのできる態度に外(ほか)ならない。

自然の先(ま)ず第一の原理は、
何ものも神的な力によって無から生ずることは絶対にない、
という点である。

ルクレティウス

財宝も、
高貴な生(うま)れも、
又名家の誉れも、
われわれの肉体にとってすら何の益にもならない以上、
われわれの精神にとって・・

人間の持つ死の恐怖は、
すべて自然に対する認識の欠如に由来する。

我々が取るに足りないことだと考えているよりも、
更に取るに足りないことがあるとすれば、
死は正にそれである。

より大きな河を以前見たことのない者には、
どんな河でも一番大きな河に見えるものであり、
樹にしても、
人にしても巨大に見えよ・・

ルクレティウス

汝は、
その手に無いものを望み、
その手にあるものを軽蔑している。

ルクレティウス

人間を見るのには危険に臨んでいるときの方が都合がよい。
逆境にあるときの方が、
どんな人物かよくわかる。
そういうときにこそ・・

いったい何が我々の感覚以上に我々に情報を与えることができようか。

ルクレティウス

(不幸な・不成功な恋愛に)つり込まれないよう警戒するに越したことはない。
というのは、
恋愛の罠にかかるのを避けることは、
・・

(男は)色欲に盲目になると、
女の精神上の欠陥、
乃至(ないし)は肉体の欠点を見のがすものであり、
女が実際は持っていない美・・

愛を生ぜしめるものは習慣だからである。
例えば、
如何(いか)に軽くとも頻繁な打撃を反復して受けるものは、
永い間には負けて・・

たとえ君の好きなだけの多くの世代を生き抜いて完(まっと)うすることが、
よしんば出来たとしても、
依然として永遠の死はその・・

人類は絶えず徒(いたず)らに又(また)無駄に齷齪(あくせく)し、
空疎なる心労に生命を費やしているが、
明らかにその理由は・・

不幸な、
不成功の恋愛には、
眼を閉じていても見えるくらい、
禍(わざわい)は無数にある。

ひとたび一人の愛にまき込まれても、
憂いや頑(かたく)な苦痛を保持しないようにすべきである。
何故(なぜ)ならば、
初めの傷・・

われわれは、
では、
何にたよればいいのか?
 われわれが真なるものと、
虚なるものとを弁別するのに、
感覚よりたしかなものがあ・・

ルクレティウス

誰でも真の理性を以(もっ)て人生の生活方針を定めようとするならば、
乏しさに甘んじて、
心を平静に生活することこそ人間にと・・

自然は自由であり、
傲慢なる主人に左右されることなく、
自然自身すべて自由勝手な独立行動をとっているものであって、
神々とは・・

仮りに我々〔人間〕が造り出されなかったとしても、
それが我々にとって一体何の禍(わざわい)であろうか?
 即ち、
一旦生(う・・

世界は断じて神々の力によって我々の為に造られたものではない。
世界には、
実に多くの欠陥が具(そな)わっているではないか。

ルクレティウス

ティトゥス・ルクレティウス・カルス(ラテン語: Titus Lucretius Carus, 紀元前99年頃 - 紀元前55年)は、共和政ローマ期の詩人・哲学者。エピクロスの思想を詩『事物の本性について』に著した。