名言大学

その職務は運命によって授かったものと観念し精神をこめ誠心誠意をもってその職務に向かって奮戦激闘しなければならぬ。
いやいやながら従事するようでは到底成功するものではない。
その職務と同化し一生懸命に真剣になって奮闘努力するので(することで)はじめてそこに輝ける成功を望み得るのである

一足す一が二 二足す二が四だと思いこんでいる秀才には生きた財政は分からない

人間にも神の心はある。
その心が人間の中に輝き出す時人はさながら神となり地上はこのままに一つの楽園となる

百貫の力量あるものが、
常に百貫の全力を一杯に用いることは誤りである。
よろしく七十貫の力を常に用いて、
余りの三十貫は貯蓄しておくべきである。
こうすれば、
一朝事があった場合には、......

仕事を本位とする以上は、
その仕事がどんなであろうとも、
いかに賤しく、
いかに簡単であろうとも、
ただ一心になって、
それを努めるばかりである。......

もっと歳が若くて、
先へ行ってご奉公できるというのなら別だが、
ワシはもうこの年齢だ。
いま、
ご奉公しなければするときがない。
ワシは最後のご奉公と思って入閣した・・・

他任に依頼し、
その助力を仰ぐのは、
自己の死滅であると、
私は信じている

株金は、
細く長く利殖を得ることを楽しまねばならぬ。
ところが、
わが国の株主にはさような観念がさらにない。
はなはだしいのになると、
借金までしても、......

「我」を去り私心をなくす、
そうして自然の大道と己を一緒にしてみると、
「生死」というものがなくなってくる

栄枯盛衰は、
人生の常である。
順境はいつまでも続くものではなく、
逆境も心の持ちよう一つで、
これを転じて順境たらしめることもできる。
境遇の順境は、......

生を踏んで恐れず

人間がこの世に生を受けた以上自分のことは自分で処分し始末すべきである

不平を起こすぐらいならサラリーマンたる己れを廃業して独立するがよい。
独立してやれば成敗いずれにせよ何事も自分の力量一杯であるから不平も起こらぬだろう。
けれども、
この独立ができないならば不平は言わないことだ

いかなる場合でも何か食うだけの仕事はかならず授かるものである。
その授かった仕事が何であろうと常にそれに満足して一生懸命にやるなら衣食は足りるのだ。
ところが多くの人はこんな仕事ではだめだとかあんな仕事がほしいとかいっているからいよいよ困るような破目に落ちてゆくのである

どんな失敗をしても、
窮地に陥っても、
自分にはいつか強い運が向いてくるものだと気楽に構え、
前向きに努力した

学問は之(これ)を使ってこそ、
始めて効用がある。
世間の実情を観るに、
学問を利用せず、
却ってその奴隷となる人が少なくないようである

そんなことはありません。
喜んで辰野さんの下で働きます

ペルーの銀山で失敗し、
ヤマ師とまで言われかねない経歴を持った人間を社長にして下さるお気持ちは大変うれしい。
しかし、
もし私が社長として失敗したら、
天下の日銀総裁がその不明を恥じることにもなります。
私は鉄道の社長など自信がありませんし、......

これまで私が官途についたのは、
衣食のためにしたのではない。
今日までは何時でも官を辞して差支えないだけの用意があったのである。
従って、
上官が間違っていて正しくないと思ったときは、
敢然これと議論して憚るところがなかった。......

心ハ是レ常二楽シミト為ス

なあ、
直。
忘れるなよ。
順境は、
いつまでも続くものではない。
だがな、......

国にとっても経済や金融にとっても欠くべからざるは信頼である

人間は、
無一物でこの世に生を享ける。
その後、
どんな波瀾や苦難に直面しようとも、
所詮自分の始末は自分一個の腕でつけるものだ。
その時々で骨惜しみせず、......

残酷と申すより、
卑怯にございます!

世の人は私を楽観論者だといい、
自分自身でも過去を考えて見ると、
何だかそうらしく思う

私は考えるに、
真実の楽天的境地というものは、
人事を尽した後でなければ得られるものではない。
即ち、
事成ればもとより快(かい)、
成らずともなお快たるを失わない。......

子供の時から今まで、
一貫して、
どんなつまらない仕事を当てがわれた時にも、
その仕事を本位として決して自分に重きを置かなかった。
だから、
世間に対し、......

金融業は主として資本を取扱ふ一種の公共的機関である。
資本とは国富即ち一国の生産力増加のため使用される金である

何であろうと一生懸命やれ

尽人事而後楽天して後に天を楽しむ

よい地位にあがったからといって欣喜雀躍するはずもなければ、
またその地位がさがったからといって、
失望落胆することもない。
すべて己を本位とすればこそ、
不平も起り失望も起るのだ

何か仕事がなければ、
到底独立してゆくことのできない者は、
仕事を本位とするより仕方がないではないか。
そして仕事を本位とする以上は、
その仕事の性質がどんなであろうとも、
ただ一心になってそれを大切に努むるばかりである。......

私も今日までには、
ずいぶんひどく困った境遇に陥ったことも一度や二度ならずあるのだが、
しかも、
食うに困るから助けてくださいと、
人に頼みにいったことは一度もない

他人から見てはうらやましがられるような境遇にいる時でも、
自分に重きを置くことをしなかったため、
特別によろこぶ気も起らない

どんな苦難に直面しても、
常に人生を楽しめと説いたのである。
おのれの運を信じ、
楽観的に物事を見る。
そこから拓ける道がある

経済界の実情、
金融界の事情等を検討して、
実際に適応する様に遂行すべきことが主で為政者はこの点に常に留意すべきことはいふまでもない

私は低金利政策の遂行は、
ひとり事業経営者の負担を軽減して、
不況時に際し経済界を恢復に導く方策のみならず、
実に労資の円満なる和合を促進せしむるものと信じてゐる。
この意味からも、
尚低利政策を進めたいと思つてゐる

即ち『人の働きの値打』をあげることが経済政策の根本主義だと思つてゐる。
またこれを経済法則に照して見ると、
物の値打だとか、
資本の値打のみを上げて『人の働きの値打』をそのままに置いては、
購買力は減退し不景気を誘発する結果にもなる

資本が、
経済発達の上に必要欠くべからざることはいふ迄もないことであるが、
この資本も労力と相俟つて初めてその力を発揮するもので、
生産界に必要なる順位からいへば、
むしろ労力が第一で、
資本は第二位にあるべきはずのものである。......

今回の経済不況は人類の生活に必要なる物資の欠乏に基くものでないことは明かであつて、
むしろ供給過剰のため物価が暴落し生産設備は大部分休止するといふところにあつた。
換言すれば生産と消費との間に均衡を失したところにその原因があつたのである。
ゆゑにその対策としては両者の均衡を得せしむることで、
これは適正量の通貨供給に俟(ま)つ外はなかつたのである。
先づ低金利政策をと......

やれ対米為替が上つたから、
やれ英米の金利が下つたから、
金解禁に好都合になつたと、
有頂天になつて居る者もあるが、
それは少し早計でないかと考へる。
もとより今日金解禁をなすに就ては、......

工事を止めたために、
第一に請負人が職を失ふ。
又これに従事せる事務員、
技術者、
労働者及び工事の材料の生産者、
その材料を取次ぐ商人等の総ては、......

その性質をも考へず、
天引同様に中止する事は、
あまりに急激で、
そこに必ず無理が出て来る。
その無理は即ち、
不景気と失業者となつて現れ出づるのである

これを止めるとか中止するとかいふには十分に事の軽重を計り、
国の経済の上から考へて決せねばならぬ

既に取かかつた仕事まで中止するといふ事は考へものだ

もとより財政上緊縮を要するといふ事はあるが、
その場合には、
なるべく政府の新たなる支出を出来るだけ控目にする事が主眼で無くてはならぬ

倹約といふ事も詮じ詰れば、
物を粗末にしないと云ふ事に過ぎない。
しかしながら、
如何に倹約がよいからと云つて、
今日産業の力を減退させるやうな手段を取る事は好ましからぬ事だ

言ふまでも無く、
如何なる人の生活にも、
無駄といふ事は、
最も悪い事である。
これは個人経済から云へば、
物を粗末にする事である

緊縮といふ問題を論ずるに当つては、
先づ国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ

経済的の施設は一朝一夕にその効果を望めるものではない。
少くとも二年ぐらゐ経たなくては真の効果は挙げ得ないのである

高橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、明治から昭和にかけての日本の財政家、日銀総裁、政治家。