人物
詩人にとって最大の悲劇は、
誤解によって賞嘆されることだ
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
私が猫好きなのは、
家で過ごす方が好きだからだ。
そして次第に、
猫が家の一部に思えてくる
芸術は醜いものを生み出すが、
しばしばそれは時とともに美しくなる。
一方、
流行は美しいものを生み出すが、
それは常に時とともに醜くなる
美はざっと見てもわからない
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。
植物が園芸を語れないように
もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、
それは警察猫というものがいないからである
ゆっくり急げ。
美よりも速く走れ
青年は決して安全な株を買ってはならない
先に見出し、
後に捜し求めよ
スタイルとは、
複雑なことを表現するための簡単な方法だ
芸術は、
意識と無意識の融合である
批評家は常に比較する。
比較できないもの、
つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、
時代は芸術作品の後ろでもたもたしている
芸術に従って芸術を作ってはならぬ
とどのつまり歴史とは何か?
歴史とは伝説と化した事実であり、
伝説とは歴史と化したウソである
本物の涙は、
悲しい一ページからではなく、
見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
侮辱に悪影響を受けるのは、
侮辱に感染しているのだ
我々は自分の内に天使をかくまっている。
我々はこの天使の保護者でなくてはならない
詩人は賞賛など求めてはいない。
信じてもらいたいだけだ
詩人は未来を回想する
大胆のコツは、
度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである
ユーモアを失わないように戦うのだ。
ユーモアの欠如は愚の骨頂だ
手には、
物を掴む手と放す手がある
詩はなくてはならないものだ。
ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
人は生涯、
同一水準の作品しか書けない
若いとき旅をしなければ、
老いてからの物語がない
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
沈黙は絶叫よりも恐ろしい
文学の偉大なる傑作とは、
使えない辞書のようなものである
神童。
それは多くの場合、
非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
ジャン・モリス・ウジェーヌ・クレマン・コクトー (Jean Maurice Eugne Clment Cocteau フランス語: , 1889年7月5日 - 1963年10月11日) は、フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行っており、その多彩さから「芸術のデパート」とまで呼ばれた。自身は中でも詩人と呼ばれることを望んだという。ダダやシュルレアリスムと相互影響はあったと考えられるが、自身は直接は運動に参加せず、むしろ対立も多かった。