名言大学

ダーティーな相撲界でなく、
ハッピーな相撲界にしたい。
古き良きを知った上で、
新しきを取り入れていく

貴乃花光司

最近の人は切り替えを上手にできない人が多いように感じます。
相撲の場合、
土俵に上がった時の緊迫感はどんなことより強く感じます。
世界中探しても、
出だしから頭と頭がぶつかり合う競技なんてあまり見ないんじゃないでしょうか。
それぐらい油断が命取りになる競技なんです。......

相撲もサービス業として成り立たなくてはいけません。
例えば前回の大阪場所では、
女性ファンに向けて和装で相撲を見ようという呼びかけを行い、
また私自身も、
場所中15日間毎日1時間程会場玄関でお客様のお迎えをしました。
多くの方により楽しんで頂ける仕掛けは、......

多くの人に相撲=国技と思って頂いているかと思いますが、
実際のところ相撲は国技として認定されている競技ではないんですよ。
ただ、
相撲というのは神道の神事の一つで、
その教えを汲んでいるのが相撲道です。
古代より、......

貴乃花光司

私は、
近道こそいばらの道だと思うんです。
近道を行くとはつまり、
安全な迂回ルートをとらないということでしょ。
近道を行けば、
迂回していれば遭遇しないであろう壁や障害に行く手を阻まれます。......

貴乃花光司

鍛えるというのは、
本当に地道な作業の繰り返しです。
相撲で言えば四股。
365日間、
休むことなく左右の足を交互に踏み下ろす。
地味、......

貴乃花光司

これが不思議なものでね「勝てる」と思っていると負けます。
逆に「負けるかもしれない」と思っていると勝ちます。
必ずです。
ホントに

心は生まれ持ったもので、
自分の力じゃどうにもなりませんでしょ。
でも「気」は自分次第。
やる気、
勇気、
活気、......

(現役時代マスコミに追い掛け回されていた頃を振り返っての言葉)記者泣かせと言われたりしましてね。
うまくできなかったんです。
世間に対して、
見栄えよく映ろうと思ったことは一度もなかったし、
土俵に上がることだけが生きがい。
それ以外は何を言われても構わない。......

貴乃花光司

現在、
日本人の横綱がいないということもあり、
日本人の相撲離れが指摘されていますが、
我々指導者が今出来ることを精一杯努めて行くことが、
再び相撲ファンを呼び戻す力となると信じています

自分が土俵に上がること、
それは自分が進んでいく道ですから、
他人にいろいろと議論されることもないですし、
左右されることでもないと思うんです

貴乃花光司

地方のように、
住んでいる場所でその土地のものを食べることは大切だと思いますね。
私は巡業などで地方に行くことも多くありますが、
その土地で新鮮な食材を食べられる、
それはとても幸せなことですし、
自分の体が喜ぶのが判ります。......

いい加減にするのではなく、
良い加減を見極められるようになることが大切

決まるまでは、
諦めちゃいけないんだ。
その気持ちを持続すればレベルアップに繋がる

貴乃花光司

日本文化的な鍛え方というのは、
やはり日本人に適していると思います。
相撲というのはそれを長年続けながら強靭な力士を育てているので、
例えば他のスポーツのようにすべてを西洋式に合理化してしまうと相撲本来の軸がずれてしまうでしょう。
体力や技術といった表層的な部分だけでなく、
(相撲を通して)いざと言うときにきちんと集中できる精神力が備えられるよう弟子たちを指導していき......

相撲は、
一瞬で勝負が決まるでしょ。
土俵上の緊迫感は尋常なものではありません。
取組中も、
自分の得意な形になって「これは勝てる」と思ったらそれが油断となり、
隙をつかれて負ける。......

地位を築けば築くほど精神的にきつくなっていくのは事実ですね。
退くことは許されませんから。
その意味では横綱が一番きつい。
上がっていく過程なら、
まだそのきつさも耐えられるんです。
でも、......

背すじは伸ばしても、
背伸びはするな

貴乃花光司

父親が負ける姿がイヤで、
相撲道に進むという気持ちが芽生えたんだと思います。
なので、
そのためなら、
自分の身体はどうなってもいいというのが根本にあります

時代という背景にですね、
合った競技というのが、
あると思うんです

貴乃花光司

相撲道しか興味がなかったと言えばそれまでで。
ですから、
カメラの前でいい顔しようとか、
うまく記者さんと連絡系統密にしようとかいうのはまったくなかったですね

貴乃花光司

入門した時から、
私は父の“分け身だと思ってやってきました。
大関で土俵人生を終えた父の代わりに、
自分がその上を目指していく。
それが私の原動力でした

ほそーい平均台の上に立っているような気分で。
これ後ろ下がるか、
左右にも動けないな、
立ち止まることもできないから前に進んでいこうと。
それには出場して、
戦って、......

(相撲を諦めた、
かつての弟子に対しての言葉)どうにもならなくなったら親方のとこに来い。
それまでは「何でも仕事やらせて下さい、
何でもやります、
ドブの掃除でも何でもやります」そういう気持ちで行け。
いいか、......

まずは、
どんな時でも踏ん張らなければいけないと思います。
私は弟子たちにも「がんばれ」とはほとんど言いません。
無理をして「がんばる」のではなく、
信念を貫くために「踏ん張る」です

私は毎朝5時頃から自室で1時間はストレッチをして、
体を十分に温めほぐしてから稽古場に下ります。
指導する側も十分な準備運動をしてから稽古に臨むということです。
弟子が四股を踏むときは一緒に踏みます。
師匠が目の前で踏んでいたら、
彼らも手抜きはできませんからね

相撲では、
土俵に入る際にお辞儀をし、
取組を終えたらまたお辞儀で終わります。
これは見栄えのためにやっているものではありません。
型通りの所作を地道に続けることで、
勝敗がどのように決しようとも相手を敬う気持ちが醸成してゆくのです。......

貴乃花光司

人は二人以上いれば、
その半数は敵になってしまうと私は思います。
結果が必ず求められる昨今ですが、
まずは本当にやりたことに向かってどんな状況でも諦めずに進むことが大切なんです。
結果は後から付いてきますから

プロの世界は言葉より目で覚えろ!と言われます。
そういう意味でも師弟が寝食を共にし、
常に手本となる者が近くに居る相撲部屋のようなシステムは素晴らしいと思います

貴乃花光司

気が乱れると、
肩に余分な力が入って隙ができます。
仕事もそんな状態で成果を上げていくのは難しいでしょう。
周囲の環境に気が乱されている間は、
一流とは呼べません。
だとすれば大事なことは自己鍛錬です

相撲の稽古とは「古きを知り新しい自分を作り上げること」ですから、
スポーツのトレーニングとは少しニュアンスが異なります。
相撲の稽古場には神道の考えや仏教の考えが入り込んでいる場所なので、
稽古が終われば家族の時間に戻ります。
それがオンとオフの切り替えの訓練にもなっているのかもしれませんね

相撲道を志すものの基本は「強く優しく力持ち」で、
お困りの方がいらっしゃったら馳せ参じるということが相撲道そのものです

貴乃花光司

自分が進んでいく道ですから、
他人にいろいろと議論されることもないですし、
左右されることでもないと思うんです

貴乃花光司

プロは、
「努力をしている」などと言うことは禁句の世界です

負けて得るものより、
勝って得ることの方が全然大きい。
勝負事はやっぱり勝たなければいけない

自分のためではなく、
人のために生涯を過ごすことがやはり日本人の幸せであるし、
そこに一貫性を持つことは相撲界が公益性をもって生き残るうえでも大事だと思っています

たとえば岐路に立たされて、
どちらの道かって迷ったときには、
行きたくないほうの道を選べ、
ということは徹底して言ってます。
たぶん若いうちにそれが目の前にくるのか、
時間の誤差だけだと思うんですね、......

相撲界をやめたあとも活躍できれば、
関取や親方になれなかったけれども相撲界で学んだことで成功していると、
感謝の気持ちを持ってもらえると思います。
これは相撲協会の公益法人としての一大事業ですね

自分さえいい思いをすればいいというのは苦手です。
「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますが、
相撲界には残しておきたい言葉です。
相撲界は地位が上の者から食べますが、
私の部屋では兄弟子たちに一番弱い立場の後輩に目を配れと言っています。
体をつくらなければいけないわけですから

貴乃花光司

昔は各学校に土俵がありました。
いま土俵のある学校は全国にたぶん3ケタはないと思います。
一対一で向き合い、
はだしでおこなう相撲は足腰が強くなるし、
もみ合いで体力がつきます。
しこなどの基本動作はきちんとやると、......

相撲部屋の場合は、
やはり生活を丸ごと引き受けますので、
まずはこの相撲部屋の生活に慣らすことから入ります。
でもやっぱり、
若いから誰もがホームシックになるんです。
それでもとにかく帰る場所は実家じゃなくてこの相撲部屋、......

相撲の場合、
何トンもの当たりの比重がありますから、
怪我だけは気をつけないと。
そこに関しては、
教えるほうとしても危機感を持っています

貴乃花光司

力士は体格も得意技もそれぞれバラバラですので、
その力士の体格や得意技、
癖を考慮に入れた上で、
最も合理的な戦い方を学ばせていく必要があります。
簡単そうでこれがまた難しいんです。
今は13人の弟子がいますが、......

貴乃花光司

(サポーター制度について)古来,相撲は地域に密着したものでした。
勧進相撲など地域のために役立つものだったり,巡業で訪れることがきっかけで神社仏閣ができたりとか。
それをまずは自分の部屋からやろうと。
具体的には定期的な親方便りとかですね

貴乃花光司

スポーツであり、
伝統であり、
文化でもあります。
二千年以上も前からあるものですし、
国盗りの話でも相撲の勝ち負けで決めるというような話もあるほど人々に根付いてきたものです。
これからは,オリンピック種目にもなるでしょうが、......

成長していく過程できついとかつらいとか思う、
そういう環境に追い込むことが親方の仕事だと思っています。
五体満足で生んでもらったことへの感謝の気持ちがあれば,体が不自由で相撲を取りたくても取れない子がいるのに,きついって言ってられるかって

他の部屋の多くは強い者から順番に食べていきますが、
うちの部屋では、
下の弱い者から食事をさせています。
あまりがつがつとさせないため、
豊かな心で強くなれ、
強くなると人にも優しくなれるから、......

貴乃花光司

横綱になるより、
なってからの方が大変でした。
上を目指すことで、
(現状を)維持することができるんですが横綱には上はありませんから。
横綱は常に12勝以上しなくてはだめ。
でも幕の内の力士で横綱とあたるのは強い人。......

土俵に上がって向こうの景色が見えないというのは、
小錦、
曙、
武蔵丸の3人だけでしたね。
体からして違いましたよ

貴乃花光司

先代が大関で終わったというのは、
私のハングリー精神ではありましたね。
それに、
私には他の力士と違って、
相撲をやめても帰る場所がなかったんです。
ここが実家でしたから(笑)。......

貴乃花 光司(たかのはな こうじ、1972年8月12日 - )は、東京都中野区出身の二子山部屋(入門時は藤島部屋)に所属した元大相撲力士で第65代横綱である。本名は花田 光司(はなだ こうじ)。愛称は「貴」、「コウジ」。相撲協会退職後は本名や「元 貴乃花親方」「貴乃花氏」「貴乃花さん」と表記されることが多い。