名言大学

萩市って財源の約80%か、
もしかしたら関連会社含めると100%近くが、
観光か水産に関わっているんです。
萩大島船団丸は、
まき網漁をやっていて、
それが萩の市場の約66%を占めていました。......

(山口の萩について)自分にとっては「たまたま行った場所」でしたが、
子どもにとってはやっぱり「故郷」なんですよね

時代の流れとか、
環境のせいにして言い訳している人たちも結構多いと思うんです

自分の花を咲かせる

橋もなく、
下水整備もされていないこの田舎の島で、
漁業者が、
鯵と鯖だけでこんなに生き返ったよー!って

地方の豊かな文化を再度移植して、
日本の活性化を図っていくことが、
「地方創生」だと捉えているんです。
ここ4年ほど「地方創生」って言葉がでてくる前から、
ずっとそう考えてやってきました。
「地方再生」っていう言い方のほうが好きですけど

萩大島は、
時代の流れからは遅れているかもしれないけれど、
日本が失ってきた豊かさをまだ持っている島なんです

きっかけは「このまんまじゃ生きていけないし、
厳しいから」という漁師たちの声からのスタートだったんですが、
「でもちょっと待てよ。
実は何もないと思っていても、
うちらすごい豊かなんじゃないの?
」って視点の切り替えをさせてもらえました

自分の責任の元で自分らしく生きること。
たとえ明日死んでも後悔のない生き方をしていく

1年ちょっと過ぎたくらいから、
出荷がある程度増えてきました。
それが落ち着いた頃に、
従業員を順番に東京に連れてきて、
お客様と引き合わせ始めたんですね。
そしたら、......

鮮魚を船で箱詰めしてお客さまに出荷するのに、
「なんでこんなことを自分達がしなきゃいけないんだ!」って反発する漁師たちに、
「なんで今回こういうトラブルになったのか」みたいな話をこんこんとしながら、
漁師とともにジャージと携帯電話に囲まれて過ごす1年半くらいでした

最初は出荷した数だけクレームが返ってくるような、
クレームの雨嵐の毎日でした

立ち上げ当初は、
携帯を5台持って全部にキャッチフォンを契約して、
あとタブレットとファックスとで、
1人事務所状態。
電話はもうずっと鳴りっぱなし

もともと自分が「やれる」っていう責任を持って事業計画を書きましたし、
他の方がやらないなら「じゃあ、
やりましょうか!」って感じでした

格好も、
ジャージにスニーカーや長靴じゃなくて、
スーツなんか着てる日には「お前はやる気がない!ジャージは正装だ!」って言われるんですよ。
だから、
ジャージを山ほど買いました。
言葉使いも標準語だと「おまえ、......

最初は、
私、
魚を触ったことすらなかったんです。
それをさばいたり、
活け〆したり、
箱に詰めて、......

よそ者で水産の知識も経験もなく入ったから良かったのかもしれないですね

3年前は、
「うちが厳しいのに、
なんでよそを助けるのか?
」といった、
自分のところさえ良ければみたいな考え方だったんですよ。
基本的に漁師って漁場を取り合う人たちですから、......

はじめはみんなに「絶対あり得ない」って言われていたけど、
改めて設立当初から考えていた「法人成り」をしたいと伝えたんです。
水平展開をして、
全国の浜と手を取り合っていかないかって

自分が一番大きな大風呂敷を広げてやるっていうか、
ビジョンとか目線を広く持って、
従業員もなるべく広く、
広く、
引っ張ってあげる

網1枚は5,000万円するので下手したら廃業なんですよ。
「廃業かも?
」とも思いますけど、
そこは経営者が言っちゃダメなところですよね。
でも、
「大丈夫、......

意識改革って、
「視野を広げること」かなって思うんですよね

私が、
従業員に「お客様の目線、
消費者の目線に立て」って言うのと同じように、
私自身が「彼らの目線に立つ」っていう部分は、
努力したところかもしれないです

日本から天然魚の漁獲が100%なくなるかもしれないよ。
今あることを当たり前と思っちゃいけないよね

私がこういう風にいろんなところに出続ける理由は、
4年前から日本の水産が急激に落ち込んでいるからなんです

父が自営業をやっていたこともあって、
物心ついた頃からいつか起業したいと思っていました。
ただ、
やるんだったら、
「血の通った商売がしたい」と

萩大島は全国の水産業界からみても、
条件的に厳しいところなんです。
お金の流れもシステムも、
古くからのしがらみが多いですし、
鯵と鯖しか捕れない

刺し盛りの美しい日本の食文化が、
50年後も健在であること。
それが、
私が目指していることです

ただ生きているだけでも、
何かを食っているのが、
我々じゃないですか。
だったら何かを産み出す努力をしなければ、
プラマイゼロにすらならないよねって思う

ぶつかっても、
困ったときに手を差し伸べてあげられるのが、
本当の優しさだと思っているんです。
本当に困っている時に「何もしてあげれない」って言うよりは、
「ほらね、
だからこっち行こうよ!」って導いてあげられるのが本当じゃないかって

やっぱり働いている人たちが元気になる商売じゃないと

都会の企業と同じように、
常に右肩上がりで規模の拡大をしていくことを目標とするのは、
私のコンセプトに合いません

子供の頃からずっとあった「働くために生きるのか、
生きるために働くのか」という問いを抱きながら結婚して、
後に萩に来て、
「ああ、
ここだ。
ここなら私が目指してきた経営ができる」と思ったんです

内定の一歩手前で体を壊して、
そこで人生考えたんです

どうすれば(顧客と)トラブルなく対応できるか、
漁師が自ら学ぶ必要があった

私がやるべきことは、
何を置いても顧客開拓でした

私を突き動かすのは、
危機感です

私たち一次産業は本当に大きな可能性を秘めています。
その花を咲かせることで、
私自身の人生の花も咲かせていきたいと思います