名言大学

小説家、
詩人、
歌人、
俳人。
いずれ功名心の強い業突張りである。
人間の屑のようなやからである。......

いくら私小説と言うても、
やはり文学における「嘘」は必要なのである。

本を読むことには、
何か辛いものがある。
よい本はよい本なりに、
悪本は悪本なりに。
多分、
言葉の毒に中毒するのだろう。......

「人類の滅亡」を前提に生きなければならないということは、
言わば「時間の停止」である。

歓びを知らずに生涯をおえるひとはあっても、
苦しみを知らずにその生涯をおえるひとはない。

私は若い頃から多くの女と知り合ったが、
いまになって見ると、
まぐわいをしないで別れた女がなつかしい。
まぐわいをした上で別・・

地球温暖化、
資源枯渇、
環境破壊、
原子力発電の核燃料のごみは溢(あふ)れ、
それでもなお人は「空騒ぎ」を続けるであろう。
そ・・

いったん文学の魔に魅せられると、
先行き何の見込みもなくとも、
文学からは離れがたいのが現実であって、
そこに文学の恐ろしさ・・

休みの日は大抵は精根尽きて、
終日、
アパートで死人のように眠っていた。
併(しか)しこの死人はまた背広・靴を身に着けて、
「・・

文学とは「火」である。
ドストエフスキー、
カフカなどはまさに「火」である。
「火」の中に飛び込んだこともない者が、
「火にさ・・

人間の善には、
どんなに善人でも限りがあり、
併(しか)し人間の悪ぶりは底なしである。

愚か者、
悪人の方が、
偉人、
善人よりも深みがあるのである。

東京を古里にしている人がある。
東京は言う迄(まで)もなく日本の首都である。
併(しか)し私のような田舎者にとっては、
植民・・

よい風景とは、
歴史があって、
謂(いわ)れがあって、
個人的に強烈な思い出がしみ付いた場所である。
いくら美しい風景でも、
歴・・

私は乳繰り合うた上で別れた女には、
つねに罪悪感を持って来た。
併(しか)し肉体関係を持たずに別れた場合は、
罪悪感など一切・・

一体、
人生で一度挫(くじ)いて、
それを精神的に克服したなどと言える人が、
この世にいるのだろうか。
いるとすれば、
余程の悟・・

人生を棒に振る。
これが私の一つの理想だった。

無論、
小説を書くことも、
広告と同様、
騙(だま)しである。
併(しか)し広告の騙しは商品を売り付ける手段であるのに対し、
小・・

ほう、
あんた地道に働くんが、
厭(いや)なんやな。
人にお祝いの会して欲しい人なんやな。
芥川賞が欲しいんやな。
あんたは甲斐・・

言葉で何かを知ることは苦痛なのだ。
知らなければよかった、
と思うが、
私はどんどん知って行く。
それが私が生きるということだ・・

人間の三悪。
高い自尊心(プライド)、
強い虚栄心、
深い劣等感。

世の中には、
自分が近代人であることに得々としている人がいる。
私は、
厭だな、
と思う。
が、......

文学のほか一切を捨てて生きて来た。
無常(死)を感じたら、
文学をやる以外に、
生きる道はなかったのである。

作家は毒蛇になって、
人に咬みつかなければいけない。
咬みつかれた方は悲鳴を上げるだろう。
併(しか)しその悲鳴こそが、
小説・・

地方人はまだ地方にいる時は、
田舎者ではない。
東京に出て来て、
はじめて「田舎者」にされるのである。

自分が自分であることの不快、
これが私が書きたいことだ。

文学の本質が悪を書くものである以上、
書くことはそれ自体が悪であり、
あらゆる文学者はある意味で犯罪者、
言うなれば人非人(・・

人間の偉さ(崇高さ)には、
どんなに偉い人であっても限りがあるが、
人間の愚かさは底なし沼である。

私小説は自己曝露の文学である。
この場合、
自己曝露とは自己の周縁の他人曝露をもふくむ。

他人の評価の中で生きる人生。
厭(いや)だな、
と思うても、
これからは逃れられない。

貧しい人はお金をもらうと、
素直に嬉しいんですよ。

私小説は自己の存在の根源を問うものである。
己の心に立ち迷う生への恐れを問うものである。
そうであるが故に、
生への祈りなの・・

人の魅力は「生活の破綻」の臭いをさせているかどうかによって決まる。

四十六歳の夏、
私は血族の者から、
これだけは書いてはいけない、
と哀願されていたことを、
小説に書いた。
二十数年のためらいの・・

人間としてこの世に生まれて来たことが、
すでにそれだけで重い罪である。
私は言葉でそういう思想を語りたかった。
すると人は「・・

私はどうせ(作家という)蛇になるなら、
毒なし蛇ではなく、
毒蛇になろうと思うた。

人にとって大事なものは過去と虚栄である。

男と女の間に金が介在すれば、
純愛はない。

人の隠された本質は弱肉強食の畜生である。
牛や豚の屍体(したい)を「お肉」と言い換えて、
平気で喰(くら)うている畜生以上・・

自尊心、
虚栄心、
劣等感、
この三つは人生の癌である。

元を糺(ただ)せば、
私たちが所有している言葉は、
すべて他人の言葉である。
それをいつしか自分の言葉のように錯覚して、
人は・・

写真に写った人の姿は過去の影であり、
たとえその人がいまもまだ生きているとしても、
すでに死者となったその人である。

古来、
すべての青年は哲学を愛した。
併(しか)し、
その後の人生において、
哲学を実践した青年はだれもいなかった。
わたしはこ・・

私小説を書くことは罪深い振る舞いである。
悪である。
業である。
(中略)私のように毒虫のごとき私小説を書いていると、
まず一・・

人間性という言葉が、
随分よい意味に使われているが、
併(しか)し人間性の根幹の一つには卑劣さがふくまれているのではないか。

車谷 長吉(くるまたに ちょうきつ、1945年7月1日 - 2015年5月17日)は、日本の小説家、エッセイスト、俳人。本名は車谷 嘉彦。筆名の「長吉」は唐代の詩人李賀にちなむ。兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)出身。