名言大学

目になれし山にはあれど 秋来(く)れば 神や住まむとかしこみて見る

いつしかに 情(じやう)をいつはること知りぬ 髭(ひげ)を立てしもその頃なりけむ

大(おほ)いなる彼の身体(からだ)が 憎(にく)かりき その前にゆきて物を言ふ時

かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど

明日は何を為すべきか。
これは今日のうちに考えておかなければならぬ唯一のものである。

ゆゑもなく憎みし友と いつしかに親しくなりて 秋の暮れゆく

大(だい)という字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来(きた)れり

わが去れる後(のち)の噂(うはさ)を おもひやる旅出(たびで)はかなし 死ににゆくごと

負けたるも我にてありき あらそひの因(もと)も我なりしと 今は思へり

この次の休日(やすみ)に一日寝てみむと 思ひすごしぬ 三年(みとせ)このかた

旅七日(なのか) かへり来(き)ぬれば わが窓の赤きインクの染(し)みもなつかし

あらそひて いたく憎みて別れたる 友をなつかしく思ふ日も来(き)ぬ

こころよく 人を讃(ほ)めてみたくなりにけり 利己の心に倦(う)めるさびしさ

ふるさとの訛(なまり)なつかし 停車場(ていしやば)の人ごみの中に そを聴きにゆく

いと暗き 穴に心を吸はれゆくごとく思ひて つかれて眠る

人並の才に過ぎざる わが友の 深き不平もあはれなるかな

汽車の旅 とある野中(のなか)の停車場の 夏草の香(か)のなつかしかりき

よりそひて 深夜の雪の中に立つ 女の右手(めて)のあたたかさかな

治(をさ)まれる世の事(こと)無さに 飽きたりといひし頃こそ かなしかりけれ

とかくして家を出(い)づれば 日光のあたたかさあり 息ふかく吸ふ

新しき本を買ひ来て読む夜半(よは)の そのたのしさも 長くわすれぬ

ふるさとの土をわが踏めば 何がなしに足軽(かろ)くなり 心重(おも)れり

ふるさとに入(い)りて先(ま)づ心傷いたむかな 道広くなり 橋もあたらし

さりげなく言ひし言葉は さりげなく君も聴きつらむ それだけのこと

よごれたる足袋(たび)穿(は)く時の 気味わるき思ひに似たる 思出(おもひで)もあり

あまりある才を抱(いだ)きて 妻のため おもひわづらふ友をかなしむ

腕(うで)拱(く)みて このごろ思ふ 大(おほ)いなる敵(てき)目の前に躍(をど)り出(い)でよと

さびしきは 色にしたしまぬ目のゆゑと 赤き花など買はせけるかな

長く長く忘れし友に 会ふごとき よろこびをもて水の音聴く

鏡屋(かがみや)の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩(あゆ)むものかも

へつらひを聞けば 腹立(はらだ)つわがこころ あまりに我を知るがかなしき

とある日に 酒をのみたくてならぬごとく 今日(けふ)われ切(せち)に金(かね)を欲(ほ)りせり

何がなしに 頭のなかに崖(がけ)ありて 日毎(ひごと)に土のくづるるごとし

かなしきは 飽(あ)くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり

石ひとつ 坂をくだるがごとくにも 我けふの日に到り着きたる

二日(ふつか)前に山の絵見しが 今朝になりて にはかに恋しふるさとの山

ゆゑもなく海が見たくて 海に来ぬ こころ傷(いた)みてたへがたき日に

いくたびか死なむとしては 死なざりし わが来(こ)しかたのをかしく悲し

青空に消えゆく煙 さびしくも消えゆく煙 われにし似るか

何がなしに 息きれるまで駆け出してみたくなりたり 草原(くさはら)などを

気の変(かは)る人に仕(つか)へて つくづくと わが世がいやになりにけるかな

山の子の 山を思ふがごとくにも かなしき時は君を思へり

わが抱(いだ)く思想はすべて 金(かね)なきに因(いん)するごとし 秋の風吹く

われは知る、
テロリストの かなしき心を―― 言葉とおこなひとを分ちがたき ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに ・・

東海(とうかい)の小島(こじま)の磯の白砂(しらすな)に われ泣きぬれて 蟹(かに)とたはむる

わが家と呼ぶべき家の欲しくなりて、
(中略)場所は、
鉄道に遠からぬ、
心おきなき故郷の村のはづれに選びてむ。
西洋風の木造の・・

打明けて語りて 何か損(そん)をせしごとく思ひて 友とわかれぬ

うぬ惚(ぼ)るる友に 合槌(あひづち)うちてゐぬ 施与(ほどこし)をするごとき心に

わがこころ けふもひそかに泣かむとす 友みな己(おの)が道をあゆめり

白き蓮(はす)沼に咲くごとく かなしみが 酔ひのあひだにはっきりと浮く

石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は、岩手県出身の日本の歌人、詩人。本名は石川 一(いしかわ はじめ)。