ホーム
ホーム
特集
特集を見る
名言
名言を見る
名言一覧
アニメ・漫画
スポーツ
ポジティブ
人生
努力
教訓
Youtuber
勇気
逆境
哲学
愛
幸せ
勉強
社会
成功
死
女性
金
夢
面白い
仕事
学び
行動
オリンピック
人物
人物を見る
人物一覧
アニメ
スポーツ選手
サッカー選手
Youtuber
女性
作家
経営者
俳優・女優
アメリカ
芸能人・タレント
歌手
芸人
政治家
哲学者
宗教家
イギリス
医者・看護師
ジブリ
フランス
芸術家
思想家
検索
検索
名言大学について
概要・理念
運営会社
サイトマップ
プライバシーポリシー
名言・人物を検索
HOME
アニメ・漫画
スポーツ
ポジティブ
人生
努力
教訓
Youtuber
勇気
逆境
哲学
愛
幸せ
勉強
社会
成功
死
女性
金
夢
面白い
仕事
学び
行動
オリンピック
名言
チームとして、やりきった。
力は出し切りました
五郎丸歩
名言カテゴリ
#ラクビー
五郎丸歩
五郎丸 歩(ごろうまる あゆむ、1986年3月1日 - )は、日本の男性ラグビーユニオン選手である。
人物カテゴリ
#ラクビー
五郎丸歩の名言
なかなか、日本人はプレーを褒めないんですよ。でもエディーさんは、いいところはいいとすぐ、言ってくれる。それって、いいなあって。だから、ぼくも練習中、いいプレーは褒めるようになりました
1年中、休みなく、ラグビーをしているからじゃないですか
チャレンジャーらしい戦いができました
激しくありたい
道は険しく、心折れそうになったなった時期や、自分が選んだ道が正しかったのかと不安になる時期。そんな先の見えない道を、仲間がいてサポートしてくれる人がいてくれたからこそ一歩一歩前へ進めてこれたのだと思います
やっと頂点に立つことができました
W杯に出られなかったのも、自分にとっては必要な時間だったと思います
僕は社員としてラグビーを続けることを選びました
ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ
みんなが4年間ハードワークした結果だと思います。仲間を信じてやってきてよかったです
まだ序章にすぎない
ラグビーに奇跡なんてない
もっと見る
HOME
/
五郎丸歩
/
チームとして、やりきった。力は出し切りました
関連人物
リーチマイケル
#ニュージーランド
#ラクビー
堀江翔太
#ラクビー
清宮克幸
#ラクビー
池透暢
#ラクビー
平尾誠二
#ラクビー
#監督
ジェイミージョセフ
#ニュージーランド
#ラクビー
エディージョーンズ(ラグビー指導者)
#オーストラリア
#ラクビー
山口良治
#ラクビー
関連名言
「お父さんのようになりなさい。」 「お母さんのように生きなさい」と言える大人が、どれだけこの今の日本に いるでしょうか。まずは私たち大人が、自分に矢印を向ける勇気を持たないと、これからもっと荒廃が進むことでしょう
強いというのは『優しさ』があるということ。子どもが問題を起こすまでには必ず『過程』がある。どんな時も子どもをありのままに受け止めるように心掛けてきた
私はいろんな子どもと出会ってきましたけど これが俺の弟だったら、俺の息子だったら、っていう気持ちで接してきましたから 一生付き合うぞ、っていう気持ちがなかったらそんなことはできなかったです
山口良治監督の練習は並みのキツさではありませんでした。あの練習を我慢できたら、世の中でおこる大抵のことが我慢できるという位のキツさでしたね
夢を持つことはすごい大事で、一番持ってほしいのは目標
ジャパンでは、朝5時から練習するときもあります。4時に起きて、4時半スタートもある。スクラム、ラインアウトやって、チーム練習やって、ウエイトやって、スキルもやって…。1日、3回も4回も、セッション(練習)をやってきました。僕は絶対、グラウンドに立たないといけない。ケガをする暇もない
人間は練習に対して、やりたい量とやらなくてはいけない量のバランスがあって、やりたい量が多い時は、いくら練習をしても足りない位に感じるのですが、やらなくてはいけない量がそれを圧倒的に上回ると、気持ちはなえるんですよね
19歳の時に友達と一緒に乗っていた車が街路樹にぶつかって燃えて・・。炎の中を助け出してくれた人がいたことで、今がある。友人は3人亡くなりました
まずは何事も挨拶から始まり、常に大きな声で挨拶をし自分の存在感を持っていれば、ここ最近起きている悲しい事件も減っていく
早稲田の監督になったとき、それまで夜の10時過ぎまで毎日練習していたのを2時間に短縮しました。当時の早稲田は、勝つための練習ではなく、「早稲田のラグビー」という曖昧模糊としたものを身につけるための練習、すなわち目的が不明瞭な練習を必死にやっていました。だから、長時間の練習にもかかわらず、結果が出ていなかったのです
(『山下組』13年ぶりの大学日本一になった年について)してやったりという感じもあるけれど、何より勝つチームがやるべきチャレンジを続けた1年。あの年は色々なチャレンジをしたじゃない。春にヘンリー、ヤングをコーチとして呼んだり、東伏見のさよならイベントをやったり、アディダスジャパンとパートナーシップ契約を結んだり。何事にも挑戦する姿勢が、チームにも伝播して、勢いがついて、今年は俺たちが勝つんだ、誰もがワセダが勝つと感じる雰囲気を作った。そういう1年だったと思います
お母さんがラグビー大好きで、(家の)近くのクラブに無理矢理入れられました