名言大学

人間はアドバイスをしながら優越に浸り、
親切をしながら相手に恩を着せようとする。
もちろんそれで違和感が無いならそれもいい。
だけど、
苦しいと感じている人は、
抜け出す為に自分を見つめなきゃいけない

人生で何かを成そうと思っている人には時間がない。
だから普通のアドバイスは時間軸がゆっくり過ぎて当てはまらない

自分を蔑まない。
その一点で人生は開ける

怒る人に何かを言うのは怖い。
言えばこちらが噛み付かれそうだから。
怒りは防衛本能。
本当の自分を知られコンプレックスを攻撃されるのを恐れている。
手負いの虎と同じ。
傷を庇う為に強く見せようとする

偏ってないってことは誰かと替えがきく存在になるって事だと思うんですけどね

頭が悪い人は自分に気付かない

思い込みは、
あると気付いた時にはもう思い込んでおらず、
思い込んでいる間はある事すら知らない。
つまり人は常に何かを思い込んでいてそれに気付いていない

もし誰かに期待されていたら早めにがっかりさせておいた方がいい。
ほっておくと人生がいつの間にか人が期待する方向に向かい始める

自分が幸せになる為に人を幸せにしている事と、
人の評価を高める為に人を喜ばせる事は違う

すごいと言われたい症候群も、
がっかりされたくない症候群も、
バカにされたくない症候群も、
つまり他人にコントロールされている

僕の競技人生は、
まさに「負けで終わった」けれど、
幸せな人生だったと胸を張って言える。
そう、
負けと幸福感は別である

世の中にはどうしようもないことがたくさんあって、
そこに出口がないなら、
どうにかしようがあることに努力や時間を割いていったほうがいい。
(中略)あきらめたものが多いほうが、
ひとつのことに集中投下できる。
それゆえ成功しやすい

「やればできる」という姿勢は、
結果責任が個人の努力に向かいやすい。
子どもは敏感だからそのカラクリにすぐに気づき、
本音で夢を語ることを嫌がるようになる。
本音で夢を語った瞬間、
それがかなわなかったら「お前の努力不足なんだよ」という批判が飛んでくるのを知っているからだ

僕がハードラーとしてひとつのことに25年を費やしたのは、
気持ちが強いわけでもなんでもない。
毎朝同じものを選び、
他の可能性をあきらめ続けただけ

本番で勝負強い選手は、
自己肯定感が強い。
このままの自分でいいと知っている選手は、
やはり腹が据わっている

賞賛され続けていると、
自分の考えが間違っていないと思い込んでしまう

年をとって人里離れた所で農業を営んでいる。
いつもと同じ農作業の途中でいつもと同じ事を僕が話しだす。
『僕は一体何ものなのか』もう何千回も聞いた同じ話を、
一回目と変わらず微笑みながら君が聞いている。
それが幸せだと思ったので入籍しました。
お互いがお互いであるだけで、......

子どもの頃から「絶対に負けられない戦い」を覚えてしまうと、
勝てる試合しかしなくなり、
結果、
勝負弱い人間ができあがってしまう

夢は持ったほうがいい。
たぶん叶わないけど

努力こそが勝利への道。
そう考え続けてきましたが、
才能や運が占める比率が高いと感じ始めました。
どれだけ努力しても勝てない選手がいる。
なぜ自分はトップになることができたのか。
社会に対してどんな役割を果たすべきなのか。......

一人で生きてきたわけではありません。
多くの方に支えられて、
競技を続けてきたんです。
とくに、
母の後押しには感謝しています。
私の人生で、......

人の真似をしている限り、
残念ながら、
ずっと2番手のままだ

私にとって大きな存在だったのがライバル選手でした。
競技に限らず、
社会において敵との戦いは存在します。
心の中では、
「ライバルなんて現れない方がいい」と思っていました。
「こいつがいなければ、......

僕がハードル選手になったのは、
その才能に注目されたからでも、
ハードルが大好きだったからでもない。
自分が活躍できそうだったから。
もっといえば、
勝てそうだったから

ほとんどの夢は叶わないし、
ほとんどの人生は負けで終わる。
「夢は叶う」は叶った人だけが言えるだけで、
叶わなかったほとんどの普通の人はそうは言えない。
とすれば、
「夢が叶わない現実」の中をどう生きていくか

全体のバランスで見始めると、
欠点が欠点だけで存在しているのではなく、
長所とセットになっていることがほとんどだった。
欠点には「存在する理由」があったのだ

結果がすべての世界で生きていると、
自分への要求はどんどん高くなっていきます。
すると、
満足できるレースがどんどん減っていく。
そのなかで頑張るのは苦しい。
1、......

教員の倫理観がおかしくなっているとして、
そのペースとほぼ同じで親になる世代の倫理観もおかしくなっていると思う。
家庭で出来ない事が学校で出来るわけが無い

成功者の言葉しか残らないから『やればできる』が格言になる

批判は攻撃だから反撃しやすいけれど、
期待は応援だから無視しにくい。
僕はいつの間にか人から期待されたい「いい人」になっていて、
その自分を見てファンになった人の期待に答えるために、
さらに「いい人」を演じていた。
本当の自分は違うのに、......

スポーツ選手の場合、
メダルを獲るまではモチベーションについてあまり悩む人はいません。
ところが、
2個目のメダルを目指すとなると話が違ってきます。
「メダルを獲れば安泰」というほど、
人生はシンプルではないことが実感されるからです。......

自分の競技人生がいつか終わると強く意識した日から、
目の前の景色が変わって見えた

僕が「一番」に興味があるのは、
絶対に獲らなければならないものとして存在しているからではない。
一番以外を否定しているわけでも、
もちろんない。
何というか、
一番を目指していないと、......

世界をみても、
34歳のハードラーはなかなかいません。
しかも、
僕が27歳で銅メダルを獲ってから7年も経っていて、
僕がロンドン五輪でメダルを獲るとは、
誰も期待していない。......

結果に依存しすぎると、
人生なんてほとんど意味がなくなってしまう。
(中略)敗北感を感じないようにするのは無理かもしれないけど、
結果とは関係なくプロセスの中にいかに喜びを見いだすかは、
大きな知恵だと思う

成功というものは、
確かなもの、
確定したものではないと思います。
というのは、
うまくいっていた人生が、
最後の一日で全部ひっくり返って失敗することもありうるからです。......

僕の競技者としての人生は失敗でしたが、
人生はサドンデスのトーナメント戦ではなくリーグ戦です。
僕にとっては、
もう次のシーズンが始まったので、
ここでまた勝負して、
死ぬ瞬間にどう思えるかが大事だと思っています

僕としてはインパクトを与えることで人々の意識を変えたい。
常識が変わる前には、
必ず何らかのインパクトが関わっていると思います。
とにかく意識が変わるようなことを起こし続けることが大事です

引退後のアスリートが不幸に見えてしまうのは、
分かりやすい成功のイメージのみが残ってしまい、
ついうしろを見ながら生きていくからです。
これは元アスリートが抱える切ない問題で、
どうしても「(現役時代の)あのとき」に縛られてしまうんですね

僕がとても好きな言葉は「自在でありたい」というものです。
競技者だったころから、
その通りだなと思っていました。
特に僕は社会の目から自在でありたい。
元アスリートの話を聞いていると、
なかなか目標を切り替えられない人が多いのです。......

自分や自分の観点が「小さく思える」ような体験をしよう

たとえば僕が会社をひとつ上場させて名誉職にでも就けば、
周囲は「あの人は成功した」と思うでしょう。
一方で、
これもたとえ話ですが、
ウガンダに行って陸上の普及に人生を賭けたものの最後に銃殺されてしまえば、
「あの人は失敗した」と言われるかもしれません。......

陸上競技はやはり「勝つことすなわち金メダルを獲ることが成功」というのが一般的な認識になる。
その意味では、
世界陸上選手権で3着どまりだった僕の競技者としての人生は、
失敗だったのだと思います。
でも、
そのこと自体に後悔はないし、......

謙虚になろうとしてるなら今の自分は果たして謙虚なのか?
なってないから人はなろうとする事ができる

私は34歳で現役を引退するまで、
「足が速い」という価値基準にしばられてきましたが、
引退後に出会ったさまざまな業種の人たちは、
当然ですが別の価値観を持ち、
それぞれが輝いていました。
思っていたよりも世界は広い。......

人は子どもの頃、
他人が自分をどう扱ったかで自分の扱い方を学ぶ。
そして大人になったら自分で自分をどう扱ってるかを見て、
他人はあなたの扱い方を決める

生きる事に意味は無いと言う事がなぜ言い憚られるか。
それは意味が無いものは存在してはいけないとどこかで皆が思っているから。
だから意味があると言う

私は100メートル走からハードル競技に転向しました。
世界ジュニア陸上競技選手権大会に参加し、
世界のトップレベルを肌で知ったことが一番のきっかけでした。
「このまま100メートルで勝負を続けたら、
日本では勝てても、
世界でメダルに届く可能性はゼロに近い」そう痛感したのです。......

意味は区切らないと存在できない。
それが意味があるかどうかは、
時間と空間を区切って初めて存在し得る。
時間軸を無限に伸ばせばいいも悪いも無くなり、
故に意味も無くなる

成功体験の鍵は挑むと自分で決めたかどうか。
自分ではなく親や他人が望む挑戦は成功しても虚しい

為末 大(ためすえ だい、1978年5月3日 - )は、広島市佐伯区出身の男子元陸上競技選手。400mハードル日本記録保持者で、現在はスポーツコメンテーター・タレント・指導者などで活動中。株式会社R.project取締役。株式会社侍 代表取締役。