名言大学

『緊張感に勝つ』ことは自分に勝つことでもあり、
達成感が得られる瞬間なんです

(車いすテニスを始めて1年目の中学1年生のときを振り返って)1回戦で負けたのが悔しくて、
そのときから練習に対する取り組み方 が変わりました。
でも、
負けはしたけれど、
『試合って面白いな!』と目覚めた瞬間です。
ぼくは、......

気づいたことを書きとめると、
自分が今何をすべきかが見えてきて、
自分自身と対話しながら練習することができます。
それ に試合前に読み返すと、
自分なりに成長していることが実感できるんですよ

気持ち的に以前と違うのは、
試合で〈勝つこと〉への執念ですね。
『自分は勝ちへの執念が世界で一番強い』と思っていましたが、
もっと強くなりました(笑)。
プロとして自 立するには自分を追い込んでいかないといけないし、
今は勝ちに対する執念がプラスに作用していると思います

壁にぶち当たったり、
一進一退を繰り返したときも『絶対に乗り越えられる!』と自分を信じれば、
いい方向に行けると思うんで す。
気持ちのうえでダメだと思ってしまうと結果にも影響するので、
いい方向に進んでいくためにも、
〈プラスのイメージ〉を積み重ねることを大切にしています

(苦しい場面にあった時について語った言葉)北京のパラリンピックを乗り越えるときのほうが苦しかった

やはり毎日の練習は自分を支えてくれる糧ですね。
あれだけ頑張って練習してきたじゃないか!絶対に勝つ!と、
自分を信じることが武器になります

(車いすテニスを始めた当時を振り返って)母にすすめられたものの、
最初はあまり乗り気じゃなくて・・。
でも、
ラリーが続くのを見た瞬間、
『自分もやってみたい!』と、
胸が躍りました。......

与えられた命なんだ。
どんな時も諦めずに生きていこう

『体育や野球ができなくなっちゃうな』と思ったけれど、
車いすになったからと落ち込んだり、
自分の将来を悲観することはなかったです。
これは友だちに恵まれたおかげですね。
放課後は友だちと遊び、
『毎日が楽しくて仕方がない!』という 生活を送っていましたから

連続ポイントを取られると不安になりますが、
『オレは最強だ!』の文字を見ると〈自信を持っている自分〉になれる。
メンタル トレーニングを積むことによって、
気持ちの切り替えができるようになりました

練習というのは時間より質が重要なので、
『自分は今100%集中しているか?
』と、
常に自分に問いかけながら練習しています

ぼくは9歳の時、
脊髄腫瘍で車いすでの生活になりましたが、
その前まで野球やバスケットボールをやっていました。
実はテニスにはそれほど興味もなく、
バスケットボール部だったことと漫画が流行っていて、
車いすになってもバスケットボールをしようと思っていたのですが、......

ぼくが試合中に『幸せだなあ』と実感するのは、
観客のみなさんから声援をもらったとき。
自分のプレイの一つ一つに歓声が起きると力がわいてきて、
選手にとってこんなに気持ちよいことはないですよ。
『よし、
もっといいプレイをしよう!』と励まされます

メンタルの安定性とか、
技術がひとつ優れているとか、
そういった小さいことの積み重ねで勝ってきたと思ってるんです

パラリンピックで金メダルを獲っているという経験は、
何事にも変えられないと思うんです。
たとえ調子が悪くても、
勢いある奴がいたとしても、
ディフェンディングチャンピオンというだけで相手にとっては脅威になると思いますから

迫ってくる選手への危機感はもちろんあります。
今年の全米も、
相当アグレッシブなプレイをすることになると思います。
実際、
(彼らとプレイして)試合のスコア上では大きな差がついていても、
内容としてはほとんど差なんてないんです

すごく基本的なことなんですが、
まずは一球に全力をかけてプレイすることが勝利への近道だと改めて気づきました。
それをフレンチオープンで心がけた結果、
新境地が開けたと言っていいくらいの会心のプレイができました。
とくに決勝のシェファーズ戦で勝ったのが大きかったですね。
一度負けたあとの試合は、......

いつも負けを覚悟していますよ。
そうでないと、
練習にも身が入らないし、
もっと伸ばそうと思えないですから

詰め切れないのは、
まだやらなきゃいけないことがあるということ

やっぱり地位を守ろうとしすぎているのかな、
という感覚が自分のなかでありました。
もちろん、
自分のテニスを改善することには挑戦してるんですが、
試合のなかでは挑戦者ではないような気がしました。
そういう意味では、......

(敗戦の直後の言葉)自分の納得できるプレーややりたいプレーではなく、
最近は “負けないテニス をしていた

(好きな言葉「挑戦」について)これに尽きます。
常にチャレンジを意識し、
決断、
行動してきたし、
これからもしていく

世間の目が僕に向いているうちにプロとして活躍することで、
僕の後に続く世代に道ができる

目標はリオパラリンピックで金メダル。
もちろん東京パラリンピックでも活躍することです。
そして東京では車いすテニスをもっと盛り上げ、
魅力を感じてもらい有明のコートを1万人の大観衆で埋め尽くし、
プレーで魅せたいですね

世界を目指す人たちは誰もが負けず嫌いですが、
その中でもさらに負けず嫌いじゃないと勝てないんですよ

例えば僕の活動がメディアにたくさん取り上げられれば、
やってみたいという人が増えて車いすテニスを盛り上げることができますし、
選手も活動に集中できる環境が整うことにつながっていくと思うんです。
その分、
ぼくは成績を出し続けていかないといけないし、
勝利を重ねることが使命だと意識しています

ただではコートに戻りたくなかったので、
ボールを打てない分、
体を鍛えた。
体の強さは過去にないくらいのレベル。
あとはプレーの感覚が戻れば。
一歩ずつ進んでいると思う

(日本人初のプロ車いすテニスプレーヤーになったことについて)なんでも挑戦してみようというよりは、
後に続く人の目標をつくりたいという想いが強かったですね

何万本も打ってきた

車いすテニスを通して学んでいることはとても大きいと思います。
それは「人間やってみないとわからない」ということ。
最初、
世界トップのプレーを観たとき「これはかなわないな」と思いました。
でも今振り返れば、
当時の努力は生温いものだったと思います。......

両親に不幸を嘆いた記憶はない。
そのまま一生、
車いす生活になるという意識がなかったのかも

(プロ契約した時の言葉)厳しいことはわかっている。
しかし、
それを成し遂げられたら障がい者スポーツ界に携わる方々に夢を与えられるのではないかと思っている

私がプロとしてやり遂げられたら、
障がい者スポーツに携わる多くの方々に夢を与えられる。
障害を持っている子供たちに『車いすテニスプレーヤーになりたい』と夢を持ってもらえる

車いすテニスって面白いと感じてもらいたい。
だから、
勝つだけでなく、
魅せながら勝つテニスをしていきたい

テニス一本で生活するのは厳しい道と覚悟している

北京での金メダル以来、
テレビで大きく取り上げられるようになり、
車いすテニスがスポーツとして多くの人の目に触れるようになったことで、
車いすテニスや障がい者スポーツの普及と発展のため、
プロ転向を決意した

賞金の差以上に、
一般のテニス人口と車いすテニス人口の差もすごいですし、
しょうがないかなと思います。
Gスラムに車いすテニスが入り出したのも最近ですし。
歴史は浅いですからね。
賞金に関しては、......

家に帰ると妻がいるので(当たり前ですが)、
それがなんとなく不思議な感じ

一球に全力をこめる

やはり毎日の練習は自分を支えてくれる糧ですね。
あれだけ頑張って練習してきたじゃないか!絶対に勝つ

チャンピオン、
金メダリストとしての存在感を磨きながら、
あえて挑戦者でいることが必要かなと思います。
守りに入るのが一番危ないので、
自分自身に対しても挑戦者であること。
その意識を大切にしていきたいと思っています

壁にぶち当たったり、
一進一退を繰り返したときも『絶対に乗り越えられる!』と自分を信じれば、
いい方向に行けると思うんです

国枝 慎吾(くにえだ しんご、1984年2月21日 - )は日本のプロ車いすテニス選手。ユニクロ所属。

グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多となる計47回(シングルス26回、ダブルス21回)優勝の記録保持者。年間最終世界ランキングでは1位を8回記録している。

シングルスでは、年間グランドスラム(3冠)を計5回達成し、ダブルスではキャリアグランドスラムと4大会連続優勝を果たしている。

パラリンピックでは、金メダルをシングルスで3個、ダブルスで1個獲得している。

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