人物
世の中には、
往々、
何故(なぜ)に宗教が必要であるか、
などと尋ねる人がある。
しかし、
かくの如(ごと)き問いは、......
罪を知らざる者は真に神の愛を知ることは能(あた)わず。
罪は憎むべきものである、
しかし悔い改められたる罪ほど世に美しきものもない。
宗教は己の生命を離れて存在するのではない。
その要求は、
生命そのものの要求である。
真摯(しんし)に考え、
真摯に生きんと欲する者は、
必ず熱烈なる宗教的要求を感ぜずにはいられないのである。
善は即(すなわ)ち美である。
物を知るにはこれを愛せねばならず、
物を愛するにはこれを知らねばならぬ。
物を知るには、
これを愛さねばならず、
物を愛すには、
これを知らねばならない。
ただ一つの思想を知るということは、
思想というものを知らないというに同じい。
何故(なぜ)に宗教が必要であるか──かかる問いを発するのは、
自己の生涯の真面目ならざるを示すものである。
愛とは知の極点である。
我々が物を愛するというのは、
自己をすてて他に一致するということである。
人は人 吾(われ)はわれ也(なり) とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり
愛は統一を求むるの情である。
自己の統一の欲求が自愛であり、
自他統一の欲求が他愛である。
知識に於(お)いての真理は直ちに実践上の真理であり、
実践上の真理は直ちに知識に於いての真理でなければならぬ。
一事を考え終わらざれば他事に移らず、
一書を読了せざれば他書をとらず。
知は愛、
愛は知である。
善とは一言で言えば人格の実現である。
西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日〈明治3年4月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉6月7日)は、日本の哲学者。著書に『善の研究』など。京都大学名誉教授。京都学派の創始者。学位は文学博士(京都大学・1913年)。