名言大学

親鸞の場合は「ハラを立てる、
欲をおこす、
ウソを言う」あらゆる「煩悩」を「悪」とも言うのですよ。
言うというより、
「悪」と・・

世の中のことは、
なるようにしかならぬが、
また、
なるようになってゆくものであります。

「生きてる価値」を感じるような生き方の型が、
一定して客観的にあるのではなく、
「生きてる価値」とか「生きる意義」とか、
「・・

「人はなんで生きるのやろ」、
これについては、
ムー(無相)にはわからんのですよ。
本当は、
生きてるから生きてるので、
別に意・・

そのままと仰(おお)せらるるに、
そのままになろうと、
かかり、
ひとり苦しむ。

人間、
生きてるだけで生きてる「価値」ありであるまいか。
ギリギリのところでいえば。

「生きてる価値」があってもなくても、
こうでなければ生きられないのが、
私の現実です。

人間が価値的に生きるには、
問題とか、
苦悩が大切と思うことです。
苦悩するところに「人間」がある。
もちろん「楽」もあるが、
・・

「生きている価値」といったことは、
客観的に「これこれのことをしたら生きてる価値がある」というふうに決められるものであろ・・

仮面かぶっているので、
皆さんよくしてくれるが、
ほんとのことわかったら皆逃げ出すでしょう。
来なくなるでしょう。
しかたあり・・

浄土真宗というようなものは、
あらゆる、
勇ましい宗教のおちこぼれのための「宗教」といっていいのです。

花も草も虫も、
ライオンも、
皆、
意味なしに、
生きてるんでないでしょうか。
そして、......

一期一会の みんなかなしく なつかしく

今 今 今 たった今死んでも 生き甲斐あったか

普通の人間は、
自分のため、
といった自己中心的な生き方しか、
普通には出来ないのではないだろうか。
たとえ、
そうした生き方は・・

ご縁 ご縁 みなご縁 困ったことも みなご縁 南無阿弥陀仏に 遇うご縁

みんな死ぬる 人とおもえば なつかしき

常に凡夫は(己れを)「及第」の身としたがってならず、
それを常に「落第」の身と知らしめてやまざる常否定の智慧(ちえ)こそ・・