名言大学

ピッチで指示を待ち続けていたら、
試合には負けてしまう。
私が望んだのは、
対戦相手のことを考え、
敵にとって危険な地帯へ進入していくプレーだ

いいチームとは、
実は、
大きな集合体(ビッグユニット)における、
小さな集合体(スモールユニット)が、
やるべき仕事を確実にミスなく成し遂げているチームなのだ

ピクシーことドラガン・ストイコビッチから、
「名古屋グランパスの選手が、
敗戦の後や満足のいく仕事をできなかった後でも、
まるで何もなかったような態度でいることが理解できない」という感想を聞いたことがある

二本足で日本に来たが、
杖をついて三本足で帰ることになるかも。
それだけ多く足跡を残したということなら、
私の財産はその杖だ

結局、
オランダは決勝まで進んだ。
彼らは、
相手を破壊するような汚いサッカーをすることもできる。
オランダは、
すべてを知っているチームだったのだ

サッカーは段階を踏んで進歩していかないといけない。
走ること、
戦術、
すべての面でそうだ

他人に責任を押し付けているならば、
サッカーという仕事をすることはできない

もしパラグアイに勝ちベスト8に進んでいたならば、
日本のサッカーは、
世界的ステイタスを手にして一歩前進どころか、
2キロ先に前進していただろう

ご存知かもしれないが、
監督時代の私は、
PK戦になるとロッカーへ引っ込んでいた

監督が現役のときはこうしたものだという話を聞くのを現役の選手は嫌がる。
そんな戦争前の昔話でしょ、
と。
・・・選手は昔話は嫌いなものだ

オランダ人は長身ではあるが、
肉体的な特徴や長所を含めて日本人に近い。
日本のモデルとなるべきである

スカパー!の1ヶ月は悪くなかった。
しかし、
ナマ放送で、
試合後に何か気の利いた面白いコメントをというプレッシャーがかかると、
ゲームに集中できない

負ける覚悟も含めて、
すべてにおいて、
完全な準備をしなければならない。
準備に「やり過ぎ」などという言葉はないのだ

日本は、
ベスト8、
ベスト4に進むべき絶好の機会を逃した。
日本のサッカーが新たな一歩どころか2キロほど先にまで進むチャンスを自ら放棄したのだ。
日本は、
リスクを冒す準備を怠っていたと言わざるをえない

日本とザッケローニという哲学の合体には、
素晴らしい混合物を創造する可能性がある

私は本来ならもう一回監督としてワールドカップに出場する予定だった。
だから第三者として冷静に見るわけにはいかない

リスクを冒して失敗したらそれは褒めてやった。
その代わり、
同じ失敗は繰り返すなよ、
と言った。
そうすると選手は成長する

リスクを負わないチャレンジはない。
そういう日本人に欠けている哲学の部分を埋めたいと考えていた

美しいサッカーとは何なのか。
(中略)文章で表現するのは簡単だが、
ピッチ上で、
そのサッカーを実現することは難しい

古い井戸に水があるのに新しい井戸を掘るのはやめた方がいい。
チームを作るならば経験のある選手たちを中心にして作らねばならない

美しさと効率性は両立しない。
それが両立できているのはバルセロナぐらいのものだ

Jリーグで鍛えなければならない。
Jリーグでリスクを冒さねばならない。
Jリーグのスタジアムに観客を集めなければならない

ある意味、
チェスのように敵の最初の動きを見て対処、
対応するのだ。
サッカーはチェスと同じではないが、
非常に似ている競技である

Jリーグにおけるサッカーは、
まだまだ未完成だ。
厳しい意見を言うようだが、
まず第一にスタジアムに殺気がないのだ。
(中略)雰囲気が、
まるでぬるま湯のようであれば、......

偽物は、
いつまでたっても偽物。
模倣はどこまでいっても模倣なのである

イミテーションを繰り返しても、
彼らを超えることはできない。
日本はコンプレックスから開放されて、
自分たちのストロングポイントを自覚するべきだ

監督というものは心理学者であり、
教育者でなければならない。
それにときどきは上手にウソもつかなければならない

岡田監督は、
大切な何かを日本代表へと持ち込んだ。
そして、
ためらいなく中村俊を外した。
おそらく岡田監督以外なら誰も彼をスタートのメンバーから外すことはできなかっただろう

「リスクを冒し勇気を奮い立たせろ」と、
何度も繰り返し提言してきた私自身が、
リスクを負わないで日本代表を語れるだろうか。
私を支えたのは、
そういうメンタリティだった

エゴイズムはプレッシャーへの強さでもある。
エゴイストだから外す、
では監督として単純すぎる

50年後に今日のサッカーが、
どう見えるかは、
1960年代のサッカーと現代のサッカーを比較するようなものに違いない。
サッカーは、
きっと、
それほどの進歩を永遠に遂げるのである

自由を与えられた選手は、
いつどこでどのようにプレーするか自分で判断しなければならない。
・・・自由を与えられて何かできる選手と、
何もできなくなる選手がいる

(南アフリカの祈禱師が画面に映ったのを見て)そんなに効き目があるならおれも南アにいきたい

選手はデリケートな存在で、
ギターの弦のように少し触っただけで大きな音を出す。
すぐに影響を受ける。
傷つきやすい生き物なのだ。
どんな変化にも敏感だ。
ちょっとした変化がもとですぐに自信を失ってしまうものだ

規律を守ることとリスクを冒すことは矛盾することではない。
規律を守りながら、
いつ、
どこでリスクを冒すかアイディアがなければならない

現代サッカーは責任感に基づいていると言っても過言ではない。
責任感のある選手だけが、
プレーできるのだ

サッカーは技術だけではなく、
何かを感じる感覚-遠くを見たり、
位置関係やタイミングを計る目、
チャンスやピンチになりそうだと嗅ぎつける鼻-そういうものが大事だ。
それを育てるためにはまわりの援助が必要だ。
その上で、......

一番大事なのは指導者が自分のチームの選手を尊敬すること。
それから相手選手を尊敬することを選手に教えることだ

日本ではスタジアムにファンが溢れたとしても、
彼らは礼儀正しく、
ピッチ外もとても平和だ。
…フーリガンのいないスポーツ国家は理想ではないか。
日本人はそのことに誇りをもっていい

オランダが怖がるような攻撃ができなかった。
日本にかけていたのは殺し屋の本能。
チャンスは絶対にものにするという気迫がないから勝てなかった

私は「4-4-2」「4-3-3」などのシステム論を議論することが好きではない。
いや、
むしろ、
そこに何の発展的な意味も感じない

すべてのチャレンジに応じられるように、
フィジカルとフィットネスを万全に準備し、
しっかりとディシプリンを正した状態でいることが肝心だろう

若い選手にはミスする権利がある

前に出ること-。
それだけでサッカーは即座に美しくなる。
少しリスキーではあるが美しい

戦術は、
自分たちで決めるものではなく、
相手に対して作るもの。
相手がどうくるかによって、
戦術を変えている

あまりにエレガントなプレーヤーは難しいかもしれない…美のために死を選ぶという選択はあるが、
死んだ者はサッカーができない

相手をリスペクトするのが負けない秘訣だ

国が生きて、
フットボールが呼吸をし続けている限り。
人は、
これを経験しなければならないのだから

サッカーにおける「スピード」とは何か。
それは、
相手選手より速く走ることだけを意味してはいない。
スター選手の中には足の遅い選手もいる

俺が走らせたいから走らせているわけではない。
試合では相手が走らないといけないという状況をを作ってくるからその準備をしているだけ

イビチャ・オシム(Ivica Osim、Ивица Осим、本名:イヴァン・オシム, Ivan Osim、Иван Осим、1941年5月6日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナの元サッカー選手、元サッカー指導者。愛称はシュワーボ。なお、より原音に忠実な表記はイヴィツァ。

旧ユーゴスラビア代表の最後の監督であり、日本でもジェフユナイテッド市原・千葉、日本代表で監督を歴任するなど、世界各国で豊富な指導歴を持つサッカー指導者である。

本・作品