名言大学

涙をもってパンを食うた事のない人の人生観は、
いかほど価値のあるものであろうか。

世の中には、
往々、
何故(なぜ)に宗教が必要であるか、
などと尋ねる人がある。
しかし、
かくの如(ごと)き問いは、......

苦悩なき者は深き精神的趣味を理解することは出来ない。

罪を知らざる者は真に神の愛を知ることは能(あた)わず。

罪は憎むべきものである、
しかし悔い改められたる罪ほど世に美しきものもない。

宗教は己の生命を離れて存在するのではない。
その要求は、
生命そのものの要求である。

真摯(しんし)に考え、
真摯に生きんと欲する者は、
必ず熱烈なる宗教的要求を感ぜずにはいられないのである。

善は即(すなわ)ち美である。

物を知るにはこれを愛せねばならず、
物を愛するにはこれを知らねばならぬ。

人間は神にもなれずさりとて悪魔となりて満足することもできず、
つまり五里霧中に彷徨(ほうこう)する哀れな生物である。

物を知るには、
これを愛さねばならず、
物を愛すには、
これを知らねばならない。

ただ一つの思想を知るということは、
思想というものを知らないというに同じい。

何故(なぜ)に宗教が必要であるか──かかる問いを発するのは、
自己の生涯の真面目ならざるを示すものである。

罪悪、
苦悩は人間の精神的向上の要件である。

我々が物を愛するというのは、
自己をすてて他に一致するということである。

人は人 吾(われ)はわれ也(なり) とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり

愛は統一を求むるの情である。
自己の統一の欲求が自愛であり、
自他統一の欲求が他愛である。

生命なき事業はヴァニチー(虚栄)であり、
生命なき道徳は偽善である。

知識に於(お)いての真理は直ちに実践上の真理であり、
実践上の真理は直ちに知識に於いての真理でなければならぬ。

花が花の本性を現(げん)じたる時最も美なるが如(ごと)く、
人間が人間の本性を現じたる時は美の頂上に達するものである。

一事を考え終わらざれば他事に移らず、
一書を読了せざれば他書をとらず。

人間というものは時の上にあるのだ。
過去というものがあってわたしというものがあるのだ。
過去が現存しているという事が又その・・

知と愛とは同一の精神作用である。

善とは一言で言えば人格の実現である。

西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日〈明治3年4月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉6月7日)は、日本の哲学者。著書に『善の研究』など。京都大学名誉教授。京都学派の創始者。学位は文学博士(京都大学・1913年)。