名言大学

数学のもとになるのは頭ではない。
情緒だ

数学とは生命の燃焼です

明治以前の日本人は死ねばそれきりなどとは思っていなかったのであってこの一生を長い旅路の一日のごとく思っていたのである

いまの教育では個人の幸福が目標になっている。
人生の目的がこれだからさあそれをやれといえば道義という肝心なものを教えないで手を抜いているのだからまことに簡単にできる

私は三日かからねばつまり二晩寝なければ解けないという問題から問題と呼ぶことにしている

数学は印象でやるもので記憶はかえって邪魔になる。
忘れるものはドンドン忘れて行く。
これが極意です

人間が人間である中心にあるものは科学性でもなければ論理性でもなく理性でもない情緒である

人は極端になにかをやれば必ず好きになるという性質をもっています。
好きにならぬのがむしろ不思議です

まだ、
したいことはいっぱいあるから死にたくない。
しかし、
しょせんだめだろうなあ。
あしたの朝には命はないなあ。
計算ちごた

数学の営みは「おのれの情緒を外部に表出する学問芸術」であり「情緒を表現して数学を創造する」ことだ

こういう世相にあって,のんきな数学などは必要ないと思う方もあるかも知れません。
しかし,数学というのは闇を照らす光なのであって,白昼にはいらないのですが,こういう世相には大いに必要となるのです

私についていえば、
ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである

どの人がしゃべったのかが大切なのであって、
何をしゃべったかはそれほど大切ではない

敬虔ということで気になるのは、
最近、
「人づくり」という言葉があることである。
人の子を育てるのは大自然なのであって、
人はその手助けをするにすぎない。
「人づくり」などというのは思い上がりもはなはだしいと思う

理性のなかを泳いでいる魚は、
自分が泳いでいるということがわからない

今、
たくましさはわかっても、
人の心のかなしみがわかる青年がどれだけあるだろうか

自然数の一を知るのは大体生後十八ヵ月と言ってよいと思います

(情緒とは?
)野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心

数学は必ず発見の前に一度行き詰まるのです。
行き詰まるから発見するのです

自分の研究の方向は分かった。
そのためには、
まずは蕉風(芭蕉一派)の俳諧を勉強しなければならない

私は悪漢の書いたものが好きで、
真正直な人の書いたものが嫌いである

数学上の発見に関して西洋人はインスピレーション型、
日本人は情緒型

問題を出さないで答えだけを出そうというのは不可能ですね

勘は知力ですからね。
これが働かないと、
一切がはじまらぬ

心が納得するためには、
情が承知しなければなりませんね

個性が出るようにするにはどうするかということを教えなければいけないのでしょうね。
個性がなくなりました

文章を書くことなしには、
思索を進めることはできません

現代は他人の短所はわかっても長所はなかなかわからない。
そんな風潮が支配している時代なのだから、
学問の良さ、
芸術の良さもなかなかわからない

自分の好きなものだけが正しいのだと言う勇気はありませんね

広い世界のものには関心が持ちにくく、
狭い世界のものには関心が持ちやすい

本質は直観と情熱でしょう

僕は論理も計算もない数学をやってみたい

日本は個性を重んずることを忘れてしまった

しかしこんな美しい地球を滅ぼさせたくないですね

人は無明を押えさえすれば、
やっていることが面白くなってくるということができるのです

本だって読むことより読みたいと思うことのほうが大切なのです

オリジナルは生命の燃焼によってしか作れない

理想の高さが気品の高さになるのである

人は、
男・女性に関するさまざまなことを、
さまざまな経験によって知るのではなく、
情緒的に、
すでに知りつくしていることを、
単に経験によって、......

今の教育では個人の幸福が目標になっている。
人生の目的がこれだから、
さあそれをやれといえば、
道義というかんじんなものを教えないで手を抜いているのだから、
まことに簡単にできる

日本だけのことではなく西洋もそうだが学問にしろ教育にしろ「人」を抜きにして考えているような気がする

科学が進歩するほど人類の存在が危うくなるという結果が出る

足が大地をはなれて飛び上がっているようなもので、
第二歩をだすことができない。
そういうのを抽象的といったのです

言葉で言い表すことなしには、
人は長く思索できない

苦心を払わせるものを私は情熱といっている

個性的なものを出してくればくるほど、
共感がもちやすいのです

いまの人類文化というものは、
一口に言えば、
内容は生存競争だと思います。
生存競争がないようである間は、
人類時代とはいえない、
獣類時代である

最近、
感情的にはどうしても矛盾するとしか思えない二つの命題をもとに仮定しても、
それが矛盾しないという証明が出たのです

知性は理性と同一ではなく、
理想を含んだものだと思うが、
はっきりと理想に気づいたのもギリシャ文化が初めてだった。
これを代表しているのがプラトンの哲学・及びユークリッドの幾何学である

岡 潔(おか きよし、1901年〈明治34年〉4月19日 - 1978年〈昭和53年〉3月1日)は、日本の数学者。理学博士(京都帝国大学、論文博士、1940年)。奈良女子大学名誉教授。奈良市名誉市民。従三位勲一等瑞宝章。