名言大学

#ボスニア・ヘルツェゴビナ

メディアの皆さんも、
今日のゴールだけで本田をヒーローだと持ち上げないでほしい。
もし明日の一面がすべて本田ということになれば、
日本の未来は危ない。
ヒーローは1人ではなく全員だ

限界には限界はありません。
限界を超えれば、
次の限界が生まれるのです

美しいサッカーとは何なのか。
(中略)文章で表現するのは簡単だが、
ピッチ上で、
そのサッカーを実現することは難しい

規律を守ることとリスクを冒すことは矛盾することではない。
規律を守りながら、
いつ、
どこでリスクを冒すかアイディアがなければならない

日本中の何百万人が、
代表監督を一度はやってみたいと思っているだろうが、
責任あるプロとして、
楽しいことよりは苦しいことの方が多い。
代表監督を要請されたことは名誉に思うが、
割に合う仕事ではないのだ

人の頭ではなく、
自分の頭で考えなければならない

システムそのものより、
チームとしてのインテリジェンスが問題だ。
基礎は個人個人のインテリジェンスだが、
サッカーは11対11人のスポーツだ

美しさと効率性は両立しない。
それが両立できているのはバルセロナぐらいのものだ

俺が走らせたいから走らせているわけではない。
試合では相手が走らないといけないという状況をを作ってくるからその準備をしているだけ

私は「4-4-2」「4-3-3」などのシステム論を議論することが好きではない。
いや、
むしろ、
そこに何の発展的な意味も感じない

代表選手というのは、
代表だけではなく各クラブでもプレーするわけで、
人生を二倍生きているようなものだ。
Jという人生、
代表という人生を二つ生きているわけだ

戦術は、
自分たちで決めるものではなく、
相手に対して作るもの。
相手がどうくるかによって、
戦術を変えている

優勝候補とか、
ビッグスターのいる国とか、
それは実はメディアが作り上げた虚像に過ぎなかったということ

サッカーというものは紙に書いてすべてを説明できるものではない。
いろいろな情報やビジョン、
アイデアがあり、
それらが全部混ざって成り立っているものだ

スカパー!の1ヶ月は悪くなかった。
しかし、
ナマ放送で、
試合後に何か気の利いた面白いコメントをというプレッシャーがかかると、
ゲームに集中できない

大事なことは昨日どうだったか、
明日どうかではなく、
今日一日を大切にすること

全てが偶然だけなら、
サッカーに監督は必要ない。
だが、
偶然についてもいろいろ哲学することできる。
どんな偶然も、
自分たちがサポートすることによって、......

偶然で日本に来た。
二年目からは偶然ではない。
私の意志だ

サッカーは段階を踏んで進歩していかないといけない。
走ること、
戦術、
すべての面でそうだ

サッカーにおける「スピード」とは何か。
それは、
相手選手より速く走ることだけを意味してはいない。
スター選手の中には足の遅い選手もいる

古い井戸に水があるのに新しい井戸を掘るのはやめた方がいい。
チームを作るならば経験のある選手たちを中心にして作らねばならない

監督というものは心理学者であり、
教育者でなければならない。
それにときどきは上手にウソもつかなければならない

戦術というものは紙に書いて説明できないし、
ひと晩で身につくものでもない

相手より5歩余計に走れば、
その5歩がすでに勝利の5歩だ

ブラジルが一番と決まっているのだったら、
ほかの国はサッカーをやる必要はない。
だから、
サッカーは面白いんだ。
強いと言われていても、
彼らが常に勝つわけではない

やったことが返ってくるのが人生というもの

アグレッシブなプレーを心がけることで、
この欠点(判断の速さ)は埋めることができるのだ。
敵に呼吸をさせてはならない

日本人は批判されることをネガティブに捉える傾向がある。
日本人は、
本音をグサリと言われることが好きではないように思えた

君たちには口というものがついているだろう。
しゃべれ!もっと!その口はコーチングだってできるんだぞ

日本ではスタジアムにファンが溢れたとしても、
彼らは礼儀正しく、
ピッチ外もとても平和だ。
…フーリガンのいないスポーツ国家は理想ではないか。
日本人はそのことに誇りをもっていい

ブラジルにロナウジーニョがいることは貴方達が書いているほどのアドバンテージではない。
彼は最もアトラクティブな選手であり、
観客を楽しませることができる特別なステータスを持った選手だ。
しかしパリ・サンジェルマンでも彼は同様に才能ある選手だったが、
バルセロナのようなプレーはできなかった。
つまり彼は他のチームメート次第ということだ

我々の国の人々はいつもお金を通して全てを見てしまう傾向がある。
私は違う。
日本に来たのは金銭面が動機になったのではない。
意地から日本に来たわけであり、
頑固さから日本に来たんだ。
詳細を語るのは重要ではないが、......

前に出ること-。
それだけでサッカーは即座に美しくなる。
少しリスキーではあるが美しい

走ったって負けることはあるけど、
走らずに負けるよりマシだ

刻々と変化していく相手の戦術に対して、
我々の長所を最大限に生かしてゲームを支配するには、
どういう戦術を採用すればいいか。
肝心なのは、
柔軟な対応力である

すべてのチャレンジに応じられるように、
フィジカルとフィットネスを万全に準備し、
しっかりとディシプリンを正した状態でいることが肝心だろう

(2010南アW杯準決勝、
スペイン×ドイツ、
ハーフタイムで「誰か交代したほうがいいか?
」の問いへの発言)ルールが許すなら全員交代だ

Jリーグで鍛えなければならない。
Jリーグでリスクを冒さねばならない。
Jリーグのスタジアムに観客を集めなければならない

ただ大量の水を運べばいいわけではない。
おいしい水でなければならない。
泉からわいたばかりの、
冷たい水だ。
日本にもワサビを栽培する泉があるだろう。
ああいうところの水だ

去年の結果は、
去年の結果です。
今年はまた、
今年の結果が出るでしょう

オレの現役時代のようなプレーをする奴は即時追放だ。
監督になって短い間に哲学が変わった。
最初に監督として選手に接して気がついた。
それではチームプレーはできないと

(アテネ五輪U-23代表を)タレント不足と言うならば、
ユース時代から数年間にわたる強化が無意味だったということだ。
つまり選手を否定することは彼らを選び、
指導してきた人々も否定することになる

トップクラスの選手は、
シンプルにプレーするものであり、
それが一番美しい

ある意味、
チェスのように敵の最初の動きを見て対処、
対応するのだ。
サッカーはチェスと同じではないが、
非常に似ている競技である

1点負けていたって、
まだ試合には負けていない

この世で最も美しい生物である人間の営みとしてのサッカー。
そういうポジティブな世界観をもって、
サッカーという人間の芸術活動に取り組む若者を育んで欲しいのです

サッカーとは、
トータル的にこれが理想というものがない。
だからこそ魅力的なんだ

(PK戦は)心臓に悪いので見なかった。
私はここでは死にたくない。
故郷のサラエボで死にたい。
・・それに、
私がPK戦を見ていると勝てないというジンクスがあるんだ

2,3人の選手でシステム的に何かを解決しなければならないときに、
個人的な作戦のミスを犯しがちで、
それが日本代表の恒常的な問題にもなっているのである

日本の最大の長所は機敏性である。
私が日本代表監督に就任した際、
それを最大の武器として期待し計算していた。
実際、
(中略)それは、
世界が「まるで忍者のようだ」と表現するほどのものだった

もしパラグアイに勝ちベスト8に進んでいたならば、
日本のサッカーは、
世界的ステイタスを手にして一歩前進どころか、
2キロ先に前進していただろう

サッカーは戦争ではない。
政治がスポーツに悪影響を及ぼさないことを、
強く願う

私は本来ならもう一回監督としてワールドカップに出場する予定だった。
だから第三者として冷静に見るわけにはいかない

偽物は、
いつまでたっても偽物。
模倣はどこまでいっても模倣なのである

今日の試合は序章、
第2章と、
まったく違う展開のサッカーの本を書いてしまったようだ。
ただしその本は、
行間を読まなければならない本である

自分のプレーに対する責任感が希薄である

本当に強いチームは、
夢を見るのではなく、
できることをやるものだ

サッカーは技術だけではなく、
何かを感じる感覚-遠くを見たり、
位置関係やタイミングを計る目、
チャンスやピンチになりそうだと嗅ぎつける鼻-そういうものが大事だ。
それを育てるためにはまわりの援助が必要だ。
その上で、......

日本とザッケローニという哲学の合体には、
素晴らしい混合物を創造する可能性がある